13.開場

 田中の発言により、重苦しい沈黙が場を支配していた。

 最初に口を開いたのは皐月だった。

「その〝何か〟が何なのかもわからないのよね」

「ああ。せめて術式がどこのものなのかわかればある程度予想も立てられるんだが、今はまだなんとも言えねえ。ただ、人を殺して回るような奴だ。ろくなもんじゃねえことは確かだろうな」

 苦々しい顔で田中が応じる。

「少なくとも単なる快楽殺人鬼の仕業じゃねえ、と俺は思ってる。どの程度の知識があるかわからねえが、犯人が魔術や呪いの類を囓ってる奴であることは間違いねえ」

 そこで思い出したように、律が口を開いた。

「じゃあ、さっき僕たちと一緒にいた沢村が言っていた〝獣〟っていうのは」

「あー、そっちはたぶん心配いらねえよ」

 不安気な律に、田中は意味深に口の端を歪める。

「正体に、見当が付いてるのね?」

「おう。だがまだ確信には至ってねえから、説明は後回しにさせてくれ」

 律たちは田中の言うことを信じていいものか迷ったが、かといって自分たちにはどうすればいいのか見当もつかない。心配や不安はあったが、一先ずは呑み込むことにした。

「んで、だ。俺たちがこれからやることだが、わかるな?」

 田中の不敵な視線に首肯を返す律。

「この地図をもとにして、次の現場になりそうな場所に先回りする、だろ」

「そのとおりだ」

 満足気に頷く田中。そこで皐月が疑問を呈した。

「でも、候補は何箇所かあるし、次がいつかもわからないんじゃない?」

「場所は目星がついてる。一筆書きだ」

 クエスチョンマークが浮かんだ二人に、田中が再びボールペンを手に取り説明する。

「一見不可能に思えるが、交点から線を書き始めると八芒星も一筆書きができるんだ。今までの事件もそれに沿って起こっている。魔術的効果を途切れさせない意図、意味があるのかもしれん」

「つまり、次の場所は」

 ここか、と律が地図を指し示す。そこは奇しくも首吊り男に出会った公園だった。

 田中が頷き、言った。

「日時はわからねえが、今までの事件は土日が多い。犯人は社会人や学生なのかもしれねえな」

 狂気の殺人鬼が普段、一般人の皮を被って普通に生活していると思うとゾッとする。律は思わず身震いをした。

「俺は先週辺りから張り込んでるんだが、今のところ怪しい奴にゃ出会ってない。お前は学生だろ? 平日が難しければ、できれば土日を中心に来てくれ」

 律は内心悩んでいた。田中には学校に通っていないことを話していない。土日の外出は許可を得ていたが、あくまで日中に限った時間だ。夜間の外出ともなれば、こっそり家を抜け出すしかないだろう。両親のことを思うと胸が痛くなった。

 そんな律の心を読んだように、田中は表情を緩めて言った。

「まあ、無理強いはしない。蛇が出るか鬼が出るかわからねえ。いくら変な力があるからって、はっきり言ってかなり危険だ」

 意外にも目の前の男は、律の身を案じてくれているようだ。そのことが嬉しくもあり、情けなくもあった。だから律は、決意を込めた目ではっきりと言った。

「……行くよ」

 男の決意に多くは要らないと言わんばかりの短い言葉。田中はにやりと笑い、右手を差し出してきた。

「決まりだな」

 律も右手を差し出し、がっしりと握手を交わす。田中は線が細く華奢に見えたが、その拳は予想以上に固くごつごつとしていた。


 *


 田中と連絡先を交換し、律たちは一先ず自宅へと戻ることにした。

 別れ際、自席に戻った田中へ律が声を掛ける。

「なあ。ちょっといいか」

「なんだ?」

 不思議そうな視線を向ける田中へ、律は言った。

「その……あんたは皐月さんが幽霊だって理解してるんだよな。拝み屋なんだろ?」

 田中が霊能力――ないしなんらかの力で皐月を視認していることは、もはや疑いの余地はなかった。まるで人間相手のように、当たり前に言葉を交わしている二人の間に、詐欺やペテンの入り込む余地はないだろう。しかしだからこそ、田中が皐月とあまりにも平然と接していることに、律は酷く違和感を覚えていたのだ。

「ああ、なるほどな」

 田中は合点がいったように顎を引く。

「まあ始めは驚いたが、俺もこの仕事を始めて結構長い。常識じゃあり得ねえことばっかり起きるし、悪霊かそうでないやつかの区別くらいついてるつもりだ」

 田中は片眉を上げて、悪戯を思いついた少年のような表情を浮かべた。視線の先の皐月は、不敵な微笑みを返す。

「ずっと観察してたけど、少なくとも悪人ではなさそうよ」

「おいおい、怖え姉ちゃんだな……」

 ばつが悪そうに頬を掻く田中に、率と皐月は笑いを零す。それが収まった頃、田中は誰に言うともなく、小さく呟いた。

「それに、俺にもそういう奴がいる……いや、からな」

 薄く微笑む田中の表情の向こうに、どうしようもない悲しみが透けて見え、律たちは何も言えなかった。

 田中が抱えているのは、喪失の痛みだ。皐月がいなくなった未来を想像しそうになり、律は振り払うように言った。

「それじゃあ、今夜」

 一瞬、律たちが深くは訊ねなかったことにほっとするような顔を浮かべた田中は、不敵な表情を作って拳を差し出した。

「ああ、今夜」

 少年と男の拳が静かに打ち合わされる。


 ――凶気と狂乱の幕は。今、上がった。

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