12.オクタグラム
田中の情けない顔と態度に思わず小さな笑いが起こった。
「……つうわけで、俺はお前らをどうこうしようって気はねえんだ。そういやまだ名前を聞いてなかったな」
皐月が頷くと、律から名乗りを上げた。言葉を交わしている間も、皐月は田中のことを常に観察していた。発汗量や声のトーンをサイコパスや詐欺師といった人物たちのデータと照らし合わせて分析しており、害意は無いだろうと判断していたのだ。
「僕は藍川律」
「村瀬皐月よ」
皐月の名に、田中は一瞬妙な表情を浮かべた。しかしすぐに「俺は田中耕平……ってもう言ったんだった」などとおどけ、二人の苦笑を誘った。
互いに名乗り合ったことで、他人同士の会話にあった緊迫感が薄らぎ、場にはやや弛緩した空気が流れた。
――にも関わらず、次の発言で再び緊迫した空気が三人を包む。
「つっても、興味が尽きたから『はいさよなら』ってわけにもいかなくなった。聞く気はなかったんだが、あんな話を聞いちまったからよ」
くだけた雰囲気から一転、真剣な表情で田中は言う。
皐月は真意を見極めるように無言で相手を見つめている。そこで言葉を選びながら、律が訊ねた。
「忘れてくれ、ってわけにもいきそうにないな。あんた、沢村をどうするつもりだ」
しかし律の警戒に反して、田中は目を見開き驚きを露にする。
「おいおい、俺はただ、お前らにも協力してほしいんだよ。お前らもお嬢ちゃんをなんとかしてやりてえんだろ?」
今度は律と皐月が意外そうに顔を見合わせた。
「言ったろ? 『お嬢ちゃんは犯人じゃない』って。真犯人が別にいると踏んでるんだよ」
「それは誰?」
「まだわからねえ。だがお嬢ちゃんが犯人だとしたら、不可解な点が多すぎるんだ」
皐月の問いに、腕を組んで唸る田中。
「さっきそっちの姉ちゃんが話してたように、お嬢ちゃんが、その……ろ、老化?」
「狼化妄想症」
「そう。その、ろうかもうそーしょうだとする。ってことは、だ。本人の認識はどうあれ、お嬢ちゃんがどうにかして大の男をぶっ殺したってことだろ?」
田中の問いに首肯を返す皐月と律。
「さて、聞いた話じゃ死体はバラバラ、周囲は血の海だったらしいじゃねえか。それだけの大仕事、凶器や返り血の着いた服はどうしたんだ? 監視カメラの映像に血まみれの少女が映っていなかったのか? 現場には髪の毛も足跡も残ってなかったのか?」
その指摘に、律たちは言葉を失った。
「お嬢ちゃんが犯人だとしたら、結びつく物証が何も無いのはおかしい、だろ? 夢遊病みたいな学生が体よく殺人に成功したとして、そのまま無事にお
田中の言うことはこれ以上ないくらい正論だった。サイコメトリーによる人狼の印象が強烈過ぎて、柚那の証言を無意識に結びつけて考えすぎていた。当然考えるべきことが抜け落ちていたのだ。
「じゃあ、あの人狼は沢村とは関係ない……?」
「人狼?」
律の微かな呟きを、田中は耳聡く捉える。
しまったと思ったがもう遅い。逡巡した律は、皐月に説明を任せることにした。
縋るような目を向けられた皐月は呆れの色を滲ませたが、小さく息を吐くと話し始めた。
「律くんは霊視ができるのよ」
「ほう? そりゃすげえな」
律にも初耳だった。だが、自分はいま霊能者ということになっているため、皐月の発言は〝設定〟に合わせるための方便なのだ。そう理解した律は、話を合わせるためにこくこくと頷く。実際、どちらの力も本物だとすれば、得られる情報はそう大差ないだろう。
「現場で何か情報を得られないかと思って試してみたの。そうしたら」
「人狼――狼人間が、被害者を殺す場面が視えたんだ」
皐月の発言を引き継ぐ形で律が言った。凄惨な情景を思い出し、若干顔色を悪くしている。
「人狼。狼。獣、か」
しかし田中は驚いたり取り乱したりすることなく、静かに零した。まるで、律の発言を予想していたかのように。
「なあ……ええと。律、だったよな。なんか書くもの貸してくれ」
急に指名された律は頷き、足下のリュックからボールペンを取り出す。
田中は自分の席から持ってきた『アネモネ』のコースターを裏返すと、三角形をひっくり返して重ね合わせた図形を書いてみせた。
「ヘキサグラム、
それがなんだという律たちの視線を、田中は両手を広げ制す。続いてポケットから小さく折り畳まれた紙を取り出した。テーブルの上に拡げられたのは、市町村単位に縮尺の合わせられた地図だった。
地図上にはペンで書き込まれた、小さな円を塗りつぶしたポイントが点在している。田中は律に借りたボールペンを地図に突き立てた。
「この点は、この街や周辺で過去に起きた惨殺事件を中心に、独自に調べた〝こっち〟の業界絡みっぽい事件の起きた場所を示したものだ。で、いいか? 地図に今回の事件が起きた場所とを加え、点と点を結ぶと……」
律と皐月は思わず身を乗り出すようにして、地図を食い入るように見つめた。
「これは六……いや、八?」
「ええ、八芒星ね。ところどころ線や点が足りてないけれど」
皐月の言う通り、事件の起きた場所を結ぶことで地図上に示されたのは、不完全な八芒星だった。
「最初は単なる多角形かと思ったんだが、内側の交点もある。六芒星や五芒星……星型なら警察もすぐに気づいたかもしれねえが、これはなかなか気づけねえと思うんだ」
言った田中に、二人は静かに頷きを返す。
「ってことは、点のまだない……たとえばこの辺りが次の犯行現場になりそうってことよね」
皐月が指し示したのは、住宅街の中だった。
「まだ続く、ってことか」
うんざりしたように言う律に、田中も同意を示す。
「このくそったれな事件、俺はなんらかの儀のために人が殺されてると踏んでる。儀式殺人ってやつだ」
「なんらかって、なんだよ」
「わからねえ……だが嫌な予感がする」
じわり、と背中に汗をかいていることに律は気づいた。田中の発言に言いようのない不安を覚えた律は、気を紛らわすようにすっかり冷たくなった紅茶を一口啜った。
「さっき六芒星は安定や魔除けを示すって言ったよな?」
言いながら、田中は先程のコースターに漢数字の六と八を書き込んでいく。
「『六』という字の蓋を取っ払うと『八』になるだろ? これは〝見立て〟だ。つまり、安定を崩す、魔除けを解除するってことだ」
ボールペンを置いた田中は突然席を立って、通路からテーブルに手をついた。ぎょろりとした眼玉が律と皐月の姿を捉える。
田中は小さく息を吸い、腹の底に響くような重苦しい声で言った。
「おそらくこれは――〝何か〟を召喚する儀式だ」
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