11.寺生まれ

「なんだ。お前たち、俺みたいな奴は初めてか?」

 二の句の継げない律たちに向かって、田中と名乗る男は笑った。隣の律に、そして向かいの皐月に。ぎょろり、とした眼玉を交互に動かしている。

 〝お前〟。再び、律たちを複数名と認識しているような発言。

 律は警戒心を最大限に高め、周囲の状況を把握しようとしていた。密着態勢ではあるが、組み敷かれた状態から離脱するための護身術もある。律はいつでも〝能力〟を発動できるよう、油断なく男の動きを注視していた。

 そんな律の空気を感じ取ったのか、田中は肩を竦め言った。

「おいおいそんなに警戒すんなよ。俺は人間相手にゃからきしなんだから」

 当然ながら警戒を解かない律たちを見て、困ったように頭を掻く田中。

「って言っても、姿を見られたのが初めてじゃ難しいか。うーん……お、そうだ」

 腕を組んで唸った田中は、唐突に膝を打った。そしてスキニーパンツのポケットに手を入れごそごそやり、革製のケースを取り出す。

「俺はこういうもんだ」

 果たしてそれは、名刺入れだった。テーブルの上に差し出された名刺には、電話番号や所在地とともに『霊能者 田中耕平』の文字があった。

「霊能者……?」

「応とも」

 律の呟きに鷹揚に頷いた田中は、言葉を続ける。

「俺は除霊だの、事故物件の調査だの、いわゆる心霊現象が絡んだ依頼を生業としてるんだ。広い意味で言やあ拝み屋だな。んでこの近くでも心霊絡みの事件があったって依頼が来てさ、現地調査と洒落込んでたら面白い三人組を見かけたってわけ」

 だから後をけちゃった、と舌を出す田中に、律たちは冷たい視線を浴びせる。

 だがこの男はまたしても決定的な発言をした。三人組。即ち、律、柚那、そして皐月を認識していたことを暗に主張しているのだ。

 しかしそんなことがあり得るだろうか? 律の頭脳たる皐月は圧縮された時間の中で思考を重ねる。〝皐月の幽霊〟という体を取ってはいるが、自分は文字通りの幽霊ではない。律の脳内に残る村瀬皐月という女性。その情報の残滓から、インターフェイスとして律の頭の中だけに再構築された存在に過ぎない。言うなれば皐月は、律の中に存在する別人格なのだ。仮に、田中という男が本物の霊能者だったとしよう。だが死者の霊魂や生霊といった存在こそ認識できても、脳の働きによって視覚に投影された別人格を知覚することなどできるのだろうか? それはもはや、霊能者などという範疇を超越しているだろう。

 延々と思考と試行を重ねても結論が出ず、最終的に皐月は一種の賭けに出た。

「ねえ。おじさんは私たちに危害を加えようとしているの?」

 黙していた皐月が急に口を開いたことで、向かいに座る律がぎょっとした顔を向ける。だが当の皐月は涼しい顔を浮かべ、口元で微笑んでいる。

 名刺を二枚出してきたことから、少なくとも田中が皐月の存在を認識していることは間違いなさそうだった。皐月から声を掛けたのは、律の世界改変を経ずにコミュニケーションが取れるかの実験的意味合いも含んでいた。〝皐月とコミュニケーションを取る田中という男〟は、改変された律の世界が生み出したのか、最初から意思疎通が可能なのか。皐月はそれを確認したかった。

「いいや。お前らに絡んだのは完全に興味本位だ」

 果たして田中は、なんでもないことのように返事をする。

 世界改変が成されたとき、人間には認識できない程度の僅かなラグが生じる。だが今、皐月にもラグは感じ取れなかった。目の前の男は、完全に素の状態で皐月を認識し、声を知覚し、返答を行った。

「これでも正義の霊能者をウリにしてるんだ。〝寺生まれの田中さん〟って言えば、業界じゃちょっとした有名人なんだぜ?」

 あり得ない現象だった。だが、現実に起こってしまっていることだ。あり得ないと思考停止をしてもなにも変わらない。

 どこか得意気な田中に、皐月は辛辣な言葉を投げる。

「ねえおじさん。それって〝寺生まれのTさん〟のパクりじゃない?」

 皐月の突っ込みに、田中は眉をハの字に歪めた情けない顔を浮かべる。

「パクりじゃない。オマージュと言ってくれよ」

 田中の様子に、律もようやく警戒心を緩める。張り詰めていた空気が弛緩したことで、対話の余地が拡がった。

 唐突に、田中は律へと質問を投げかけた。

「なあ、お前も俺と同じで〝見える〟んだろ?」

 その言葉に、律たちは即座にアイコンタクトを交わす。

 どうやらこの男は律のことを同種――霊能者だと思っているらしい。敢えて説明し、誤解を解く理由はなかった。一瞬のうちに意思の確認を行った二人は、視線だけで頷きあった。

「まあ、うん。あまり大きな声で言いたいことじゃないし、僕はなんでもかんでも見えるってわけじゃないけど」

 田中は律の返答になるほど、などと呟きながら頷いている。上手く返せたことに律が内心胸を撫で下ろしている間、なおも田中はぶつぶつと呟いている。

「そっちの姉ちゃんは生霊……いや、オーラの色からして守護霊か? 近すぎるのが不可解だが……。俺もいろんな奴を見てきたが、まるで生きてるみてえに会話する奴らは初めてだ。存在の近さが意思疎通の難易度に影響しているのか……? いや、たとえ親子や双子の片割れだってここまで近しいことは無かった。いったいどんな関係なんだ……?」

 と、そこで。田中の思考の旅を遮るように皐月が言った。

「私たちのことは一先ひとまずいいじゃない」

「おっとそうだな、悪い」

 本当に申し訳なさそうに、田中は苦笑を浮かべながら頭を掻いた。話題を変えるように、皐月が訊ねる。

「ねえ、〝寺生まれの田中さん〟ってことは、お寺の住職さんなの?」

「いいや。さっきも言ったが俺は拝み屋だ。そっちは俺の兄貴が継いでる」

 今度は律が口を開く。

「やっぱりそういう星の下っていうか、寺生まれだから〝見える人〟になったのか?」

「うーん、血筋の影響ってのはあるかもしれねえな」

 律の質問に、田中は難しい表情を浮かべる。

「つっても寺生まれだからって修行を通じて誰でも力が身についたりするわけじゃねえぜ? 俺の場合は生まれつきだし、実際俺の親父やお袋は霊感ゼロだったしな」

 田中の話に、興味深そうに頷く二人。

「おじさんが特別なのね」

 しみじみと呟く皐月に、半眼になった田中が恨めしげに言った。

「あのな、さっきから気になってたんだが。いい加減その〝おじさん〟っていうのはやめろ」

 きょとんとした顔の二人を交互に見遣り、田中は絞り出すように告げた。

「俺はまだ二十七だ」

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