2.今は、まだ
柚那は感情をリセットするように小さく首を振り、真剣な表情で尋ねた。
「……どうして?」
その言葉には様々な意味が込められていた。
どうしてこんなところにいるのか。どうして学校に来なくなったのか。そしてどうして自分を含め、クラスメイトや友人たちさえ一切の接触を断っていたのか。
言葉の意味を痛いほどに理解した律は、答えを探すように目を泳がせた。視界の端で捉えた皐月は、数歩離れた位置で微笑んでいる。
皐月が会話に混ざることもできる。できるが、それはあくまで
これは柚那相手に限った話ではない。皐月の存在を第三者間と共有することで、律が将来的に『更生』を成し遂げた時、〝皐月が存在していた〟という記憶を持つ律と、周囲の人物とで大きな齟齬が生じてしまうだろう。このややこしい自体を避けるため、律が第三者と接触する時、皐月は極力接触をしないことを二人は決めていた。
なお、皐月が一方的に話しかけ、律は返答せずに耳を傾けるという方法を取れば、誰かと接触している際に皐月から助言を貰うことはできる。だが今の皐月を見る限りそうしてくれる様子は一切ない。やはり「自分で考えろ」ということなのだろう。
律は深く息を吸い、吐き出し、観念したように柚那と目を合わせた。
「悪いが、全部は話せない。それでも良いか?」
黙って頷く柚那をじっと見据え、律はぽつりぽつりと語りだした。
「あの日。引きこもるようになった前日。僕はある出来事に巻き込まれた。いや、巻き込まれた、というのはちょっと違うな。自分から危険に足を踏み入れてしまったんだ。その結果、僕は学校へ行けなくなった。そして」
「ねえ、いいかな」
律の言葉を遮る柚那。律も予想はしていたのか、柚那の言葉を黙って聞いている。
「早速腰を折るようで悪いんだけど……その出来事っていうのは何だったの?」
柚那は申し訳そうにしながらも、一字一句聞き逃すまいと構えている。だが、律の返答はシンプルだった。
「それは、言えない」
「それが一番気になるんだけど」
「わかってる。でも言えない」
「どうしても?」
「どうしても。これでもぎりぎりなんだ、わかってくれ」
柚那は律の頑なな態度に小さく溜息を吐くと、言った。
「わかった、もう聞かない。……納得はしてないけど」
「助かる」
二人の間に、奇妙な沈黙が流れた。それを先に破ったのは律だった。
「ええと、それで。その出来事があってから、僕は外出を止め、友達や知り合い……とにかく家族以外の人間との一切の接触を断った」
「それも、理由は言えないのね?」
律は柚那の問いを、頷きで肯定する。
「それから僕は一年以上、自宅で勉強を続けていたんだ。その間も筋トレとかはしてたんだけど、ここ数ヶ月になって流石に体力が落ちてきてさ。体力づくりを兼ねて、こうしてこっそり走ることを始めたんだ。身体が鈍る不快感は、陸上部の沢村ならわかるだろ?」
今度は柚那のほうがこくりと頷いた。元々身体を動かすことが好きな柚那だ、長期間外に出ないこと自体、耐えられないだろう。
それに、説明というにはあまりにも歯抜けな内容であるが、律がここにいた経緯は理解できた。今はこれだけでも十分かもしれない、柚那はそう考えた。
しかし律の説明には、意図的に省かれた部分がいくつかあった。彼の能力については当然だが、生前の皐月についても、その存在ごと語ることを避けていた。
あえて説明せずとも話の筋は通るからこそ説明をしなかったが、何より、彼女の死を言葉にして説明することに、今の律は耐えられそうになかったのだ。
だがそれは、自分を心配し、真摯に向き合ってくれる相手に嘘を吐いているに等しい。律の心を罪悪感が
「こんなの、全然説明になっていないよな。けど、悩んで悩んで、これが一番良いと判断したんだ。……勝手なこと言ってごめん」
そう言って頭を下げる律に、柚那は慌てた様子を見せる。
「ちょ、やめてよ! こっちこそ、無理に聞き出そうとしてごめん」
言って、柚那も頭を下げる。そしてお辞儀をし合っている状況に互いが気づき、どちらからともなく口元が綻んだ。
「ふふっ」
「あはは」
苦笑から始まったそれは、やがて笑い声となって河原の道に響いた。
笑い合う二人を、皐月は穏やかな表情で見守っていた。
*
二人の家は逆方向だ。各々の家路へ足を踏み出したとき、意を決したように振り返った柚那が言った。
「あのさ! また、たまたま会ったら話しかけてもいいかな?」
その言葉に律は、薄く微笑みを浮かべる。
「ああ、もちろん。でも待ち伏せとかはしないでくれよ?」
「なにそれ、自意識過剰なんじゃない?」
再び二人は笑い合う。笑い合いながら踵を返し、少しずつ離れていく。
「いつか話せるときが来たら、何があったか教えてね」
背を向けたまま、柚那が言った。だから律も、振り返らずに返事をした。
「……ああ、約束する」
影に隠れた律の表情は、隣にいた皐月からも伺い知れなかった。
すっかり沈んだ夕陽が、光の余韻だけを残して、消えた。
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