2.依頼

 少女の剣幕に、律たちのテーブルだけでなく、『アネモネ』全体を気まずい沈黙が支配していた。


 二の句が継げない律はちらちらと視線を彷徨わせた。田中は目を逸らすようにあらぬ方向を眺め、皐月は律に視線を向けたまま微笑んでいる。

 テーブルに手をついていた雫は、ふう、と息を吐くと浮かせかけた腰を下ろした。

 雫のあまりの様子に、どうやら地雷を踏んでしまったらしいと鈍感な律も流石に気がついていた。

 いつの間にか滲んだ涙の珠は消えていた。顔色こそ憤怒の色がまだ残っているが、表情自体は変わらない。それが余計に怒りの大きさを表しているようだった。

 背筋に冷たいものが伝うのを感じ、律は我に返ったように口を開いた。

「あ、その。先輩だったんだな。さっきのは僕が失礼だった。悪かったよ」

 慌てて謝罪をする律だったが、しかし、雫の表情も顔色も一切変化はなかった。

「……なさい」

 律の謝罪を意に介さず、無表情のまま、雫はなにやら小さく呟いた。よく聞き取れなかった律は思わず聞き返す。

「なんだって?」

「証明してみせなさい」

 間髪入れず、雫が言った。少女が発した言葉はまるで、刑を宣告する裁判官のように響いた。

「あんたたちが本当に役に立つというのなら、それを証明してみせなさい」

 向かいの席に座る少女の目は完全に据わっていた。その底冷えのするような声に、律は思わず背筋を伸ばしていた。

「証明って……どうすればいい」

 雫をこれ以上刺激しないよう慎重に問いかける律に、雫は懐から折り畳まれた紙を取り出した。

「ここに私の力を頼って舞い込んできた依頼があるわ。これを解決してみせなさい。そうすればあなたたちの力が本物だと認めてあげる。それに、私に対する非礼も不問にしてあげるわ」


 律たちはアオイに対抗すべく、協力に向けた話し合いをするため『アネモネ』に足を運んでいたはずだった。しかし目の前の少女の様子を見るに、もはや話し合いどころではないのは明白だった。

 この場を設けた田中は頼りになりそうにない。まずは目の前の課題を乗り越えなくてはならないことを理解した律は、溜息を吐きたくなる気持ちを抑え込みながら訊ねた。

「……わかった。詳しく聞かせてくれ」

「いい心掛けね」

 一見上機嫌な口調で返した雫だが、しかしその目は全く笑っていなかった。乾いた音を立てて紙を開きながら、雫は言った。

「ある学生グループの中で、ちょっと困った事件が起こっているみたいなの」

 律が浅く頷いたそのとき、これまで一切変わらなかった雫の表情に変化が起きた。新月の前の三日月のように、少女の両の目と口元が控えめな弧を描いたのだ。

「概要はここに書いてあるけれど、足りない情報は現地で仕入れて。大丈夫、簡単な依頼よ。少なくとも私にはね。たぶん、命の危険は無さそうだからその点は安心していいわ」

 そのかおと含みのある発言に言いようのない不吉さを覚え、律は身を固くする。雫はそんな律に向かってわざとらしく小さく首を傾げると、口を開いた。

「事件が起きている場所は……聖アナスタシア学園」


 少女の唇から紡がれたのは、律にも聞き覚えのある学校の名だった。

 律たちのやり取りを黙って聞いていた田中はぎょっと目を剥き、皐月も目を見開いて口元に手を当てた。

「ちょっと待て……」

 自分の耳が拾った言葉が何かの間違いではないかと確認するように、律は掌を雫に向けながら言った。

「僕が聖アナスタシア学園に行って、現地調査をする?」

「ええ、そうよ。あなたは聖アナスタシア学園で現地調査をして、事件を解決する。そうすれば私はあなたを認める。実にシンプルだわ」

 天気の話をするような気安さで言う雫に対して、律はほとんど同じ問いかけを返す。

「僕が聖アナスタシア学園に潜入して、事件を解決する?」

「ええ、そうよ」

 禍々しい微笑みを湛えながら、雫は同じ言葉を繰り返した。

 律は助けを求めるように、田中へ視線を向ける。だが田中は顔を伏せ、決して律と視線を合わせようとしなかった。

 隣の皐月を見れば、変わらずにこにこと微笑んでいる。それどころか、

「いいじゃない。楽しそう」

 他人事のようにそんなことを言ってきた。律は思わず頭を抱えた。


 田中はまだ顔を伏せており、雫と皐月は種類の違う微笑みを浮かべ続けている。

 律は堪えてきた溜息を遂に吐き出して、言った。

「聖アナスタシア学園って……女子校だよな?」

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