8.幕はまだ上がらない

 現場となった路地は、先日訪れた『Lucille』の斜向いに位置するキャバクラ店の裏手だった。

 このことに、律たちは首を傾げていた。

 週刊誌の内容が捏造ではないならば、前回までの猟奇殺人とはパターンが異なっている。行動範囲も犯行間隔も狭すぎるのだ。

 だが報道やネットの書き込みから判断するに、律が再演した人狼と何らかの関わりがある可能性は高い。喉に刺さった小骨のような違和感を覚えながらも、放置しておくわけにはいかなかった。


 事件が報道された直後、現場付近は警察やマスコミの目が絶えなかった。死体のあった場所に近づくことさえ難しかっただろう。そう判断した律たちは、二週間ほど待ってから行動を起こした。

 時間帯は最も人が少なくなる午前中を選んだ。朝まで営業している店舗も清掃まで終え、夕方から夜にかけての開店時間までは施錠される時間帯だった。


 事件発生から約二週間。あれだけショッキングな事件にも関わらず既に世間の関心は他に移りつつあった。猟奇的な犯行の詳細が報道されなかったことや、現場が繁華街だったことから「自分には関係のない話だ」と受け取る者が少なくなかったためだ。

 加えてつい数日前に芸能人の大きなスキャンダルが発覚したことで、地方都市で起きた殺人事件の印象はすっかり薄れてしまった。

 報道陣が波を引くようにいなくなったのは、律たちにとって好都合だった。出歩いているところをリポーターに捕まり、映像が電波に乗って流されてしまったら。引きこもりの律は思わず身震いした。

 警察も巡回を強化していたが、繁華街全体を四六時中カバーしているわけではない。警戒態勢は犯行時間に共通する夜間から未明に集中していた。休日の午前中に少年が歩いていたところで、咎められるいわれもない。

 今が絶好の機会と、律たちは再び繁華街の裏路地へ足を踏み入れたのだった。


 凄惨な事件が立て続けに起きたことも影響しているのか、日中とはいえ以前訪れた際はちらほらあった人影もまったく見かけなかった。そのお陰で、律たちは誰に見咎められることなく路地の奥まで進むことができた。

 程なくして、律たちは現場とされる場所へ辿り着いた。

 今回も、前回同様のスプラッター現場を目にすることになるだろう。二度目とはいえ、そう簡単に慣れるものでもない。

 律は深い呼吸を数度繰り返し、覚悟を決めたように背筋を伸ばす。そして路地へと刻まれた殺人の記憶を呼び戻すため、能力を解放した。しかし。

「何も……起こらない……?」

 一分、五分。十分と時が経っても、いっこうに世界は変わらなかった。大型車のエンジン音が離れた道路から微かに聞こえてくる以外、周囲は静まり返っていた。

 裏路地とはいえ、基本的には表通りと平行ないし直角に道が伸びており、いずれも複雑な地形ではなかった。

 大まかな位置はニュースの空撮映像から判断でき、また店の名前も複数のネットの書き込みから明らかになっており、間違えようのない場所だったのだ。

「おかしいわね」

 皐月も首を捻っている。

 律がそんな皐月に向かって何か言いかけたそのとき。ガリ、という小石を踏む音が少し離れた聞こえた。

 弾かれたように身を固くし、やってくるであろう何者かに警戒をあらわにする。

 やがて、覚束おぼつかない足取りで人影が近づいてくる。

「……沢村ぁ?」

 果たして、思わず気の抜けた声を上げてしまった律の前に現れたのは、先日河原で出会った同級生の沢村柚那だった。律の声に反応したのか、下を向いていた頭を上げ、僅かに目を見開く。

「藍川、くん……?」

 こんなところで何をしているのかと言いかけた律は、お互い様だと気づき言葉を呑み込んだ。代わりに、突然の再開を果たした相手を見つめる。

 驚愕がまさってすぐには気づかなかったが、よくよく見れば柚那はたった数週間で随分とやつれていた。視線はふらふらと定まらず、口元も半開きになっている。足にも力が入っておらずふらふらと揺れており、快活な少女が見る影もなくなっていた。

「だ、大丈夫か? いったいどうしたんだ」

 咄嗟に律は予想を立てる。練習中に怪我でもしてしまったのだろうか。それで陸上部の練習に出られなくなり、焦りや他部員への申し訳なさから憔悴している……? 一応筋は立つ。そこで不躾かと思ったが、心配心から律は柚那の体に視線を向けた。だが目立つところに包帯やテーピングは無く、怪我をしている様子はなさそうだ。いよいよわからなくなった律が次にかける言葉を選んでいると、柚那が蚊の鳴くような声で言った。

「助けて……」

 柚那はそのまま、倒れ込むように律の胸へもたれ掛かってくる。ぎょっと目を剥く律の耳に、微かな呟きが届いた。

「どうしよう……」

「いったいどうしたんだよ、沢村」

 小刻みに震える体をどう扱えば良いのかわからず、同じ言葉を繰り返すことしかできない律。

 柚那は抱き留められるような体勢のまま、首だけを上に向けた。恐怖と絶望に染まり切ったその両目は、律から言葉を奪うのに十分だった。

 だが腕の中の少女が紡いだ言葉は、なおも律を、そして皐月を、混乱の極地へと突き落とした。

「私、狼になって、人を殺しちゃった……」

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