第五話 「雨宮雫は畏れない[後編]」

1.一次試験突破

「さて、と。まずは合格おめでとうと言っておくわ。一次試験をパスしてくれたようでなにより。ねえ、律?」


 突然の来訪者――雨宮雫は、律に向かって厭らしく口の端を歪めた。


 千里眼クレアボヤンス

 その二つ名に相応しい、すべてを知っているかのような不敵な笑み。


 少女は動けないでいる律たちを素通りし、締め切ったカーテンが下がる窓の前に立つ。

 そのままおもむろにカーテンを開くと、西日が部室を染め上げた。


「最初にネタバレしておくと、そこにいる奴」


 燃えるような空を背にした少女は、眩しさに思わず目を細める律たちへ唐突に言い放つ。


「そいつは女装した男よ」


「ほわーっ!?」


 部室内の空気がピシリ、と凍りついた音を聞いた律は思わず奇声を上げた。

 そのまま誰も、ひとことも発さない。窓から射し込む強い光は、しかし凍った空気を溶かすには至らなかった。


「なっ、えっ、は……?」


 最初に口を開いたのは茉莉だった。もっとも、それはほとんど意味を成していないうめくような声だったが。

 希も麗華も、ぱくぱくと金魚のように口を開閉しながら、律と雫へ交互に視線を遣る。


 居たたまれなくなった律は三人娘から視線を外し、隣の皐月へ縋るような目を向けた。が、当の皐月はといえば、声を殺しつつ腹を抱えて笑うという器用なことをやってのけていた。


「後々になって揉めても面倒でしょ? 禍根を残さないようにって思って。私なりの優しさよ」


 真顔で言う雫だが、声は完全に嘲笑わらっていた。

 なおも動けない律につかつかと近づいてきた雫は、止める間もなく彼のウィッグを剥ぎ取った。


「あっ」


 もはや言い逃れはできそうにない。観念した律は滝のような冷や汗を流しながら、外した視線をそろそろと三人娘へ戻す。その先には、感情の死んだ目が六つ並んでいた。


 *


「本当に、すみませんでした……!」


 律は生まれて始めての土下座をしていた。

 ソファに座り必死で説明、弁明をしていた律だが、三人娘の反応は芳しくない。いたたまれなくなった律は自ら床に正座し、遂には頭を下げたのだった。


「や、やめてください!」


 茉莉が慌てたように言った。ウィッグを剥ぎ取られた女装少年が床に頭を擦り付ける様は、さすがに痛々しくて見ていられなかったのかもしれない。

 なおも頭を上げない律に、残りの二人も声を掛ける。


「そ、そこまでしなくていいって!」

「頭を上げてくださいな!」


 三人から口々に言われ、ようやくおずおずと律が顔を上げる。罪悪感と羞恥でいっぱいになった律は、目の端に涙を浮かべていた。

 その顔を見た雫が吹き出し、堪えきれなくなったのか、皐月も声を上げて笑いだした。


 茉莉たちに促され、律はソファに戻る。が、向かい合った四人を気まずい沈黙が包んでいる。


「その、本当にごめん」


 沈黙に耐えきれず、さらに謝罪を続ける律に、茉莉が身を乗り出す。


「や、違うんです。藍川さんを責めるつもりはないんです。元はといえば私が原因ですし。ただその、驚いたというか、なんと言ったらいいのか……」


 言って、気まずそうに左右の二人を見る茉莉。


「正直まだ信じられないといいますか、信じたくないといいますか……」


「こんなに可愛い子が男の子のわけがない、っていうかね」


 希の発言に思わず頷く茉莉と麗華だが、律の視線を受けて気まずそうに目を逸らす。

 笑いを堪えながら雫が言った。


「ぶ……くく、三人ともこう言ってるんだし。ふふ、この件は〝女装が似合ってる〟ってことでいいじゃない。ね、っちゃん?」


「くっ……!」


 先程はわざと付けしてきた癖にこの言い種である。律は恨みがましい目で雫を睨み、言った。


「そもそも、なんで君がここにいるんだよ。僕をからかいに来ただけじゃないんだろう?」


「随分な言い種ね。落ち着くまで待ってあげていたのに」


「自分で引っ掻き回しておいてよく言うよ……」


 雫は律の言葉を涼しい顔で受け流すと、「ちょっとそこ詰めて」と三人娘が座るソファへ腰掛けた。律と皐月はテーブルを挟んで四人の少女と向かい合う形になる。

 身構える律に、雫はおもむろに口を開いた。


「さて、と。ええ、認めるわ。あなたの能力ちからは本物よ。まあ、あんなに無粋な方法でこの子たちの仕掛けを解くとは思わなかったけど。折角なら探偵みたいにトリックを暴いてほしかったわ」


 小さく嘆息し、まるで見ていたかのように語る雫。否、実際にのだろう。彼女の能力が本物ならば。


「褒め言葉と受け取っておくよ。それで? 僕にどうしてほしいんだ。まだがあるんだろう」


 そう、雫は部室に入ってくるなり〝一次試験をパス〟したと律に告げたのだった。

 本来なら茉莉の依頼を解決した時点で雫の試験は終わっていたはずだ。だが目の前の少女が聞く耳を持たないだろうことは、少し会話を交わした関係であってもわかっていた。ならば、聞くだけ聞いてから判断しようと、律は諦め混じりな消極的な受け入れ体制になっていたのだった。


「話が早くて助かるわ。安心して。次が最終試験よ」


 悪びれた風もなく告げる雫に、律は溜め息とともに返す。


「できれば簡単なものだと助かる」


「それはあなた次第ね」


「そうかよ。で、内容は」


「千里眼を殺してほしいの」


「……は?」


 雫の発言に、律はもちろん、その場の全員が言葉を失った。

 十の目が向けられる中、雫は微笑みながら同じ言葉をもう一度繰り返した。


「千里眼を、殺してほしいの」

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