11.真相

 まさかこの場でその名を耳にするとは思わず、律は思わず身を固くする。だが自分の知るアオイの情報を話すことで、茉莉たちを闘いに巻き込んでしまうかもしれない。そう考えた律は、内心の動揺を必死で圧し隠した。

 律の内心を知ってか知らずか、薄い笑みを湛えながら律を眺め、茉莉は静かに続ける。

「すっかり日が落ちていたこともあり、帰りはそれなりに大きな道を選んでいきました。だというのに、不気味なほど人気ひとけがなかったのを覚えています。だんだん気味が悪くなってきた私は、早足で家を目指しました。そのときです。すぐ後ろから『ねえ、キミ』と声をかけられたんです」

 思い出したように茉莉は小さく身震いをする。

「……早足で歩いていたというのに、本当に耳元で囁かれたようにすぐ後ろからその声は聞こえました。思わず足を止めて振り返ったら、制服を着た女の人がにやにやと笑いかけていました。この人は誰? どうして私に声をかけてきたの? なにかの勧誘だろうか? 戸惑う私に向かって、その人は言いました」


 ――私はアオイ。浅霧アオイ。ねえ、キミ。突然だけど、超能力に興味ない?


「興味がないと言えば、それは嘘になります。けど、こんな怪しいシチュエーションで声をかけられて、すぐに食いつくほど危機意識は薄くありません。なにより、言いようのない不快感と、恐ろしさを彼女からは感じました。あまり刺激してはいけないと思った私は、急いでいることを丁寧に伝え、頭を下げてその場を去ろうとしました」


――千里眼クレアボヤンス。あんな能力ちからがあったらいいな、と思ったことはない?


「その言葉は、私の足を止めるのに十分でした。彼女は言ったのです。、ではなく、と。それは、明らかに雫様のことを匂わせた言葉でした。私は震える足を引き摺るように振り返りました」


――そんな怖い顔しないでよ。別に今すぐあの子をどうこうする気はないからさ。ね、それよりどう? キミも欲しくない? 特別な力ってやつをさ。


「すぐに逃げ出すべきだったんです。逃げ切れたとも思えませんが、それでも逃げ出すべきだったんです。でも、私の足は動きませんでした。彼女の井戸のようなくらい瞳から目を逸らすこともできませんでした。彼女は口の中でなにかを呟きながら、動けない私にゆっくりと近づいてきました。互いのつま先が触れ合ってもまだ彼女の瞳は近づいてきて、そして、柔らかく、ぞっとするほど冷たいものが私の唇に触れました。時間にしたら数秒ほどだったと思います。いきなり私の唇を奪った彼女は、舌を自分の唇になぞるように這わせて、にっこりと笑ったんです」


――私からのプレゼントよ。覗き見しかできない力より、ずっとすごいんだから。


「そこで金縛りが解けたように、体の自由が戻ったのを感じました。足が自然と動き、私は全速力で逃げ出しました。最後に振り返ったとき、彼女は追ってくる素振りもみせず手を振っていました。それが余計に怖くて、私はもう二度と振り返りませんでした」

 言葉を切った茉莉は、小さく息を吐いた。律も、二人の少女も、皐月さえなにも言わない。かける言葉が見つからなかった。絶句した一同に小さく苦笑を浮かべた茉莉は、再び口を開いた。

「十五年間生きてきて、最も恐怖を感じた日でした。なんとか家に帰り着いた私は、ベッドに潜り込んで震えていました。窓の向こうにあの瞳が待ち受けている気がして、布団から出ることができませんでした。何時間そうしていたかわかりません。時間を確かめようにも、スマホは床に放り投げた鞄の中です。とてもベッドから這い出て取りにいく気力もなく、鞄の中にあるスマホを想像しながら途方に暮れていたときでした。私の手が、なにか硬いものに触れたのです。驚きながらもそっと確かめてみると、それは私のスマホでした。鞄の中にあるはずのスマホが、ベッドの中にあったのです」

「なるほど、ね」

 律の横で、なにかを確信したように皐月が囁いた。

「当然、私は混乱しました。間違いなく鞄の中にあるはずのスマホが手元に現れたのですから。そこで私は唐突に、彼女の『超能力に興味ない?』という言葉に思い至りました。思わず体を起こした私ですが、このときはまだ確信がもてませんでした。できるはずない、そう思いながらも、今度は鞄の中にあるはずの手帳を想像してみました。――でも。教科書が入っているのとは別の仕切り、縦向きにしまってある手帳を思い描いたとき、膝の上にそれはしました。驚き、恐怖、様々な感情が湧き上がってきましたが、そのときの私を支配していたのは際限なく強まっていく高揚感でした。本当に、呆気ないほどに、私は憧れていた超能力が使えるようになったのです」

 茉莉の話を遮るように、棟内にチャイムが鳴り響いた。最後の授業が終了したことを知らせる合図だ。律たちが侵入したときには昼過ぎだったが、気づけば夕方になっていた。補講に来ていた生徒たちも、やがて帰宅していく時間だ。

 波が引くように小さくなっていくチャイムの余韻が聞こえなくなってから、茉莉は続ける。

「すっかり恐怖を忘れた私は、様々なもので能力の実験をしました。運べるものの大きさや重さが増すほど、運べる距離が短くなることがわかりました。呼び寄せるだけでなく、逆に送ることもできることが実験を通じてわかりました。このとき私は高揚感に加え、妙な全能感を覚えていました。『覗き見しかできない力より、ずっとすごいんだから』という彼女の言葉が、頭の中で延々と繰り返されていました。あのときの私はどうかしていました。今思い返しても、なぜそんな結論に至ったのかわかりません。でも、私は思ってしまったのです。この力があれば、雫様に認めてもらえる。それどころか、雫様に尊敬され、私のほうが上に立てるかもしれない、と」

「偶然というには背後の悪意が見えすぎているわ。なんらかの思考誘導があったのでしょうね」

 顎に手を当て言う皐月に、律も小さく頷く。

「……あとは、藍川さんも知ってのとおりです。私は自分で起こした騒ぎを、自分で雫様に依頼しました。貴女の力が本物ならば、種もトリックもないようなこの事件も解決できるでしょうという、挑戦状のつもりだったんです。これが、事件の全容です」

 言った茉莉は、晴れやかな顔をして頭を下げた。煮るなり焼くなり好きにしろという、潔さが感じられる所作だった。律は頬を掻きながら言った。

「ありがとう、話してくれて。だからって自分の写真を使うのはどうかとは思うけどな……」

 違法なんじゃないか、という言葉は超能力だなんだという要素の前に呑み込んだ。

「女装して女子校に侵入してる律くんが言えたことじゃないしね」

 悪戯っぽく笑う皐月をあえて無視して、律は言った。

「ま、まあさっきも言ったが、こちらとしては君を糾弾するつもりはない。その点は安心してほしい。……君たちもそれでいいか?」

 律が希、麗華に視線を向ける。二人は真剣な表情で頷いた。

「もちろんですわ。むしろ事を荒立てないでいただき、ありがとうございます」

「茉莉のために、ありがとうございます」

 頭を下げる二人に、律は眩しいものを見たように目を細める。

「えーとそれじゃ、ぼ……私はそろそろ雫さんのところに報告に戻ろうと思う」

 言って、律が腰を浮かせかけたときだった。

「それには及ばないわ」

 突如がらりと部室の引き戸が開けられ、全員の視線が集中する。

「ちょっと時間かかりすぎじゃない?」

 視線の雨をかいくぐり、呆れたような声とともに小柄な体躯が姿を現した。

 部室へと足を踏み入れた声の主は、律を見て目を丸くする。

「へえ、生で見るとやっぱり違うわね。なかなか似合ってるじゃない。藍川律

 現れるなり爆弾を落としてきたのは、雨宮雫その人だった。



第四話 「雨宮雫は畏れない[前編]」 終

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