4.決戦準備

 翌日は都合良く土曜日だった。両親から外出が許される休日だ。

 皐月の提案する〝策〟に必要な準備のため、律たちはホームセンターへと足を運んでいた。そこで必要なものを買い揃えると、足早に帰路へとついた。帰宅してからもやるべきことがあったのだ。

 ちなみに、律は引きこもるようになってから特に小遣いは貰っていなかった。このような状況を許して貰っている上、小遣いまで受け取れないと自分から固辞したのだ。律の使える金額は過去に貯めたお年玉が全てだった。とはいえ小学六年生までほとんど手を付けずにこつこつ貯めた金額はそれなりに膨らんでいた。余程の出費がない限り、当面は律が金銭的に困窮することは無さそうだった。

 なお、あわよくばの可能性に賭けて臨んだ前夜は、やはり呆気なく殺害されて終わった。


 昼前に自宅へ戻った律たちは、昼食後、自室で〝決戦〟のための準備に取り掛かる。

「考えてみたらさ、あいつは断りもなく僕の夢に現れて、毎日毎日攻撃してきているんだよな。……考えたらなんだか腹が立ってきた」

 モニタとにらめっこしながら律が言った。それまで律は、得体の知れぬ侵略者に恐怖しか感じていなかった。しかし、光明が見えてきた今、ふつふつと湧き上がる怒りに気づいた。

「そうね。言ってみれば押し込み強盗みたいなものよね。もっとも、奪うのは律くんの命だけれど」

「それだよ。いったい僕に何の恨みがあるってんだ」

 律は不満そうに口を尖らせる。

「はっきり言って、あいつがなんなのかはわからないわ。執拗に同じ場所を狙ってくるところから絞り込めないか色々と調べているのだけど」

「背中、だな」

 律の言う通り、夢の中の男は執拗に背中を狙ってきた。初撃は首筋など他の部位を攻撃してくることもあったが、 は必ず背中だった。ここが最も優先的に対策を立てるべきところだろう。

 律の言葉に頷いた皐月は、律の表情を確かめるように問う。

「ねえ。くどいようだけど、無理に乗らなくてもいいのよ? 想定以上に危険な可能性もあるわ」

 皐月は再度、律の真意をはかっていた。自分への好意から、気乗りしない案を採用しようとしているのではないかと皐月は懸念していたのだ。

 律の脳が精神を守るために生み出した架空の存在イマジナリーゴースト、それが皐月だ。しかし彼女は、律が能力を十全に引き出すためのインターフェイスとなる。律が己の能力を自覚し、更生を進めていく上で、単に反射的に反応を示すだけでは不十分だと律の脳は判断した。ゆえに皐月は、膨大な知識量に加え、ほぼ独立した自我を得ていた。

 律は視覚的にも別個の存在として認識しているが、実際は律の脳という基幹部分から二つの自我が枝分かれした、俗にいう二重人格に近い状態だ。律の脳はこの歪な状態をあえて造り出していた。

「ああ。僕なりによく考えた上で、いけそうだと判断した。……だいたい一年以上引きこもっている臆病者が、見栄や蛮勇で動かないことはよく知ってるだろう?」

 自虐混じりの言葉を吐いて苦笑いする律に、皐月も苦笑を返す。

「違いないわね」

 この様子なら大丈夫だろうと皐月は密かに息を吐いた。

 今回に限らず、皐月はあくまで対話という形で律の行動を導いていた。アドバイスや警告はするが、強制することはない。

 実のところ、五感や感情へ干渉して律の思考や行動を誘導することは容易い。それをしないのは、律という本来の自我を尊重しているからだ。強引に干渉をし続ければ、彼の自我は大きく形を変えて しまうだろう。かつての精神にできる限り近い状態へ戻す、それが『更生プログラム』の目的だ。生命の危機など已むを得ぬ場合を除き、基本的に律の意志に任せる方針を取っていた。


 今回の件は皐月――律の脳にとってもイレギュラーな出来事だった。しかしこれを乗り越えることで、律が大きく成長することができる機会になり得るとも踏んでいた。

 皐月は小さく息を吸うと、律から最も不敵に見える表情を作った。そして相変わらずモニタを食い入るように眺めている律に向かって言った。

「さて律くん。私は様々な文献や資料から戦争や試合のデータを取り入れているの。その上で問うわ。対決に臨むにあたって、最も重要なことはなんだと思う?」

 唐突な問いに虚を突かれた律だが、数秒唸った後、伺うように言った。

「……入念な準備と、冷静さを失わない心、とか?」

「当たらずも遠からずね」

 皐月は綺麗な三日月型に口元を歪めた。

「して、正解は?」

「知力と、体力。それとクソ度胸よ」

「……今、なんて?」

 思わず問い返した律に、皐月は力強く繰り返す。

「クソ度胸よ」

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