3.避けられぬ凶刃

 律は憔悴しきっていた。

 あくる日も、またあくる日も律は同じ夢を見た。そしてその度に律は殺された。


 律も甘んじて男からの凶刃を受け入れていたわけではない。

 三度目で夢の中の律の足を動かすことに成功して以来、少しずつ夢の中の律を操作できるようになり、回数を重ねる毎にそのコントロールは上達していった。明晰夢とはいえ自在に場面を変えたり、空を飛んだりといったことはできなかったが、立ったり、屈んだり、走ったり、物を手に取ったり……と、現実の肉体と遜色なく操作することはできるようになった。

 しかし夢の中の律がいくらルートを変えようとも、刃物男はまるで地面から湧いて出たように突如背後に出現して律を襲った。

 ただの悪夢ではない。危機感を覚えた律は、皐月とともに様々な対策を考えた。


 駐車場を抜け、路地に出た瞬間に全力疾走をしてみた際は、走りながら背中を刺された。

 得物として傘を購入し路地で反撃を試みたときは、一瞬のうちに出現した男に背後を取られて終わった。

 そこで路地のブロック塀にぴったりと背をつけた上、傘を持ったまま左右を警戒して迎撃態勢をとった。しかしブロック塀の上に現れた男に襟筋を刺され、うずくまった背中へ駄目押しとばかりに刃物を深々と突き立てられた。

 コンビニのトイレに立て籠もったときは、突然上部の窓が割られた。思わず振り返った隙に背中を刺された。鍵はいつの間にか開いていた。

 警察やタクシーを呼ぼうにも電話はどこにも繋がらず、店員や他の客に助けを求めても異常者を見る目を向けられるだけだった。

 形振なりふり構わず、コンビニの屋根や電柱によじ登ってみたり、停車中の車を奪って逃げようともした。しかし屋根の上では路地と同じように刺され、電柱では力尽きてずり落ちた際に刺された。窓を割って車に侵入した際はエンジンがかからず、現れた男に引きずり出され殺された。

 思いつく限りのどんな手段をとっても、どこからともなく現れた男に律は殺され続けたのだった。


「……もしかすると、これもの弊害かもしれないわね」

 考え込むように口元に手を当て、真剣な表情で皐月は呟く。

 はじめて悪夢を見てから、既に二週間ほどが経過していた。律たちは勉強や外出の時間を、すべて悪夢の対策に割いていた。一日中疲れた様子で食事にもろくに手をつけない律を、両親も酷く心配していた。律の心身に限界が来る前に、一刻も早く解決しなければならない。

「一説によれば、明晰夢は前頭葉が半覚醒状態のときに見ると言うわ。前頭葉は脳内において思考や意識などを司る器官。能力のおかげで脳の処理能力が飛躍的に向上した反面、きみの前頭葉は眠っているときでさえ常人よりも活発に活動しているのかもしれない。それが明晰夢を見やすい状態にしているのかもしれないわね。だからといって同じ悪夢を毎晩見る理由にはならないけれど……」

 目の下に痛々しく隈をつくった律が絞り出すように言う。

「夢だと分かっていても何もできないのは、なんというか……きついな」

 そして律は、どこか皐月の顔色を伺うように言った。

「なあ。確認なんだけど、これは〝訓練〟とかじゃないんだよな? あの首吊り男みたいに」

「ええ、完全にイレギュラーよ。サポートをする側として、情けないことにね」

 率の問いに、皐月は苦笑交じりで応えた。だが、やや焦りの滲んだ皐月の声に、律はいっそう危機感を強める。

「そうか、ごめん。なんだか疑うようなこと言って」

「良いのよ。その疑問は当然だわ」

 律は皐月に向かって軽く顎を引き、ぼそりと呟いた。

「あいつは一体、なんなんだろうな」

「推測どころか憶測の域でいくつか正体を考えてはいるけれど、現時点ではっきりとしたことはわからないわ。確かなのは、あいつは明らかに悪意を持って律くんの心身をさいなんでいるってこと」

「打つ手なし……か」

 意気消沈した律に、皐月は言った。

「いいえ、一応対抗策はひとつ考えてあるわ」

「あるのお!?」

 思わず声が裏返ってしまった律に、皐月は信じられない言葉を告げた。

「ねえ、律くん。……普通の人間をやめるつもり、ある?」

 だが皐月の言葉に間髪入れず、律は当然のように頷いた。なぜなら、

「あのさ、今更じゃないか?」

 やや呆れたような律に、皐月も苦笑を返す。

「まあそうよね。こうして私と会話している時点でどう考えても〝普通〟じゃない。でも、そうね、訊き方を変えるわ」

「更に〝普通〟から逸脱して、〝異常〟に踏み込む勇気はある? この采配を誤ると、たとえ『更生プログラム』が終わっても〝普通〟の人間には戻れなくなってしまうかもしれない。このまま夢の中の戦い方を考えるって案もあるわ。よく考えて決断して」

 それを聞いた律はじっと押し黙る。目を瞑り腕を組んでいた律は、数分ののち静かに目を開いた。律はひとつひとつ確かめるように呟く。

「リスクはわかった。でもこれ以上いい案が出る気がしないし。正直限界が近い。なにより皐月さんの案だ。僕は信じたい」

 そして律は顔を上げ、真っ直ぐに皐月を見た。

「なあ、皐月さん。確認だけど、その案を採用したら僕はどんなことができるんだ?」

 律の問いに、皐月は真面目な顔で答えた。

「あいつをぶっ飛ばせるわ」

「……乗った」

 そして二人はにやりと笑いあった。

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