2.逃れられぬ悪意

 立ち読みを終える。炭酸飲料とミントタブレットを買う。コンビニを出る。

 まるで台本があるように、前日に見た夢と全く同じ流れを辿る夢の中の律。

 そして見えない台本に従って、路地に出た途端またも律は刺殺された。


 *


 飛び起きた律は、荒い息のままに皐月を見遣みやる。

「ちょっと意識しすぎかもね」

 苦笑する皐月に、ほっと息を吐く。

「そうだな」

 確かめるように背中に手を遣るが、当然、そこには傷も漏れ出た血液も無い。

 皐月の言うように意識しすぎかもしれないと律は思った。また同じ悪夢を見たらどうしよう、と就寝前に考えてしまったのだ。

 妙な胸騒ぎを覚えた律だったが、切り替えて行こう、と自分に言い聞かせ新しい一日を始めたのだった。


 皐月との雑談を挟みながら、勉強をし、筋トレをし、知識を蓄える……一日はつつがなく過ぎていった。

 そして就寝前となった。立て続けに酷い悪夢を見たせいで、律は流石に不安を隠せない様子をしていた。そんな律の手を、皐月は優しく握った。

「大丈夫よ」

 握られた手だけではなく、全身を包み込むような皐月の微笑みに、律は心がすうっと軽くなるのを感じる。

「……ごめん」

「なんだったら、こうして手を繋いだままにしましょうか?」

 からかうような言葉に顔を赤らめた律は、そっと手を引き抜くと言った。

「大丈夫だよ。皐月さんのおかげで、今日はたぶん、大丈夫」

 律の言葉に、強がっている様子はない。不安げな雰囲気は鳴りを潜め、穏やかな表情をしていた。

 皐月は小さく頷くと、囁くように言った。

「おやすみ。良い夢を」

「今日はなんだかいい夢が見れそうだ。おやすみ」

 皐月へ言葉を返し、律は夢の世界へと旅立つ。


 そして当然のように、律たちの期待は裏切られた。


 *


 気づけば律は、三度みたび夢の中のコンビニで立ち読みをしていた。

(またか……)

 淡い希望が砕かれたことに心の中で溜め息を吐いたが、しかし夢の中の律は平然としていた。あくまでも役者は夢の中の律で、夢を見ている律は視聴者だった。

 だが今回、律はみすみす殺されるつもりはなかった。夢と分かっているとはいえ、非常にリアルな恐怖や痛みを覚えるこの悪夢を、なんとか回避しようとしていた。

 棚に漫画雑誌を戻すとき、冷蔵庫から炭酸飲料を取り出すとき、レジで会計をするとき。律はの動きに全力で抗おうとした。

(動け、動け! ――動けッ!)

 すると、店を出た瞬間、律の足が向かう方向が僅かに変わった。

(やった!)

 そのまま念じ続けると、僅かな差は弧を描くように次第に大きくなる。やがて身体の向きも変えることに成功した。

 過去二回は、コンビニの駐車場を横切った後左折するように路地へ出ていたが、今回は右折する形だ。

 あの男――夢の中の殺人鬼は、律の背後に突然現れていた。以前と逆方向へ向かえば、少なくとも正面から迎え撃つことができるだろう、と律は考えた。


 路地へ足を踏み入れ、警戒しながらもそのまま数歩進む。男の姿はまだ見えない。ブロック塀や電柱が並ぶ何の変哲もないその路には、大人一人が隠れられるような場所はない。

 律の視線は二十メートルほど先に向けられていた。

(……あそこが怪しいな)

 律の目は、視線の先のブロック塀に向けられていた。行き止まりではない。その場所は丁字路になっており、左右に路が延びているようだった。待ち伏せにはうってつけの場所だ。

 背後や塀の上などにも時折視線を遣りながら、律は慎重に歩を進めていった。そして丁字路が数メートルほどまで迫ったときだった。

「うぐ……っ!?」

 ドン、と背中に強い衝撃を覚える。律と、夢の中の律は同時に声を漏らした。

 刺された、自覚とともに振り返ると、そこには案の定あの男がいた。

(なんでだ……っ!?)

 痛みとともに、困惑が頭の中を塗り潰していく。それなりに長い一本道を、時折振り返りながら進んでいたのだ。気づかれずここまで接近を許すはずがなかった。

 男は、やはり嗤っていた。

 膝をついた律に視線を向け、心底楽しそうに嗤っていた。

 何をしても無駄だと、律の小細工を嘲笑っているようだった。

 猛烈な痛みとともに意識が遠退いていく律の目に、男の嗤いが焼き付き、暗転した。

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