7.決着

 勝利を確信した男が醜悪な笑みを深め、律の背中へ得物を振り下ろそうとしたそのとき。律は嗤う男を見据えて、告げた。

「闇に紛れて背中を狙う殺人者。闇夜に忍び寄るモノダーク・ストーカー。……それがお前を縛る呪いだ」

 律の言葉に一瞬怪訝そうな様子を見せた男だが、特に異常がないことがわかると、再度ナイフを握る手に力を込めた。あとはその刃を突き立てれば良いだけだ。律の命はもはや風前の灯火だった。

 だが一秒、二秒――凶刃が振り下ろされることは無かった。ナイフを振り上げた姿勢のまま動きを止めた男は、律の背後――燃える朝焼けを見ていた。


 律は小さく息をつくと、よろよろと立ち上がった。

 硬直する男を冷めた目で見据える律は、皐月との会話を思い出した。


 *


 遡ること半日ほど。モニタに映る動画を延々と眺めている律に向かって、皐月は言った。

「鋼板、能力を使った身体能力。これらは対策のかなめではあるけれど、どちらも防御面に寄ったものよね。あいつをやっつけるには決め手に欠けるわ」

 顔をモニタに向けたまま律は頷く。

「そうだな、じゃあどうすればいいんだ? この動画の動きをトレースするのも、結局回避だけしかできないんだろう?」

 皐月は頷き返し言った。

「悪霊なのか妖怪なのか……相手は正体不明の存在よね。そこを逆に利用してやるのよ」

「……どういうことだ?」

 思わずモニタから顔を離して視線を向けてきた律に、皐月は続ける。

「古来から人々は不可解な現象や災害に、精霊や神、妖怪の名を与えてきた。名を与え、特徴を付与することによって存在を定義し、縛り付ける。名付けという呪いを用い、人間は混沌を秩序で侵略してきたのよ」

「なんとなくわかってきた。つまり僕は、あいつを〝こういうやつだ〟って決めつけてやればいいんだな?」

「さすが理解が早いわね」

 嬉しそうに頷く皐月。

「その通りよ。曖昧な部分を定義して、縛ってやるの。その中で在り方に矛盾さえなければ、を勝手に決めつけてやることもできるわ。そうねえ、たとえば……」


 *


 〝日光に弱い、とかベタでいいんじゃない?〟律はにやりと笑う皐月の顔を思い出す。

 硬直から解けた男は目を覆い、悶え苦しんでいる。自慢のナイフは取り落とし、足元へと転がっていた。


 空も飛べない、蝙蝠に変化もできない、武器はナイフと素手のみ、しかし日光には弱い……律たちは男の存在を定義することで、そんな吸血鬼ヴァンパイアもどきの存在へと陥れたのだ。


 そして律たちは夢の中の男を引き摺り出すため、悪夢と限りなく近い場を整えた。コンビニ、駐車場、路地、そして薄闇に包まれた時間帯……。そのどれもが、悪夢がそのまま現実になったかのような環境だった。しかし一部分のみ、意図して悪夢とは異なる環境となるようにしていた。


 光量が増す毎に苦しみを深めていく男に向かって、律は告げる。

「お前が出現するのは必ず日没後、周囲が闇に包まれた時間帯だった」

 だから律たちは男を〝必ず日没後に出現するのは、太陽の光に弱いからだ〟と存在を、弱点を定義した。そして喚び出した男に悟られないよう、決戦の時間帯に日の出前の早朝を選んだ。

「鋼板も、能力による回避も、僕にとっては時間稼ぎだったんだ。戦闘を引き伸ばして引き伸ばして、朝まで逃げ切ったらこっちの勝ち、って具合だ」

 と、律はそこで苦笑交じりに頬を掻いた。

「……まあ、日の入りの時間だけ調べて、建物に遮られるのを計算に入れてなかったから、予想より朝日が射してくるのが遅くて焦ったけど」

 一際強い陽射しが差し込み、低い声で唸りながら苦しみ続ける男の身体が、ぼろぼろと崩れ始める。

 もはや言葉が届いているかどうかも怪しい男へ、滔々とうとうと律は語り続ける。

闇夜に忍び寄るモノダーク・ストーカー……僕はなかなかかっこいいと思うんだけど、皐月さんは『小物臭がしていい名前』って言ってたな」

 視線を遣れば、コンビニの駐車場から路地へと出てきていた皐月が大袈裟に頷いていた。

「というわけで、まあこれで終わりだ。僕の夢に現れたのが運の尽きだったな」

 言いながら、律は男の胸を掌でどん、と突いた。

 後方へ倒れ、鈍い音を立ててアスファルトと衝突した男の身体は、その衝撃でバラバラになった。朝日に照らされたそれらは、砂のように粒子状になって更に崩れていく。そして一陣の風とともに、男は跡形も無く消失した。


「お疲れさま」

 路地の入り口付近にいた皐月が、微笑みながら近付いてくる。

「ああ。色々ギリギリだったけど、なんとか勝った、んだな」

 律はつい数秒前まで男がいたアスファルトを見据え、確かめるように呟いた。

「かなり付け焼き刃な作戦だったからね。まあ上手くいったから良しとしましょう。さ、反省は後にして、ひとまずもう帰りましょ。流石に疲れたでしょう」

 言って、皐月は律の手をとった。律は思わず顔を赤らめる。


 二人は自宅へと向かって並んで歩く。

 律は何かを言いかけて、やめるという動作を繰り返していた。そしてついに言葉を見つけたのか、やや上目遣いで皐月に問いかけた。

「あのさ、闇夜に忍び寄るモノダーク・ストーカーって、そんなに駄目か?」

「……正直に言っていい?」

「ああ、頼む」

 いつになく真剣な表情の皐月に、律はごくりと唾を飲む。

「端的に言うと……めちゃくちゃダサいわね。〝モノ〟が片仮名なあたりが特にきてるわ。ザ・男子中学生って感じのネーミングセンスね。あ、いっそそっち方向で突き抜けて、名前をダガーで囲ったら良いんじゃないかしら。お誂え向きにナイフを使っていたし。†闇夜に忍び寄るモノ†ダーク‡ストーカーとか。あ、いけない、想像したらもう……ふふ」

 歯に衣着せぬとはまさにこのことだろう。実は結構自信のあったネーミングセンスを襤褸糞ぼろくそに貶され、律はがっくりと肩を落とした。その隣で、皐月はいつまでも楽しそうに笑っていた。

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