第二話 夢の中の男
1.悪夢
律は夢を見ていた。
なぜなら律は学生服を着て、放課後と思われる時間帯にコンビニで立ち読みをしていたからだ。現在の律からすればありえないその状況は、かつて律が学校に通っている頃には半ば習慣となっていた行動だった。
季節は晩秋だろうか。目の前のガラス越しに空を見れば、既に外は夜の帳が下りている。しかし駐車場より奥の風景は、
漫画を読み終えた律は雑誌をもとの棚に戻し、喉の渇きを覚えたため炭酸飲料とミントタブレットを購入して店を出た。
律は操作のできないFPSゲームのような奇妙な感覚を覚えていた。喉が渇いたのも、商品を買ったのも、律の意思ではなかった。夢の中の律が喉の渇きを感じ、勝手に行動しているのだ。それを夢を見ている律が、夢の中の律の視点で追体験している。夢の中で自在に動き回れるような明晰夢とは異なっていた。
コンビニを出た夢の中の律は、自宅があるであろう方角に足を向け、歩き出した。駐車場を横切り、水銀灯ランプが切れかけているのか明滅を繰り返す街灯の下を通り過ぎる。
路地に出た刹那、背中からドン、と強い衝撃を覚えた。続いてきたのは焼けるような感覚。のろのろとした動作で振り返ると、人影が張り付くように立っていた。背中に手を遣れば、ぬるぬると生温かい感触。刺された、と自覚した途端に猛烈な痛みが律を襲った。思わず膝をついた律は、
*
がばっ、と音がするほどの勢いで律はベッドから飛び起きた。全身にびっしょりと汗をかき、荒い息を繰り返しながら、律は思わず背中に手を遣った。そして何事もないことを確認して思わず息を
「また酷い夢を見たわね……」
気遣うような声の方へ目を遣れば、座椅子に腰掛け本を読んでいた皐月が苦笑交じりの微笑みを向けていた。
「ど、どうして……」
言いかけて、律は言葉を飲み込んだ。目の前にいる皐月は、律の脳が生み出した、否、現在も生み出し続けている存在だ。律が見た夢の内容を共有していてもおかしくない。そう思い至る程度には平静を取り戻していた律は、恐怖の余韻を誤魔化すように小さく笑った。
「あれも明晰夢ってやつなのかな。始めて見た」
「夢は所詮夢よ。忘れましょう」
諭すように言う皐月に、律も頷いた。
「うん。『更生』のためにも、夢ひとつにとらわれている場合じゃないしな」
その日は平日だったので、律たちは外出しなかった。
時折皐月のアドバイスを挟みながら問題集を進め、気分転換を兼ねて筋トレやストレッチを行う。そうして一日が過ぎていった。
あの事故からまだ二週間ほどしか経っていないのに、常に皐月がいるという非日常に律は随分馴染んでいた。律はそのことを自覚していたが、人は慣れる生き物なのかもしれないなどと考えていた。しかしこの〝頭の中の幽霊〟である皐月を受け入れなければ、律の精神は依然として非常に危うい状態なのだ。イマジナリーゴーストたる皐月がいなくとも平静を保てる状態、それこそが律たちが目指している『更生』だった。
律は自分の能力のルールや法則なようなものを少しずつ理解していった。
皐月は基本的に、常に律の傍にいた。律が勉強をしているときは本や雑誌を読んだり、パソコンでインターネットを閲覧したり、どこからか取り出したお菓子を食べていたりする。
しかしそれらは、律にはそう見えるだけらしい。律の勉強中や睡眠時に皐月がインターネットを閲覧し続けることで更に膨大な情報収集ができるのでは、と提案したのだが、あくまでも律が取得した情報でないと意味がないらしい。
「たとえ無意識にでも、律くんが視界に入れたり、耳で聴いたりしなければ情報は取得されないのよ。繰り返すようだけど、私が自立して動いて見えるのは、きみの脳が見せている妄想なの」
「そう、だった」
そこで律は気づいた。
「なあ、逆に視界に入れさえすれば、凄くたくさんの情報でも僕の脳は保存してくれるってこと?」
「そのとおりよ。だから上手く使えば、常人にはとても処理しきれない大きさのデータベースを構築できるわ」
それを聞いた律は、勉強が終わった後、インターネットで情報収集をする時間を設けた。ページの上から下まで目で追えないほど高速にスクロールし、ページ遷移をする作業を繰り返した。特に百科事典や辞書サイトを重点的に閲覧し、知識量の増大を図った。
基本的に皐月は律の目の届く場所にいたが、風呂やトイレにまでついて来ようとしたときは必死で押し止めた。
「私が見えなくなった途端にきみの精神が崩壊するかもよ?」とにやつきながら言われたときには恐怖で決心が揺らいだが、さすがに譲れなかった。幸いなことに、風呂やトイレで一人になっても律が平静を失うことはなかった。安心して風呂から出た律だったが、脱衣所で皐月が全裸の彼を眺めて微笑んでいたときには思わず少女のような悲鳴を上げてしまった。少年の心に新たな軽いトラウマが刻まれた瞬間だった。
やがて律はいつものように、日付が変わる前に布団に潜る。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
と言葉を交わし、電気を消して眠りの世界へと足を進めた。
――そして、彼は再び殺された。
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