03-3 それは自律と言えるのか

「コムロ? 夕ごはんの時間だけど……」

 部屋の中を覗いた少女モラウは、それきり、何も言えなくなっていた。


 部屋にいる髪がボサボサの少年、コムロ・テツが、幼馴染の来訪にも気づかずに、ずっと何かをつぶやいていたからだ。


 ブレインパワーチャージャーのモニタ画面はオフになっていた。

 



「自律こそが、人格と物とをへだてている……」


「僕の行為は尊いのか?」


「リバタニアの国民も、理性を持った人間……」


「理性は尊重されるべきだとしても、でも、その理性を外から認識することは……」


「現実世界の制約との……」




「また、小難しいことばっかり考えて。コムロのばか。ばかりこう」

 モラウは、そう言って口をとがらせた。それ以上声をかけることなく、ブリッジに戻っていった。


 考え事をしているコムロには、何を言っても通じない。

 幼馴染のモラウには、それが理解できていたからである。 


 ブリッジに戻ったモラウの耳に、ノッポに眼鏡の副官、ビヨンドの声が入り込んできた。

「艦長。カントムの形状が、まるでポン・デ・リングのような形態になっているのですが……」


「ん? どれどれ、見せてみて。……あーほんとだ。コムロ君の思考が、堂々巡りになってるんだろうなぁ。こんな形に変形するとは」


「おいしそうですね」

 と、天然なことを言ったのは、通信使の美女、マチダさんだった。ブリッジに笑いが起こる。


「金属がおいしそうだって? さすがは天然のマチダさん」

「スイーツお好きなんですね? マチダさん」

「今度一緒に、スイーツ食べに行きましょう、マチダさん」

「マチダさーん!」

 あちこちのクルーが、途端にマチダさんに絡みだしていた。


 それを渋面で見ていた、のっぽ眼鏡のビヨンド副長が「退却行動中だというのに、まったく……」と呟いた。


 ◆


「おはようございます、艦長。……カントムのエネルギーゲインが、凄まじいことになっています」

 朝になった。当直の男性オペレーターからの無線通信を受け、丸顔の艦長キモイキモイはベッドから抜け出した。


「コムロ君は相当悩んでいるようだね。まあ、無理もない。正規の訓練も受けずに、重要局面での初戦闘だったのだから」


 キモイキモイは、寝巻きから、白地に夢見草色の軍服へと素早く着替えると、足早にブレインパワーチャージャーのブースへと向かった。


 戦艦は巨大で、艦内移動にも時間がかかる。

 その為、艦内には、高速移動用のキックボードが配置され、一部の士官には専用のものが支給されていた。壁や床を認識して、そこから一定の距離を保ちながら浮くようにできていた。


「よっと」

 キモイキモイが乗った専用のキック・ボードは、機能美を追求したオーソドックスなタイプのものであった。艦長特権で、デザイン的に凝った物を選ぶ事もできたのだが。


 ブレインパワーチャージャーブースの前までたどり着く。するとそこには、疲れの見える表情のモラウ・ボウが、壁にもたれて座っていた。


 彼女の隣には、冷えたシチューと、堅くなっているであろうパンと、最初から冷えていたはずのサラダとが載ったトレイが、ちょんと置いてあった。


 モラウの左手に握られたニョイ・ボウは、ニョイーーーーン、ニョイーーーーンと、リラックスの音を断続的に立てていた。


「艦長。コムロが出てこないんです」

 と、モラウ・ボウが言う。 


「丸一日、考えごとか」

 キモイキモイがブースの外から小窓越しに中を覗くと、中のコムロは、自身の頬をつまみながら、天井方向へと目線を飛ばし、ぶつぶつとつぶやいていた。


「これは、しばらくはどうしようもないだろう。モラウ君は気にしなくていい」

 言って、艦長はモラウ・ボウの肩をポンと叩いた。


「でも……コムロはお父さんを亡くしたばかりで、あの戦闘もあって……」

 口ごもる少女モラウの目線は、床に置かれた、冷えた朝食トレイに向かった。


 ……。


 壁際にもたれて座ったまま、モラウ・ボウは、思わずつぶやいた。

「早く、現実に戻って来なさいよ」


 その時だった。


 フィーーーヨン! フィーーーヨン! フィーーーヨン!

 サイレンが艦内に響いた。


「はっ」

「敵襲か! オペレーター、どの方向からだ!」


  「左斜め前方、10時の方向!」


「新手か。コムロ君、起きろ! 敵が来たんだ!」

 艦長が呼びかけても、少年はずっと、ブツブツと小難しいことを言っているだけだった。


「ええい!」

 管理者キーを使ってBPCの中に押し入った艦長が、「カントムに乗ってくれ!」と、少年の肩をゆさぶる。しかし――。



「それは、自律的な行動と言えるのですか?」

 哲学者イマヌエル・カントの思考が憑依してしまったかのようなコムロ少年は、立ち上がろうとしなかった。


「哲学系はこういう時に困る」

 言って頭を抱える、キモイキモイ艦長。


  「艦長!」

 ブリッジからの通信。

 キモイキモイ艦長の携帯通信機が、恐ろしい事態の到来を告げた。


  「敵のスピードが異常です! 光点が、先の戦闘で撃退した大軍の、およそ3.14倍のスピードで接近します!」


「円周率かッ! 小数点以下は切り捨てればいいのに。くそッ、こまかい!」

 心のゆとりを無くしたキモイキモイ艦長は、右足の軍靴で床をドンッ! と蹴りつけた。


 ――戦いの最中だからこそ、「ゆとり」は大事なのだ。


 その時――。


 ダダダダダッ!ダッシュ音


 フオーー! 

 キモイキモイが乗ってきたキックボードが、動き出す音がした。


「モラウ君?」

 キモイキモイが振り返ると、キックボードの上にはモラウが乗っていた。先程まで疲れたように座り込んでいた、ミディアムヘアの彼女が。


「艦長! 借ります!」

 そう言ってモラウボウはキックボードに乗り、急速に遠ざかる。キモイキモイの制止は間に合わなかった。


「コムロにばかり、任せてちゃダメ」

 モラウボウを乗せたキックボードは疾走した。


 カントムが鎮座する、格納庫へと向けて。

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