機動哲学先生(モビル・ティーチャー)カントム

にぽっくめいきんぐ

序章 リバタニア帝国の英才

00-1 アカデメイアの落第生


 ――ニョイニウムという金属が在る。


 人の思考に感応し、変形、増殖、硬質化、具現化。


 様々な反応を示す、それは『生きる金属』だった。


 その金属が収められた暗い一室では、モニターの光が煌々こうこうとしていた。部屋に居る少女の視力を、悪くさせようとするが如く。


 軍服な制服姿の少女、カナン・ヒガシノが、とある書籍を読んでいた。


 『読む』というには語弊があった。


 実際には、『コックでも分かる哲学入門』なる書籍を、モニターの中の、ヒゲの男性が読み上げていたのだ。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



『第5節 ルネ・デカルト(フランス)


 だれも否定できない命題とは、何であるか?


 「レアチーズケーキはおいしい」という命題は、何人なんぴとにとっても真であるか、というと、そうではない。


 激かわいい。しかし、レアチーズケーキが嫌いな女子が居る。


 彼女にとって、「レアチーズケーキはおいしい」という命題は偽となり、おしゃれなカフェでのデートは失敗に終わる。


 デカルトは、そのような否定お断りを許さぬ、絶対的真理から出発することで、あたかも数学の如く、真理デートを積み上げることを目論んだのだ。


 かかる絶対的真理とは、どのようなものであるか?


 読者諸兄は、その点を考えて欲しい』



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「うあー! もうわかんない」

 少女カナンは1人、頭をブルブルと左右に振った。


 その声を廊下で聞きつけたらしい。

 カナンと同様の制服に身を包んだ青年が、部屋の扉をノックもせずに、ひょいと顔を覗かせた。


「カナン、学習の調子はどう?」

 縦長の顔に、中肉中背の青年、ケイ・アササギであった。


「……これが順調に見えるかな?」

 カナンは、足をシートへとだらしなく投げ出し、上体をのけぞり、大きな目を、この時はきゅっとしかませて言った。

「もう限界。デカルトって、なんでこうも小難しいの?」


 デカルトは、フランス生まれのヒューマン哲学者だ。


 顔を出した青年、ケイ・アササギが訂正した。

「デカルトじゃなくて、デカルト先生ね? 哲学者デカルトの思考を、ニョイニウムに注入した、起動哲学先生モビルティーチャーなんだから」


 まさにデカルトの肖像画の如く、室内モニターに映ったデカルト先生は、鼻下にヒゲがあった。


「その、ニョイニウムどうこうってのも、小難しくてわかんないんだよー。今日中にレポート書いて、教授に提出しないと、私、落第しちゃう」


「カナンが使ってるそのテキスト、かのエリート生徒搭乗者スチューロット、シュー・トミトクル先輩の著書だよ? 哲学書としては、一番分かりやすい本のはずだけど……」


 その書籍を推薦した張本人であるケイ青年は、「これでも理解出来ないなんて不思議だ」とでも言いたげに、まばたきの回数が多くなった。


「それは、ケイくんが頭良いからそう思うんだよー。私の地頭じゃ無理。だって私、コックじゃないし」


「本の帯の、煽りキャッチを真に受けすぎだって」

 ケイは苦笑した。


 実際、その書籍の煽り文キャッチコピーは。


『コックがクックしながら書っく、やさしいお味の哲学』

 だったからだ。


「サクッと読んで、シュー先輩からサインもらいたいと思ってたんだけど。『拝読しました!』とかソレっぽいこと言って、お近づきになれれば……とか。でも読みきれる気がしないー」


「下心まる出しだね」

 ケイ青年は苦笑しつつ、青年自身がカナンに対して持つ下心である『ご褒美ミルクティー』を、背中の後ろにそっと隠して、語を継いだ。


「その感覚じゃ、正規の生徒搭乗者スチューロットに選ばれて、シュー先輩と同じ戦艦に配属されるなんて、無理だと思うよ?」


 だから、そんな憧れは早く諦めて、隣に居る僕と――。


 ……とまでは、ケイ青年は言語化しなかった。


「シュー先輩に会いたくて、ほんと震える」

 カナン・ヒガシノは、そう言って溜息をついた。


「まぁ、『自力でデカルトの真理にたどり着け』っていう、オーイ教授の課題そのものが、無理難題だけどね」


「ケイくんにも無理なんだ?」


「僕? もう課題は終わったよ。デカルトは前から勉強してて、知ってたから」


「うわ、ずっこいー!」


「いいじゃん。結果的に真理にたどり着ければ、過程はどうでも。デカルトの真理は、『我思う、故に我在り』ってことさ」


「何それ?」


「デカルトがたどり着いた、真理だよ」


「いやそうじゃなくて。その言葉の意味そのものがわからないです……」

 カナンは、何度も首をかしげていた。



『首をかしげる、少しおバカな女の子が、かわいくないわけがない』


――それは、デカルトの真理に匹敵する、絶対的真理なのではないだろうか?


 そう言いたげに、ケイ青年は顔をほころばせ、カナンを甘やかした。


「えっと……相談役チューターである僕の出番だね」

 ケイは、ご褒美ミルクティーを背後から取り出し、入室。カナンの隣に座りこんだ。


 元々1人乗りの、戦う哲学先生モビルティーチャーのコックピットを模した空間は、2人も入ると狭い。


 並んで座ると、彼女の太ももと肩がケイ青年に当たる。女子特有のいい香りが鼻腔をくすぐる。


 ケイ青年にとっては残念なことに、少女カナンのかしげた首は、ケイ青年とは方向へと傾いてはいたが。


 若干の役得を味わいながら、ケイ青年は言った。


「もし自分が居なかったら、『思う』ことなんて、出来ないでしょ? だから、この『思い』があるってことは、自分が存在する事の証明になる。誰もその証明を否定できない。それが、デカルトの真理なんだ」


「長くてわからんです……。一言でたのみます……」


「ううむ……」

 青年はうなった。


 物事には、簡単に要約出来るものと、そうではないものがある。

 そう言いたげに、青年は腕を組んだ。そして言葉をひねり出した。


「個性は、あります! って感じかな?」

 そして、これで合っているでしょうか? と、モニターの中のデカルトン先生の評価をうかがう。

 

 先生は、低い声で言った。

『そもそも、我の個性とは、何であるか?』


 ……。


「「そこから考えるの?」」

 少女カナンとケイ青年の声は、小さくハモった。

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