00-2 おーい、教授

「……では、レポートを見せてもらおうか。カナン・ヒガシノ君」 

 蛍光灯の下に居る壮年教授、オーイ・オチャノミルク博士は、感情を消したような声色で言った。


 リバタニア帝国のエリート養成機関「アカデメイア」。


 そのトップに君臨するに相応しい、高層階の広い研究室。


 太陽光を取り入れる大窓は、今は遮光板でさえぎられ、代わりに蛍光灯が、安定した光を室内に満たしていた。


「はい」

 机越しに教授と向かい合う、背筋を伸ばす少女、カナン・ヒガシノの顔は、引き締まるというより、むしろこわばり、そしておそらくは、震えていた。


 ぺらりぺらり、ぺらぺらぺらぺぺぺぺぺぺ。


 カナンのレポート用紙を、驚くべき速さで繰る、オーイ教授。


「長々書いているが、結局のところ回答は『我思う、故に我在り』か……カンニングしたな? おそらくケイ・アササギ君にでも聞いたのではないか?」


 壮年教授、オーイは、口角を上げたまま、顔をレポート用紙へ向けたまま、目だけを、カナンへと向けた。


 ――だめだ。この教授にごまかしは通用しない。


 カナンは、観念したように言った。

「すみません。なぜ、分かったんですか?」



「簡単だ。君の今の学習レベルで、哲学者デカルトの真理に到達できるわけが、ないからな」



 ――教授は、なんという辛辣しんらつな課題を出した教授! のだろう。

 カナンの目は、一瞬、今度は怒りたくて震えたが、その目の色を、すぐに自制した。


「オーイ教授。いじわる過ぎません?」


「自覚はしている。なぜ私が、恩師の孫である君に、この課題を出したか? いつか忖度そんたくしてくれると嬉しいのだが。ともあれ、このレポートは不可だ」


「だめ……ですか……」

 宇宙へ出たいという目標を絶たれたカナンはうなだれた。


「カナン君、今日はもう帰っていいぞ。私も、出張の支度をしなければならないからな」


「出張……どこかへ行くんですか?」

 何気なくそう聞いたカナンへの、教授の返答は、驚くべきものだった。


教授! 

「『フロンデイア軍を殲滅せんめつしてこい』と命じられたからな」

 才能と自尊心とが服を着て歩いていると言われる、糸目のオーイ教授は、そっけなく言った。


「ええっ!? どうしてそんなことに?!」

 少女カナンは、愛らしい大きな目を一際ひときわ大きくした。


「知っているだろう? リバタニア軍が運用しているニョイニウムの塊、起動哲学先生モビルティーチャーの性質を」


「……そうでした」


「モビルティーチャーは、スチューロットのを、力へと変換して、戦う」


「頭の良さが強さに変換されるなんて、凄いですよね……。オーイ教授が乗ったら、向かうところ敵なしですよ!」

 父母を開発者に持つ少女カナンは言った。


 教え子の一言で、オーイ教授の顔に笑みがこぼれた。肌のハリツヤが、一瞬だけよくなったような。その表情は、「オーイの笑顔」と言われていた。


 だが――。

 調子に乗った少女カナンは、不用意な発言を続けてしまったのだ。

「……敵さんにも、凄いのが居るかもしれないですけどね」



 その瞬間。声もなく。

 オーイ教授の糸目が開き、口端が上がった。



 アルカイック・スマイルと言えば良いだろうか?

 その表情は、「オーイの微笑」と言われていた。


 この微笑を見た後、単位を落とされた学生の数は数知れず。

 オーイ教授の優越感を潰すがごとき言動は、厳禁なのだった。



「そそそそ、そんな敵、居るわけないですよねー? そういえば! 教授の乗るモビルティーチャー、どんな先生なんですかねー!? 気になるなー! すっごく興味あるー!」


 慌てて取り繕うカナンの意図は見え透いていたが、教授は「オーイの苦笑」を見せて、答えた。


「まだ、名付けられてはいない。くだんの金属『ニョイニウム』に、古代ギリシャの哲学者、ソクラテスのAIと、プラトンのAIと、アリストテレスのAIとを混ぜて積む、とだけは聞いている」


「哲人を、3人も同時に……? そんなの、制御できるんですか……? ……というのは愚問でしたはいすみません! オーイ教授ならきっと」


「ふふっ、まさしく愚問だな。明日、そのモビルティーチャーの開発進捗を見に行くのだが……カナン君も来るかね?」



「いいんですか!?」

 父母の仕事の成果を見る、思わぬ機会に、カナン・ヒガシノは今度は、モビルティーチャーに会いたくて震えた。



「ああ。思考に反応する金属『ニョイニウム』を辺境で得た人類が、ついに、を実現しようしている。そのことを君には、しっかり学んで欲しいと思っている」

 我が子を見るような目で、オーイ教授はそう言った。


 しかし――。

 教授の言葉に、カナンは感応できなかった。



「あの……? 教授が乗ったモビルティーチャーなら、それはもう強いのでは?」



 しばしの沈黙。



 教授は、オーイの失笑を見せて言った。

「愚か者。戦闘における強い弱いの話ではなく、の話をしている。AIとAGIの違いをだ。……明日までに、レポートにまとめてくるように」


「それだけはご勘弁を!」


 大人しくしていれば「チャーミングな少女」と皆に言われる外見を、慌てる仕草で台無しにするカナンに対し、オーイ教授は「ふん」と短く笑った。



 そして数瞬後。

 オーイ教授は笑みを消し、少し寂しそうに言った。


「……いっそのこと、カナンのようにみんな落第にしてやれたなら、お前は戦場に出なくて済むのだがな」

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