03-2 敵兵は死んだのか?
「コムロ、お疲れ様!」
無事帰投したカントムの
モラウの左手には、コムロの父の形見であるニョイ棒が握られていた。右手には、ホットミルクティーのパウチがあった。
「……」
コムロは何も言わずに紙コップを受け取り、ゆっくり飲みほす。
少年の体に、液体の温かみが。
少年の脳に、エネルギーたる糖分が。
それぞれ染み渡る。
「ありがとう」
一言だけ告げたコムロは、思案顔で艦内の、有重力ブロックへと入っていった。
「ちょっと、コムロ!?」
コムロは何か考え事をしている。幼馴染の少女モラウにとっては、それは日常のことだった。その思考の邪魔をしないように、モラウは黙ってコムロの隣を進んだ。
通路をすれ違う乗組員たちの反応は様々だった。
「おい! お前すごいじゃんか!」
「多勢に無勢だったのに、無勢が圧倒しちまうなんてな」
「さすがは、ホシニ先生の息子だ」
という賞賛と。
「ふん、七光が」
「ガキがこの程度で調子に乗るなよ」
「今回は生き残ったみたいだな」
というやっかみとが。
比率にして、前者が4、後者が6といった状況だった。
コムロは心は、ここにあらず。
周りの乗組員の反応など意識下にも浮かばないようで、あごを手でつまみ、うつむき加減で艦内を歩きまわっていた。
そこに出くわした艦長のキモイキモイは、
「やはり私の見込んだ通りだったよ。よくやってくれた。君のおかげで進路が確保でき……」
と、話しかける途中で、コムロの表情と、その横のモラウの表情とを察した。
「
とだけ言って、艦長は去っていった。
「初出撃だったのに! 大人は戦いの事ばかり」
と憤慨するモラウ。
コムロは「きっと、僕に気を使ってくれたんだよ」と言って、モラウに手を振り、十字路を左に曲がった。艦長の言葉に従って。
(のんびりしろと言いつつ、その実は、カントムにエネルギーチャージをさせようってことだろうな……)
コムロは静かに、深く息を吐いた。
◆
いまここ
カントムのエネルギーを蓄積するのに用いられる
換気扇の回る音がする。その部屋に置かれた黒いフラットシートにコムロはバタンと倒れこみ、寝転んだまま手を延ばして
モニタには、黒い背景に、システムの起動メッセージを示す文字列が、下から上へとせり上がるのが映った。
画面の左上には、2頭身キャラへとデフォルメされた、おかっぱ頭のカントム先生が表示されていた。背中の黒い博士風コートをなびかせながら、まるで画面内を散歩するかのように歩いていた。哲学者イマヌエル・カントが、散歩をするが如く。
システム起動シーケンスが終わり、2頭身のカントム先生は、画面の中でちょこんと座った。お尻で踏んでしまった黒い博士風コートを、腰を浮かせて外してから、再び、ちょこんと座った。
そして。
『我が
戦闘時と変わらぬ低い癒し系ボイスで、カントムは語りかけてきた。
――思考金属ニョイニウムの、本来の活用法は、これであった。戦争が始まる前までは。開拓者達を率いるリーダーを教育するための金属だったのだ。
「カントム先生とは、戦闘中にも対話しましたね。前史の哲学者、フッサール的な解釈について……」
コムロが、お腹から出てはいない弱い声で言うと、先生の低い癒し系ボイスは答えた。
『そうであったな。続けるか? 我が
◆
エトムント・グスタフ・アルブレヒト・フッサールは、前史、オーストリアの哲学者であり、数学者だった。なお、寿限無・寿限無ではない。
哲学者フッサールは、全く新しい対象へのアプローチの方法として「現象学」を提唱したことで知られている。
この現象学は、哲学者ハイデガー、サルトル、メルロー=ポンティらの後継者を生み出して現象学運動となり、政治や芸術にまで影響を与えたと言われている。
「俺、実は、水槽の中に浮いてる脳なんじゃね?」という疑いを否定できないので、原子だとか、物理法則だとか、そういうのは「思い込みにすぎねぇ!」と考えた人物が、フッサールである。
マイケノレ・サンデノレ隊の大群に突入すべく、スラスターを噴射する前のカントム先生は、
『前方に敵の大群が居ると、コムロが思い込んでいるだけなのでは? 本当に居るとは限らないのでは?』
と急に疑い始めた結果、コムロが踏んだフットペダルの操作を受け付けなかったのだ。
コムロの脳裏に、とあるシーンがよみがえる。
敵のマイケノレ・サンデノレが、カントムのア・プリオリブレードによって、「プニョンプニョーン!」と、真っ二つに切断されていく様子。
哲学者フッサールの言に従えば、それはあくまで、コムロの脳が見せている幻なのかもしれない。実際に切断されている敵は、居ないのかもしれない。
でも、自分は確かに、敵軍の人間の生命を奪ったのだ。コムロはそう感じた。自身の主観的認識として、そうなのだ。
(僕は――あの時、あの行動で良かったのか?)
敵集団に突撃する前に、カントム先生が与えたもう1つの問いが、今になってコムロを苦しめていた。
『その行動の動機は、自律的であると言えるだろうか?』
という、イマヌエル・カントの問いであった。
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