第3章 彼女の出撃

03-1 硬直した共通善

 リバタニア軍所属、攻略戦艦ヤンデレンは、赤を基調とした中型艇であり、機動力と火力とを武器としていた。


 その戦艦のブリッジで、シュー・トミトクルは、議論の尖兵を送り出した。

「マイケノレ・サンデノレ隊は敗北したらしいですな」

 

「ああ。凹形陣の中央を突破され、撤退したそうだ」

 指揮シートに座った頭ツルツルの艦長、サン・キューイチは、特に表情も変えずに返した。


「犠牲を最小限に抑える、迅速な撤退指示、とでも評すればよいですかね。チュー」

 シューは指揮シートの右横に立ち、パウチに入ったコーラを、チューブ経由で吸うように飲んだ。脳への糖分補給であった。


「数で押す。物量戦は、かつては極めて合理的な戦法だったがな。チュー」

 上官であるサン・キューイチは、乳酸菌飲料を愛飲していた。


「数の優位は未だにある程度有効ではあります。モビル・ティーチャーとの意思疎通がスムーズである点も、マイケノレ隊の戦術思想は好ましいです。しかし、マイケノレ隊は数の優位に油断し、考えることを止めてしまった。チュウ」


「ふむ。チュチュー」


「彼らの統一された意志は、はたして共通善なのか? 前史の哲学者マイケルサンデルが言いたかったのは、道のように、ことだったはずです」


「ああ。それでこそ、モビル・ティーチャーは力を発揮する。ニョイニウムは、思考を力に変える、考える金属だからな」


「正義を画一化し、統一された意思のもと、共同体として戦力運用する。マイケノレ隊のその戦闘教義は、ロジカルで一見好ましいですが、肝心のを見誤ったのです。


 シューの射抜くような目線に、上長のサン・キューイチは苦笑で応えた。


「まあ、シューよ。敵はお前が撤退の憂き目にあう程の相手だからな。ペコッ! シュゴゴゴ」

 サンは、飲みきった乳酸菌飲料のパックをを握り潰し、放り投げた。遊泳する銀色のそのパックは、ややコースを外していた。しかし自走式ゴミ・ボックスからロボットアームが伸び、パックを見事にキャッチし、ボックスの中に取り込んだ。サン・キューイチは、一瞬だけ、嬉しそうな顔を見せた。


「……申し訳ありません。次こそは」

 シューも上長にならってコーラのパックを放ると、ブリッジの出口へと、颯爽と歩き始めた。


「行くのか?」


「は。食材と同様、鮮度は命ですから」

 パティシエ上がりの青年、シュー・トミトクルは、そういってサンへと向き直り、敬礼を行った。両腕で三角形のおにぎりの形を作る。


「ふむ。しっかり考えて、しっかり戦え」

 上長であるサン・キューイチも、指揮シートに座ったまま、上半身だけを左にくいっと反転させ、両腕で三角形のおにぎりの形を作る。


 いわゆる『リバタニア式敬礼』は、両手で行われる。


 シューの去り際、サン・キューイチが肩越しに話しかけた。

「しかし、『思考停止した共通善』の弱点、気づいていたのなら、マイケノレ隊に教えてやればよかったかもしれないな」


「ははは。自ら考えなければ、意味などありませんよ」

 シュー・トミトクルは、そう言い残してブリッジを後にした。


 ◆


「右腕の修理と、新たな武器の整備は、どうなっている?」

 シュー・トミトクルは、モビル・ティーチャー・デカルトンの格納庫に到着するなり、近場の整備員に尋ねた。


「ハッ! 順調に進んでおります!」

 おにぎりの敬礼をビシッと返す、薄い灰色の、つなぎを着た整備兵。


「かのヒューマン哲学者、ルネ・デカルトは言った。『我思う、故に我あり』と……」


「は、はあ……」

 整備兵は、あいまいな相槌を打った。


「貴様に議論をしかけても無駄か。学習が足りないぞ」


「至らぬ点、申し訳ありません」

 整備兵は、ぺこりと頭を下げた。


「そうだな……例えば、貴様。俺の存在を否定できるか?」

 シューは、いたずらを思いついた少年のような表情で、聞いた。


「シ、シュー・トミトクル殿は、存在しているであります」

 整備兵は、緊張しているのか、言動がやや堅かった。


「身も蓋もないことを言うなよ」

 シュー・トミトクルは苦笑した。


 その笑いにつられ、整備兵の緊張もとけたようだ。見るからに堅く上がっていたいかり肩が、なで肩へと下がる。


 シューは続ける。

「『俺が存在しない』と、俺は言えないだろ? もし俺がいなかったら、俺の、この思考は、一体なんなんだ?」


「は、はあ。そうですね……なんなのでしょう?」

 整備兵は、シューの話を一生懸命聞こうとしている。そのことは、整備兵の伸びた背筋を見れば分かった。しかし、シューの話を正しく理解できている表情ではなかった。


「まあいい。これでも読んで勉強しろ」

 シューはため息をつきつつ、腰のあたりから携帯機器を取り出すと、画面を何度かタップ&スワイプした。電子データが、整備員の持つ工場用タブレット機器へと、無線通信ネットワーク経由で飛ぶ。


 シューは、整備兵のタブレット機器から「バブン!」と、ダウンロード完了音がするのを確認してから、話を続けた。


「今送った電子書籍は、昔俺が書いた『コックでもわかる哲学入門』だ。整備の合間にでも、読んでおけ」


「承知しました!」

 と、律儀に返す、つなぎ姿の整備兵。


 整備兵との議論にならない会話に飽きたシュー・トミトクルは、格納庫に鎮座する、巨大な金属の塊を見上げた。モビル・ティーチャー・デカルトンだ。荒い多角形ポリゴンを呈する「ルネ形態」の金属。その右手には今、巨大な棒状の物体が握られていた。


「『我思う故に我あり』の真理を、そのまま武器とする。我の得物エモノ。すなわち『ワレモノ』」

 シューは、両手を腰に当ててそうつぶやく。


「……真理を司る武器だ。その威力たるや、恐ろしいものがあろう」

 シューのそのつぶやきを受けて、先程の整備兵が、おずおずとした態度で報告を始めた。


「シュー殿。ブレード状態に変形させたワレモノの、あまりの切れ味の為、整備用の作業小型艇ランチが、バッサリと切られてしまいました。2時間ほど前のことです」


 シュー・トミトクルは怒鳴った。

「何をやっているんだ! 危ないから、『ワレモノ注意』のシールを貼っておけ。黄色の地に、黒字で」


「ハ! 承知しました!」

 と、おにぎりの敬礼をする、整備兵。


 それを見届けたシュー・トミトクルは、棒状武器「ワレモノ」を見上げながら、自らに向けて小さくつぶやいた。

「さぁ――行くか」



 ―― あの敵に、絶望を喰らわせるために。

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