第4章 カントとヒューム
04-1 ヒュームリオン、赴任
その戦艦は、銀を基調とした船体の下半面が、鮮やかな赤でカラーリングされていた。そして、船体の前方が、柄のように突出していた。
まるで、血塗られた包丁のようなシルエット。
その名を、攻略戦艦「ヤンデレン」と言う。
リバタニア帝国軍に所属するヤンデレンは、深宇宙方向へと退却していくフロンデイア軍を逃がすまいと、追撃作戦の途上にあった。
「デカルトンの調子はどうだ?」
乳酸菌製品のパックを片手にそう尋ねる坊主頭の艦長、サン・キューイチの表情は、晴れなかった。
「……しばらくダメのようです。思索にふけったままです」
シュー・トミトクルは、
「まさか、
「敵も考えたものです」
シューは、素直に
モビル・ティーチャー・デカルトンには、外見上の大きなダメージは見られなかった。しかし、敵の新たな論点提起に乗ったデカルトンは、哲学的思索にふける「思考モード」へと移行し、戦闘継続が不可能になってしまった。
――デカルトンは、そのうち新しい著述でも、始めるかもしれない。
「まさかこのような形で、デカルトンを無力化されてしまうとは」
そう言って、大きなため息をついたシュー・トミトクルの肩を、サン艦長がポンと叩いた。
「では、違うモビル・ティーチャーで出撃してみるか?」
「えっ! 新しいモビル・ティーチャーが配備されるのですか?」
シュー・トミトクルは驚いて、コイルメット――モビル・ティーチャーとの対話に使われるリング――を外すと、上長であるサンの方に向き直った。
「うむ。このままでは、フロンデイア軍に逃げ切られるからな。宇宙の奥地に集結されるとやっかいだから、戦力増強で一気にカタをつけるという、上層部の判断らしい。 チュー、んごっ! ゲフッゲフッ!」
サン・キューイチは乳酸菌飲料を吸ったのだが、気管に入ってしまったらしく、激しくむせた。
「大丈夫でござりまするか?」
慌てたシューは、語尾が何やら武士っぽくなってしまい、赤面した。
「ゲフッ! ……あわてない、あわてないでござる。新しいティーチャーは、明日
シューの語尾間違いに乗っかる程度の精神的余裕が、この戦艦を牛耳る知将サン・キューイチにはまだ見受けられた。
「新配備は、どのタイプのモビル・ティーチャーが?」
シューは、心持ち身を乗り出して尋ねた。
「ヒュームリオンだ。チュオー!」
サンは、懲りずに乳酸菌飲料を吸いつつ答えた。
「ヒュームリオン……哲学者ディヴィッド・ヒュームをベースにしたモビル・ティーチャーですね」
「イギリス経験論タイプの新型だ。じきに、ジョン・ロックタイプの『ロックウェル』も配備される予定になっている」
「……凄まじい戦力増強ですな」
シュー・トミトクルは嘆息した。
―ジョン・ロックは、前史の地球、イギリス出身の哲学者であり、「イギリス経験論の父」と呼ばれている。
―ディヴィッド・ヒュームは、前史の地球、スコットランド・エディンバラ出身の哲学者であり、ジョン・ロックの影響も受けた、イギリス経験論の論客の一人である。
「しかし、2機同時ですか。ロックウェルには、いったい誰が乗るのです?」
「シューがご執心の、あの黒髪の少女だよ。よかったな、春が来て」
サン艦長はニヤリと笑った。
「……戦力増強は、吉報であります」
シューは大人であり、サン艦長のからかいには乗らなかったのだ。
シューのその応答に、サン艦長は「もっとくだけて対応しないと、戦場では身が持たないぞ?」とでも言いたげに、フッと短く笑い、言葉に出しては別の事を言った。
「……ヒュームリオンを乗りこなすのは、骨が折れるだろうがな。貴様なら、おそらく出来るだろう」
サン艦長は、飲み終わった乳酸菌飲料のパックを握りつぶした。辺りをキョロキョロと見回したが、近くにゴミ・ボックスを見つけられず、しょうがないので、そのパックを右手に握ったまま言った。
「乗りこなしてご覧に入れます」
シュー・トミトクルは、両手の指先を自身のこめかみにつけた。
リバタニア流『おにぎりの敬礼』をしたパティシエ上がりの男、シューは、
シューは、自らを疑うことがなかった。
あくまで、この時は。
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