03-6 真理の定義域
ポーロリー!
デカルトンの、まるで宇宙を切り裂くような斬撃により、カントムの右腕が切り落とされた。
『ぐえええええ!』
モビル・ティーチャーであるカントムも、デカルトンと同様に、「やられた」という概念を有していた。
「キャアアア!」
少女モラウ・ボウは悲鳴をあげた。
「誰だお前は! 最後まで調理してやる」
モビル・ティーチャー・デカルトンに乗ったシュー・トミトクル。その頭のノーマル・コック・ボウが、少しだけ前にずれた。
『ブオン』
『ブオン』
「味わうがいい。これが、死に至る病だ」
「またそれなの! 絶望ってんでしょ! 私は絶望なんかしてない!」
精一杯の強気で返すモラウ・ボウは、カントムを左右に振り、なんとか敵の攻撃をかわそうとする。スピードが出ないカントムの肩口を、足部を、敵の刃がかすめる。
シューは一笑に付す。
「学習レベルの低い奴め。自分が絶望していることにすら気づかないとは! 『弱さの絶望』如きが」
「何言ってるの?!」
――前史の哲学者、キルケゴールは、絶望には3種類あると唱えた。
(1)絶望して、自己をもっていることを意識していない場合
(2)絶望して、自己自身であろうと欲しない場合
(3)絶望して、自己自身であろうと欲する場合
の3種類だ。
モラウは(1)の状態にあると、シューは指摘しようとしていた。
「お前は絶望の真の観念までは持っていない状態である」と。
小難しい事を言われたモラウは激高した。
しかしその単なる感情は、思考金属ニョイニウムに、エネルギーを注入するものではではなかった。絶望には3つの種類があるという事自体を彼女は知らないのであるから。
つまり、モラウの激高は戦況に何ら変化を及ぼすことがなかった。
カントムの出力が徐々に下がっていくのが、カントムの動きの減速に見て取れた。
片腕を落とされ、出力もさらに低下。カントムは、窮地に立たされていった。
「さて、投降する気が、ないのなら」
デカルトンが、その右腕に持った棒状武器を構える。
居合い抜きのように、左の腰部のあたりにピタリと止まるそれは『ワレモノ・ブレード』と呼称されていた。
その棒状武器の、
「ワレモノ……注意……」
少女モラウは、シートから体を起こし、少し目を見開いて言った。
「なに?」
困惑するシュー。
それは、リバタニア軍の攻略戦艦ヤンデレンにて、シュー・トミトクルが整備員に命じた「ワレモノ注意」のシールであったのだ。
「……せ、整備員め。貼るのは帰艦後で良かったのに! 『我の、
シュー・トミトクルは早口になった。ネーミングセンスと、気恥ずかしさとの兼ね合いがそうさせた。
「あなたが来ること自体が問題なの! 返ってください! 押し売りは間に合ってます!」
モラウは、まるで新聞の購読を断るかのような言葉を発した。
◆
「我の……
戦艦の広いブリッジで、通信スクリーンを凝視していたコムロ少年は、考えこむように、ブツブツと言い始めた。
「我……思う……故に……我あり……、デカルト……はっ!」
ピカカキ!
この瞬間、コムロに天啓が訪れた。
「どうした? コムロ君」
そう問うキモイキモイ艦長の目を見据えて、コムロはコクンと頷いた。
「ほう?」
コムロの表情から、何かを悟ったキモイキモイは、全てをコムロ・テツ少年―カントムの、本来の
コムロは、通信機に向かい語り始めた。
その相手は――敵のモビル・ティーチャー。
「
『……うむ?』
「『我思う故に我あり』は、誰にとっての真理だ?」
『ヌッ?』
デカルトンが構えた棒状武器、ワレモノ・ブレードが、振りかぶられたまま停止した。
「お、おい! デカルトン?」
シュー・トミトクルは慌てた。しかしデカルトンは、コムロの言葉の方に、興味を持ったようだ。
『どういうことだ?』
「我思う故に我あり――それは真理と言っていいだろう。疑わしきものを全て捨て去った後に、残った真理」
コムロが、彼にしては珍しく、低く腹から出るような声で、語りかける。
『その真理は否定し得ない』
デカルトンは、心持ち胸を張ったように見えた。
「では、その真理の先に、何がある? 欺く悪霊によって全てが偽とされた世界の、その先に」
『ふ、ふむ……』
「デカルトン……先生! 敵の論戦に巻き込まれては!」
シュー・トミトクルは困った顔をした。
『ぬぬ……』
「僕と貴方は、真理として、同じ世界に同時に存在し得るのか?」
「お、おい……」
シュー・トミトクルは渋面になった。
『シューよ。今、重要な示唆を得たところなのだ。黙っていてもらえるか?』
「なにを言って……」
悩み出した途端に、その動きが止まる、デカルトン。
「いまだ! モラウ、急速後退!」
コムロの鋭い声が、通信回線上で響いた。
「え、え、え? うん! カントム先生! 急速後退!」
『……それは自律……』
「うるさい!」
『……承知……』
一直線に後退するカントム。デカルトンとの距離がみるみると開く。
「待て! 追撃……って、動いてくれよ、デカルトン先生!」
シュー・トミトクルは操舵レバーをガチャガチャ、フットペダルをフミフミするが、デカルトンは動かない。
『ぬうう……、うーーむ……、しかし……、その観点からすると……』
『数学と同様、真理の土台を固め、その上に積み上げるという着想には、問題が無いはずだが……』
『その土台が適用できる
「……だめだ。完全に、思索にふけってしまっている……これだから哲学者は扱いづらい!」
シュー・トミトクルは、右手の握りこぶしで、自分の太ももを何度も叩いた。
そこに、追い打ちのように、戦艦ハコビ=タクナイから、レーザー砲が斉射された。カントムとの間の距離の開いたデカルトンを狙って。
シュワーーーーーー!
シュワーーーーーー!
シュワーーーーーー!
シュワーーーーーー!
「ぐ……このままではやられるな。しかたない、引こう。デカルトン先生! 戦艦に戻って、じっくり考えれば良いです」
『……それならば、承知した』
「……まったく」
カントムに合わせて、デカルトンも後退を始めた。
こうして、少女モラウ・ボウを載せたカントムは、片腕を失いつつも、戦艦ハコビ=タクナイへの生還を果たした。
――更なる強敵が待っているなど、この時は、つゆ知らずに――
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