04-2 懐疑の刃

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 豪奢な四角いテーブルに、白いテーブルクロスが引かれていた。


 大きな空間だ。光沢ある濃い茶色の壁を、燭台のローソクの火が照らしている。


 木製テーブルの前には、椅子が一脚。


 薄い水色のワンピースを着た少女が腰掛けている。栗色のロングの髪。上品さを感じさせる、くりっとした目。


 一方、厨房に居るシューは、薄い金色で縁取られた、白い皿と格闘していた。


 やや厚めのクッキー生地の上に、ナッツベースのソースを敷く。


 その上に、長方形に薄く伸ばして固めたチョコレートを2枚載せ、2つの「屋根の層」を縦に形成する。

 

 屋根の層とは別種のチョコレートで作られたフォームを、屋根の上に5つ連ねる。その上部に、受け用の窪みを5つ同形状に形成し、薄いオレンジが、その窪みのうちの、2つの領域を占めるようにする。


 そして、屋根の層よりも、ずっと薄いチョコプレート。その薄いプレートを、S字に折り曲げ固化させたもの。それを、5つのフォームのうちの中央に、角度を調整しつつ斜めに載せる。



 ――ケーキにも流行や旬がある。



 その流行の先端を行く……とシューが自負するデザイン・ケーキ、「チョコレートケーキ・スペシャリテ」が、白い皿の上に出現した。


 シューは慣れた手つきでそれを運ぶ。


「おまたせしました」

 落ち着いた口調で、白い皿を、着席している少女の前に、そっと置いた。


 まったく音を立てずに、テーブルの上に置かれた皿。


「わぁ」

 少女から感嘆の声が漏れた。


 シューは、自らの笑みを消しきる事ができなかった。プロとしての顔を彼女には見せたいのだが、どうしても、口角が上がってしまう。


「ごゆっくりお楽しみください」

 シューは丁寧に頭を下げた。頭上の白い帽子は、やや丈の長いものだった。


「いただくね。

 少女は、テーブルに置かれたフォークを、嬉々として手にする――


 その手が、空中で静止する。


「えっと、これ、どうやって食べればいいの?」

 少女の疑問はもっともだ。

 そのデザインケーキは、繊細な造形美を示していたのだから。


「好きなようにで良いんだよ。これは、セシルのケーキなんだから」

 シューは答える。


「そうなの? ……じゃぁ、えいっ!」

 フォークを上から下ろす。デザインケーキは一部崩れたが、フォークの先は、ケーキの、縦に連なった複数の層を受け止めていた。


 ――そして、一口。


 少女は目をきゅっとつぶり、そしてパッと目を開いて、言った。


「おいしいよ! お兄ちゃん」


 シューはいよいよ破顔した。


「嬉しいよ。セシル」


 シューの目には、彼を「兄」と呼ぶ少女への優しさと、パティシエとしての自信とが混在していた。




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 ……ー! ター! ワター! オワター!

 

 ……んあ、、あ?……


 アラーム音で、シューは目覚めた。


 頭がぼうっとしている。


 目の前には、ブレインパワーチャージャーの、無機質な操作卓コンソールがあった。


 ひたいには、コイル・メットによる、少しだけ締め付けられるような感覚。


 そして、オワター! というアラーム音。


 作業途中で、寝落ちしていたようだ。


(……夢、か……)

 

 叶わなかった夢。

 シューは、頭だけではなく、胸の辺りも、コイルできゅっと締め付けられたかような錯覚を覚えた。


 息苦しいのは、ブースの狭さから来たもの……だけではないだろう。



『因果律とは、主観的か? 客観的か?』



 感傷に割り込むように、ザラついた声が響く。

 シューはその声に、違和感と、苛立ちとを覚えた。

 夢を打ち砕く声。

 見たくもない真実を、突きつける声。


 ザラついた声は、先任哲学先生ティーチャーのデカルトンが発する「耳が妊娠してしまうかのような囁き声」ではなかった。


(そうか……デカルトンからヒュームリオンへと、乗機変更をしていたんだ)


 シューは、自分の思考が、少しずつクリアになっていくのを感じた。


「……客観的……とは言いたくないよな」

 シューは、小さくそう答えた。


 因果が客観的であってたまるか。主観的であるべきだ。。

 なぜなら、主観ならば、自ら否定することも可能であるのだから。 

 妹と別れ、俺がここに居る原因すらも、主観であれば否定できるのだから。



『よろしい』

 ヒュームリオンの声。


 シューは、この声を好きになれそうにはなかった。真理を発する声だとしても。


「ええと、ヒュームリオン……先生。武装は、『ワレモノ』で良いですか?」


我思う故に我ありコギト・エルゴ・スムは、我が装備するところではない』


「そうか。ヒュームだからか……」

 シューはそう言って、納得気に顎をつまんだ。


 古のヒューマン哲学者、デイヴィッド・ヒュームはデカルト批判を透徹し、「コギト=自我」そのものの存在を、解体したと言われている。


 自我は「共和国」に例えられる。


 ある共和国が存在したとする。

 共和国を構成するメンバーは、絶えず変化する。


 ――アイドルグループの、メンバーのように。


 CDを買い、足しげく何度も握手会に通って応援した、その初期アイドルメンバーは、やげてアイドルグループを卒業し、実業家と結婚する。


 握手券をきゅっと握り、失意に打ちひしがれたファンの目に映るのは、推しメンのいないアイドルグループ。あれほど熱をあげて応援し、コンサートに通ったそのグループが、桜の季節に、『何も変わらない』とでも言わんばかりに、春公演を行う。


 ――それは果たして、同じアイドルグループだと言えるのだろうか?


 すなわち、自我という共和国を構成する「構成員」が、絶えず入れ替わりながら、共和国は維持されているのだ。


 とすると、哲学者デカルトが提唱した「我思う故に我ありコギト・エルゴ・スム」は、本当に成立するのか?


 そのような懐疑へと到達する。


 ……そう考えると、デカルトン用の得物エモノである「ワレモノブレード」を、懐疑主義の権化ごんげたるモビル・ティーチャー・ヒュームリオンが装備できないのも、自然な事であろうと、シューには思われた。


「俺はこの先生を、乗りこなせるのだろうか」

 シュー・トミトクルはため息をつき、を、疑い始めていた。

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