05-4 アウフヘーベン

「お前は止揚アウフヘーベンが足りないんだよ!」

 と、赤い髪の男は言った。


「そう簡単に出来てたまるか!」

 コムロは言い返した。


 前史の哲学者ヘーゲルは、ドイツ観念論を代表する思想家である。

 特に「止揚アウフヘーベン」という概念と共に語られることが多い人物だ。

 

 ある物体を見たある者が「これは丸だ」と主張する。

 同じ物体を見た別の者が「いや、これは四角だだ」と主張する。


 この2つの主張は、同時に成り立たないかに見える。

 しかし、実は、ある物体とは、実は「円柱」であることに気付くことができれば、両者の主張は並存したまま成立する。円柱を上から見たか横から見たかの違いがあるにすぎない。 


 この時、物の見方がひとつ上の次元円柱へと上がっている。


 両者が矛盾せずに成立する「より高い段階」へと到る道。それが、哲学者ヘーゲルが唱えた「アウフヘーベン」だ。


「カントム先生。遠距離ベースにシフトです!」

『遠距離とは? その閾値は』


「近いと攻撃受けるのは先ほど学習したでしょう!」

『それは共通認識である』


 先の接触で、近距離戦は敵に分があることを悟ったカントムは、右手のア・プリオリ・ブレードを「射撃用」に変形させる。


「格闘戦は練りアウフヘーベンが甘いか!」

 赤髪の青年は、愛機をり、間を置かずに突撃してくる。


 シュドッ! スラスター  Z シュドッ! スラスター  N シュドッ! スラスター 

 短いスラスター噴射で、左右方向だけでなく上下方向にも、軌道を小刻みに変え、進路を読ませづらくするヘーゲイル。その刹那。


「ほらよ!」

 イ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”ーン

 ガシュッ!


 死角から猛スピードで軌道を変え、突撃したヘーゲイル。その手に持たれた三角柱状の剣が、カントムの肩口をかすめた。


「うぉっ! っくう!」

 首がムチ打ちになりそうな程に唐突な重力加速度の変化を受けて、コムロが乗るカントムは少しバランスを崩した。コムロは、シートの肘掛け部分を手で掴み、態勢を立て直した。


「おおっ! よく直撃を避けたな! やるじゃないか!」

 アカボズの口角が、いよいよ上がった。


(思考力だけでは勝てないのか!?)

 コムロは衝撃を受けていた。


 モビル・ティーチャーの強さは、単純化すれば、単位時間あたりの思考量で決まる。そうコムロは考えていた。思考に応じて性質を変える、思考金属ニョイニウムの本質があるからだ。


 しかし、赤紫色をした、目の前の敵モビルティーチャーは、「思考の練り」よりも、むしろ、「機動」に心血を注いでいるように見えた。アウフヘーベンが云々と言っているにもかかわらず。


 現に、一合目の力比べはカントムに優があった。

 ニョイニウムへと投じる思考量で、カントムが劣っているわけではないのだ。


 おそらく敵は、「思考エネルギーの総量」ではなく、「一定以上のエネルギーをどう使って動くか」という視点で、練りを続けてきたように、コムロには思われた。


(そういう……やり方もあるのか……)

 状況も半ば忘れ、得心するコムロ。


 小刻みにステップをしかけるヘーゲイルには、ア・プリオリ・ライフルの照準が合わせられない。数発発射し、近づくヘーゲイルを牽制けんせいしようとするが……。


「だから! 当たんねえって!」

 精悍なその頬が紅に染まる、青年アカボズ。双方の距離が、再び縮まる――。


「闘争により高みにのぼる! 本質が見渡せる位置に!」

 赤髪の男は、口の右端に犬歯を光らせながら、躍動感溢れる動きでヘーゲイルと共に進む。


 ――対立する主張同士をぶつけて、より高みの概念へと到達する。

 前史のの哲学者、ヘーゲルが述べた「アウフヘーベン」の一つの形が、その言葉に宿ったようであった。


 再び接近戦となった、へーゲイルとカントムの2者。

 単位時間あたりのエネルギー量で勝ると思しきカントムだが、ヘーゲイルの機動に翻弄され、劣勢へと追い込まれていた。



 ぷにょーーん! ―剣合―  ぷにょーーん! ―剣合― 


 シュドッ! スラスター  V シュドッ! スラスター 


 くんっ! ―受け流し― 


 ボッ没収シュウウウ! ―つばぜり合い― 


 ドギャッ! ―塊魂―  


 ガッシュウ ―合衆― ウウウ! ―激突― 

 


 その戦いの最中、2人の生徒搭乗者スチューロットも交えたもまた、高揚の一途を辿っていた。

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