00-4 誰が責任を
けたたましいサイレン。ズシン、ズシンという地響き。
騒ぎを聞きつけて、オーイ教授が戻って来ると、あのニョイニウムの巨大な塊が、立ち上がり、歩き始めていた!
塊の下、やや後方に。
取り乱しているケイ青年を、オーイ教授は発見した。あわてて駆け寄る。
「ケイ君! 何がどうなっている!」
「カナンが……! カナンが塊の中に……!」
「なんだと!?」
移動する『考える金属』の巨大な塊は、本棚を破壊し、キャリアカーを破壊し、ゆっくりと、どこかへ向かっているようだった。
巨塊が歩を進める先に見えるのは、地上へと向う運搬エレベーター。大量の蔵書を数台の車に詰め込んで同時に運び込める、大がかりなもの――。
「教授、申し訳ありません。カナンが乗るのを僕が止めていれば……」
「責任は、指導教授たる私だ。金属塊が代わりに責任など取ってくれんからな。そんなことより、あの塊を止めなければ! おそらくカナンの思考に反応し、ニョイニウムが暴走しているのだろう」
オーイ教授とケイ青年の2人は、モビルティーチャー「未満」である、それでも充分に巨大な、人型の塊の後を追った。
「暴走!? 何故ですか!」
「あの塊には、3人の哲人の知が、注入されている。ソクラテス、プラトン、アリストテレスに、はぁ、ついて、言及された、膨大な資料とがだ。はぁ、はぁ。3人の、くっ、哲人と、同時に対話して、3人の思考を、同時に誘導するのは、簡単だと思うか? はぁはぁはぁ」
運動不足気味な壮年教授の息は切れていた。
「なんてピーキーな
「だから私に、出兵が命ぜれられた!」
巨大な塊の進む先には、女性の司書が居た。緊急事態に腰を抜かして、立ち上がれないでいる。
しかし、その左にも右にも。男性の司書がそれぞれ2人ずつ、意識を失って倒れていた。塊をどうにか止めようと巨塊に取り付こうとして、あえなく吹き飛ばされたのであろう。
――どう進んでも、誰かが踏み潰される状況。
ケイ青年が、声をあげる。
「誰を救えばいいですか!」
オーイ教授は、きっぱりと答えた。
「愚か者が
オーイ教授は、地下構内に置かれていたキックボードを引っ掴み、それに乗った。ニョイニウムの巨体へと近づく。
「アレに取り付くのは無理です! 危険すぎます!」
ケイ青年の声が、後ろからする。
「やってみなければわからん」
教授は手を伸ばす。ニョイニウムの巨体の足に触れる。
∽∉∉⊆Å知っていると思った宇宙に瞬間に知へのさらなる扉すなわちイデア界への扉は∴閉じられる行きたすぎて観察をして本質を顕にする震える!
オーイ教授の脳に、金属の塊からの、思考の奔流。
意味不明なその思考には、優秀な
しかし。オーイ・オチャノミルク教授の驚異的な思考処理能力は、ミックスジュース如く混沌とした思考それぞれの、識別、分離を行い得た。
(この思考は、ソクラテスの『無知の知』。この思考は、プラトンの『イデア論』。この思考はアリストテレスの観察。震えているのは……おそらく、乗っているカナン君だ)
『人間の世界』という球状領域を、外へと向かって押し広げる役割を担う、探求者しか持ち得ないであろう、恣意の――あるいは意志の――力。
そして、思考金属である
『我は、何者ぞ』
教授は、答える。
「哲学的ゾンビであれ……と、人間から強制されている存在だろう?」
『真実だ』
ニョイーンと音がして、巨大な人型の金属が震える。
そして――それが
「……教授?」
ケイ青年が言う。
「オーイ……教授?」
床に倒れたままの少女、カナンが、顔だけを上げて言う。
たしかに形状こそ、少年少女が知る、壮年教授のシルエットだった。しかし――。
金属は、粘土のように、網タイツのように薄く延び、そして全身タイツの如く、教授の、歳の割には引き締まった全身を覆っていた。
銀の金属色に輝く、人間のサイズ、人間の形。
『「
その布状に延びた金属を、オーイ教授から引き剥がすのには、司書達の力も借りて数時間かかった。
「「オーイ教授!」」
「ふう……ここは?」
引き剥がされた金属は、元の形状、元の密度へと、再度成型されていくらしい。つまり、のっぺりとした巨大な人形塊へと戻される。しかしその作業は、オーイ教授たち3人が負うべきタスクではない。
「カナン。教授に迷惑かけすぎだよ。あやまろうよ」
「うん……オーイ教授、ごめんなさい」
2人は、深々と頭を下げた。
オーイ教授は「やれやれ」と額の汗をぬぐい、あたりをキョロキョロと状況確認した後、カナンに向かって言った。
「まったく……愚か者。まぁどうやら、人が死ななかったようで良かったな。ニョイニウムに取り込まれた感覚はどうだった? カナン君」
「本当にごめんなさい……。あの塊の中では、小難しい事を沢山言ってきて、思考の洪水みたいで。『もう無理ー!』って感じでした。あんなの人間の乗り物じゃない」
オーイの苦笑。
「……私は、ソレに乗って出兵するんだがな?」
「教授はもう、人間を超えてますよ。知能がおかしいもん」
オーイの微笑。
「……破壊された本棚やキャリーの弁償、カナンにしてもらうかな」
「えー!? むりむりむり! バイトいくつ掛け持ちすればいいんですかー」
オーイの苦笑。
「しょうがないな。私がフロンデイア連合軍に勝てば、戦争も終わり、研究費も潤沢に入るだろうから、それで充当することにするか。カナン君は、今回の体験をレポートにして提出するように。乗る人間次第で、感覚や戦闘能力がどう変わるのか。大事なポイントでもあるからな」
「何がなんだかわかりませんでしたよー! レポートにまとめられる気がしません……」
「そうか? ニョイニウムが、ソクラテス的な発言とか、プラトン的な発言とか、アリストテレス的な発言とかを、していたはずなんだが……」
「まったく意味不明でしたよ。『無知のイデアが物自体……』って感じで」
オーイの失笑。
「あの程度の思考の混入を、
「もう、おっしゃってることもわかりませんー!」
オーイの微笑。
「まぁいい。複数
オーイ教授は、ケイ青年のカナンに対する恋心に気づいていた。
さりげない、教え子へのアシスト。
「僕も手伝うから、カナン。僕は、カナンの指導チューターだもんね」
ケイは、微笑に隠されたオーイ教授の真意など、気付いていないかのように、無垢な表情で喜び、そう言った。
「ケイくんありがと。それは助かるんだけど……。レポート、いつまでに提出しなきゃいけないんですか?」
オーイ教授は、会心の表情を見せた。
微笑や苦笑といった弁別すら出来ない程、感情、思考が混ざりあったかのような表情だった。
「私が帰ってくるまでに、やっておくように。厳しく採点するからな?」
「先生のその表情、ほんと怖いんですよー?」
「ふん。AIにレポートを書かせたらいかんぞ?」
自尊心と知性と庇護心と、その他の何かとで体をいっぱいにした壮年の男は、そう言った。
リバタニアの英才たるオーイ教授であっても、この時点の人間が認識することは、出来なかった。
――彼の前に現れる、敵国フロンデイアの、ある少年の存在を。
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