01-2 これが、怒りか

 コムロ・テツ少年はバッグを引っ付かみ、肩に斜めがけした。

 そして、床に転がった哲学書の1冊を手に取り、右の小脇に抱えると、左手でダイコンの味噌汁を軽くすすった。お椀をテーブルの上にトンと置き、空いた左腕で、モラウ・ボウの右腕の手首部分あたりを掴んで、外へと連れ出した。


 その一連の動作の間にも、床を揺らす振動と、ドゴォーーン! という爆発音とが断続的に続き、非常事態の存在を彼らに認識させていた。


 外に出ると、見慣れた景色が、そこには存在しなかった。

 爆撃により、景色が炎の色に塗り固められていく。


「避難シェルターへ行こう。5分も走れば地下への入口があるはずだ」


 軍属となった父親ホシニから、非常時の行動を教わっていたコムロ・テツ少年は、現状で取りうる最善の行動をした。


 戦場と化した街の中を、2人は避難所まで急いだ。

 息が切れるほど走った 2人がスピードを緩める。


「シェルターの入口だ!」

「あっ、ホシニおじさま」

 少し背の高い、目尻に笑い皺のある男が、シェルター入口付近には居た。慣れない手つきで赤い蛍光色の棒を持ち、避難民を逃がす指揮を取っていた。


「父さん!」

 コムロ少年にとっては、1ヶ月振りの父との対面だろうか。


「コムロ、モラウちゃん。2人とも無事だったかい?」


「なんとか」

「ホシニおじさん、どうしてこんなところに?」

 モラウのその疑問はもっともであった。

 コムロの父、ホシニ・テツは、軍内部にカンヅメ状態になり、ある重要な研究をしていたはず。息子のコムロに対しても、しばらく顔を見ていなかったのだから。


 そんなホシニが、なぜこんな所で、避難民の誘導をやっているのか?


「志願したんだよ。自律的な行動としてな。車両で避難民を探し回る役目は、却下されてしまったが」

「父さんらしいな」

 コムロは小さくうなずいた。

 

「さあ、話は後だ。コムロ、モラウちゃん。早くここに潜……」

 しかし、父・ホシニは、それを最後まで言い終える機会を与えられなかった。


 ヒュルルルルル


 ドゴオオオオオオオオ!


 敵の戦闘飛行機が放った爆弾が、コムロとモラウの前方、シェルター入口付近で爆発したのである。


「父さん!」

「ホシニおじさま!」

 つい先刻までシェルターの入り口だったものは、煙の中に消え去ってしまった。点いた火は燃え広がろうとしていた。


「おじさん! ホシニおじさん!」

 泣き崩れるモラウの腕が、後ろから優しくつかまれた。コムロ少年の手によって。


「別のシェルターに急ごう。モラウまで炎に巻き込まれる」

「でも! おじさんが……!」

 激しく取り乱すモラウ。


 コムロの頬にも、滲んだ涙が少しだけあった。

 『昼行灯の天才』とよばれた学者、ホシニ・テツ。その息子であるコムロ少年は、キッと気持ちを切り替えていた。


 自律的に、成すべきことを成す。

 哲学者イマヌエル・カントのその言葉がコムロの脳裏を踊った、その結果。


 パアン!

 コムロは、モラウの頬を叩いた。


「僕達は、生きなきゃいけないんだ。さあ、反対側の頬を差し出すんだ!」

「えっ……?」

 きょとんとして、モラウは泣き止んだ。


 マタイによる福音書第5章「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」を小ネタとして使用し、少しでも笑ってほしいというコムロのその意図は、残念ながら外れた。


 ともあれ、コムロは、モラウの手を引いて、別のシェルターへと走った。


「もう大丈夫だ、モラウ。いいかい。ここで大人しくしているんだ」

 そう告げたコムロは1人、再び走りだした。


 ホシニ・テツの形見となった赤い指揮棒を抱え、表情を曇らせる少女モラウ・ボウへと、1度だけ振り返って。


 コムロの目には今や、モラウに対しては抑止していた大粒の涙が溢れ、感情の爆発で拳が硬く握られていた。


「これが、怒りか」そう気づく。

「よくも、よくも! 父さんを!」


 走るコムロには明確な目的地があった。

 以前、父親ホシニの書斎に潜り込んだ時に、コムロ少年は見つけていたのだ。


 学問書の中にひっそりと混じった機密書類。その中に記載されていた、軍の極秘製造対象である「戦う先生」。機動哲学先生モビル・ティーチャーの存在を。

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