後六 皇后、上妃たちと向かい合う

 その日の夕刻、皇后を除く上妃たち十一名に文が届いた。

 その全員が、一様な表情を浮かべたのは偶然だろうか。


 ――貴女の子供の行方を知っています――


 と記されていれば、我が子を渇望する母親としては、同じような感情を抱いても不思議ではないだろう。追記として、そこにはもし他言すれば、この話は一切なかったことになること、また同行する人数は侍女ひとりのみであること、そして場所と時刻が指定されていた。


 三名の夫人、八名のひんたちは苦悩した。

 この書状は明らかに策略の臭いがした。誰かが自分たちを陥れようとしているのだ。

 だが、その内容は罠だと一言で切って捨てるには惜し過ぎるものであった。  

 長年切望していた我が子の情報――例え九割九分が罠だとしても、残りの一分に賭けたい、そんな想いが十一名の上妃たちに湧き上がったとしても、仕方のないことではないだろうか。

 全く愚かなことだと、他人が一刀両断に嘲笑うことが出来たであろうか。


 上妃十一名は静かに決意を固める。

 どのようなものが待ち構えていようと、その機会を逃すことは出来ないと。

 彼女たちは文に記されていた通り、お互いの連絡は取り合っていない。彼女たちは各々おのおの独立して動くことを決断したのだ。文には場所と時刻が指定されていたが、それは上妃それぞれ異なる場所であり、巧妙に時刻もずらされていたのである。


 上妃たちの懸念はひとつだけであった。

 『皇族不育の令』の発案者であり、強力な推進者である皇后には、絶対に知られてはならないこと。

 文には”絶対に他人に知られてはいけない”と記されている。もし皇后にこのことが知られてしまえば、必ず潰そうと動くだろう。

 そうなっては、全てが水の泡となってしまう。

 このような機会が、もう一度あるだろうか? 上妃たちは、それはないような予感がしたのである。

 であるから、邪魔な皇后には悟られぬように細心に。

 彼女たちは、あの冷酷無情な鉄面皮の皇后を心底憎んでいたのだ。 


 かつて正妻の座が決まっておらず、上妃全員が同等の立場であったとき、この中の誰が国母となっても皆で盛り立てていこうと彼女たちは誓いあった。それは目前で、身内の争いの惨禍をまざまざと見せつけられた影響が大きかったが、それでも彼女たちは、お互いの友情に重きを置いていたのだ。

 そして。

 それから十数年――

 その誓いは、もはや跡形もなく。


 十一名の上妃たちが西壁を越えた頃、皇后に一通の文が届けられた。

 それに目を通した彼女は、怒りの形相で文を握りつぶした。側に控えていた侍女は身を縮こませ、震え続けた。

 文にはこう記されてあったのだ。


『貴女以外の上妃十一名に今夜、彼女らの子供の居場所を伝える。もし彼女らを説得して思いとどまらせる自信があるならば、〇〇〇〇〇に来られたし』


 その場所は炎龍帝後宮の中央にほど近い、通称”劇場”と呼ばれている円筒形の独特な建物であった。

 皇后に内兵尚の兵士たちを動かす権限はなかった。その代わりに彼女には、女性だけで構成されている部隊、娘子じょうし隊五十名が配下として付き従っていた。

 この部隊とともに皇后は西壁を越え、劇場に向かった。

 そこで――


 内兵尚所属の反乱軍兵士たちの奇襲を受けて、娘子隊は一撃で壊滅したのだった。

 幸いにも怪我を負わなかった皇后は、反乱軍兵士たちに引っ立てられて、劇場の中へ連れこまれた。

 そこでは陽夫人を始めとした十一名の上妃が、勢ぞろいして皇后を迎えたのだ。


 劇場は一段高く作られた舞台と、それに向かって観覧するために扇状に観客席が設置されている。観客席と舞台の間には一定の空間があって、そこで皇后と十一名の上妃は対面した。建物内には兵士が一定間隔で配置されており、特に出入口の警戒は厳重にされている。


 皇后は上妃たちを見るや、彼女らに向かって叫んだ。

「お前たちはこの国を滅ぼすつもりですか! よこしまな者たちの口車にまんまと乗って!」

 上妃たちからはしばらく返答がなかった。その沈黙を破ったのは三夫人のひとりである穏やかな曹妃で、彼女は皇后に向かってゆっくりと言った。

「私にはずっと後悔していたことがあります。皇后、口車に乗ったことです」

「な⁉」

「私もです。思えばあれが貴女の策略であったと気付いたのは、ずっと後のことでしたが」

 続いて郭夫人が口を開いたが、やはりそれは皇后に対する恨み言であった。


「な、何を言っているのですか! 『皇族不育の令』は確かに私が発案しましたが、成立したのは皆の同意があったからこそ――」

「それが間違いだったと言っているのです!」

 皇后の言葉を最後まで言わせずに、陽夫人は言葉でさえぎった。

「法を施行してみれば、利を得たのはただひとり。皇后、貴女だけではないですかっ! 私たちはお腹を痛めて産んだ赤子を取り上げられ、手元には何も残らずに、空虚な想いを味わわされてきたのです。それもみな皇后、貴女のつまらない提案から始まったのです! こんな想いをするならばと、悔やんでも悔やみ切れない日々を私たちは過ごしてきました。片や皇后、貴女と言えば、我が子が次期皇帝でありますから、さぞかし満悦な毎日だったでしょうね。競争相手もおらず、充実しておいでだったでしょうね。私たちが隣り合って座っていても、談笑していても、地位待遇にそれほど違いはなくとも、その心中はまさに天国と地獄だったのですよ。わかりますか? 貴女に私たちのこの気持ちがっ!」


 皇后は押し黙った。

 陽夫人を始めとして上妃たちは、あの悲惨な内乱を見ていた筈である。その過ちを二度と繰り返さない為の法だったのだ。決して合法的に将来の政敵を消し去る為とか、そのような小さな目的で作ったわけではないのだ。

 そう、皇后は彼女たちに言いたかった。だが。

 十一名の上妃たちは、憎しみのこもった目で皇后を睨んでいる。皇后はもはや幾万もの言の葉を紡ごうとも、彼女たちにその真意は届かないとみた。

 皇后は彼女たちを説得するのを諦めたのである。


「何ということだ……」

 薄暗がりの観客席の一隅に身を潜めて、皇后らのやりとりをずっとうかがっていた子宇は、小さくうめいた。

 上妃たちと皇后の折り合いはあまり良くないと聞いてはいたのだが、ここまで険悪な関係だとは、彼は思っていなかったのだ。

 普段は仲良くみえる、近しい者同士の憎しみ合っている図である。正直そんな姿は見たくなかったのだ。しかもあの中には自分の実母がいる筈であった。

 それを思うと、子宇の胸はずきんと痛んだ。


 そのとき、ぱちぱちという拍手が真っ暗な舞台の方から鳴り響いた。

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