終幕

小蘭、故郷に帰る

 その後、数日あまりであの反乱に加わった兵士、宮女、妃嬪、奴婢の全員が後宮から姿を消した。

「九族誅殺を免じる」

 ただそれだけで、彼ら彼女らは抵抗することも、また声を上げることすらなく、静かにいなくなったのだ。

 華蓉妃も含めて。

 同僚たちは色々事情があるからねえ、と深く追求する者もおらず、後宮の日常は以前と変わりなく流れていった。


 そして件の鴝鵒宮といえばいつの間にかに取り壊されており、林の中の跡地には更地があるのみとなっていた。その更地の地表には早くも雑草が生え始めており、おそらく二、三年もすれば、かつてここに何があったのかを知る者は、ごくわずかになるだろう。

 巷では連座の粛清が行われることもなく、また街の住民も後宮でのごたごたを知る機会もなく、首都凱都はいたって平穏無事であった。


 これら一連の処理は皇后が中心となって行われた。

 後宮の騒動は皇家の醜聞に属することである。出来る限り周知されることは避けねばならなかったのだ。現皇帝は病気療養中と発表され、南方に親征している皇太子が急遽呼び戻されることとなった。

 譲位がとり行われることが、朝議で急ぎ決定したのだった。

 そして、『皇族不育の令』は廃止されることと決まり、それに伴って上妃の子息子女たちには使者が送られた。

 それは各自の由来を知らしめた上で、ここ後宮に呼び戻す為である。


 内侍尚長の陶悳は全てを知っていたのだ。

 この後宮に棲み着いて七十年近くになる老人は、全員の扶育先を押さえていたのである。さらには何処に養子にやるのかも、全部差配していた節があった。これは当然皇后には内緒で行われたのだが、もし露見すれば、反逆の意志ありとみなされるであろう行為である。だが、海千山千のこの老人は実に飄々ひょうひょうたるものであった。


 そしてこの老人の先見の明が、滞りなく帝の子孫たちの消息を知ることを可能とし、安否を確認するのに役立った。ただ陽夫人の双子の娘である呉淑妃は亡くなり、皇后の第三子である長女は、扶育先に向かう途中に馬賊に襲われ行方不明となっていた。そのふたりを除けば、上妃たちの子供全員に連絡が無事、届いたのである。


 三夫人、八嬪たちは狂喜した。諦めかけていた我が子と再会出来るのである。

 後宮内は、浮きたった雰囲気に包まれた。

 陽夫人の悲しみは、双子の片割れの呉涼妃が上手く癒してくれればよいがと、若き内侍尚次官は心から望んだ。

 呉涼妃が隠した彼女の姐の身体は、今の季節にしては奇跡的なほど痛んでいなかった。地下の冷気が彼女の損壊を防いだのか、それとも――ともかくも呉淑妃の遺骸は、丁寧に葬られたのである。


 秀麗を始めとした雨依、珊妙、涛瑛、そして梓明の見習い五名は、失踪事件を解決した手助けの功により恩賞を受けた。ただしそれは内密に行われたのだが。

 その事件の犯人が、仮にも帝の影の石羅であったことは内侍尚内に大きな衝撃を与えた。だがそれも玄単のクーデター騒ぎにかき消されてしまったのだが、露見した時期がはたして良かったのか悪かったのかは、子宇には判断がつきかねた。色々なことがあまりにも同時に起こり過ぎたのだ。


 子宇は執務室の窓から外を眺めていた。もう、日が傾きかけている。

 と、入り口の方から、侍従の慶文の声が聞こえた。 

「子宇様、春蘭が戻ってきました」

 そう言われ、部屋に入って来た娘はと見ると、紛れもなくであった。

「子宇様、只今戻りました!」


 はきはきした歩き方と、きりっとした太い眉は、彼女の意志の強さを表しているかのようである。それよりも特筆すべきは彼女の眼光の鋭さだが、今はやや多少の不安の色が垣間見えた。体形は女性らしく、痩せぎすの誰かさんとは大違いであった。

 慣れてくれば彼女も本領を発揮するのだろうが、現時点では入れ替わりが上手くいくのか、さすがに緊張しているのだろう。


(入れ替わりがばれたと、絶対に姐ちゃんにはばらさないでよね! 折檻されちゃうから!) 

 という痩せぎすの娘の必死の声が脳内で再生され、子宇は内心苦笑しつつ言う。

「どうだ? 久々の休暇は楽しかったか?」

「はいっ! 十分に気晴らしできました!」

 凛とした張りのある声が返ってきた。彼女の後ろに控えている慶文はと見ると、やはり苦笑いを浮かべていた。

(本気で入れ替わりが成功すると思っていたのか、アイツの家族は……)

 そう呆れつつも子宇は、いたわるような優しい口調で春蘭に言った。

「それは良かった。では明日からの仕事はしっかりと頼むぞ。今日は休んでよろしい」

「はいっ、ありがとうございます! 失礼しますっ!」


 執務室にひとり残った子宇は、また窓の外を眺める。慶文にはさりげなく、彼女に色々と案内してやれと言い含めておいたのだ。

 先ほどよりも日は増々傾き、宮のひさしの間からは美しい夕焼け色の空が見えた。

 子宇はため息をつく。

 実は子宇は本心では、密かに期待していたのだった。


「何か……お姐ちゃんの都合がまた悪くなったみたいで……あと半年よろしくお願いします……」

 などと言ってばつが悪そうに頭を掻きながら、痩せぎすの娘が戻ってくることを。

「まあ、そんな風にはいかないよな……」

 その言葉には、妙に納得したような響きがあった。

 烏がかあ、と一声鳴き、夕焼けの中に明るく輝く星がひとつ瞬いていた。


 ちょうど同じころ。

 凱都郊外の街道上には、北に向かうひとりの少女の姿があった。

 今夜は野宿になるだろうが、そんなことはこの娘は全く気にしていなかった。

 半年ぶりの故郷を思い懐かしい山を思い、家族を思い口の悪い爺を思うに従って、彼女は段々と早足になり、遂には駆け出して一刻も早い帰還を望んだ。

 顔には笑顔がある。

 小蘭の頭上には、故郷まで続く夕暮れの空が広がっていた。


                                劇終


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代替宮女 高山良康 @TakayamaBunko

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