後七 玄単、皇后を前に大いに語る

 皇后、陽夫人、郭夫人、曹夫人、八名の嬪たち、そして観客席に静かに潜んでいる子宇は、同時に舞台に目をやった。

 と――

 ぼっ、と舞台上の一部分に明かりがついて、ひとりの男が浮き上がった。

 その男は至尊の黄の衣を羽織り、豪奢な玉座ともいうべき椅子に座っている。その男がぱちぱちと手を合わせていたのだ。

「へ、陛下?」

 八嬪たちは驚いて、一斉に片膝を着き、こうべを垂れた。

 皇后と三夫人は、そのままの姿勢で舞台を見続けている。


 男はしばらく拍手を続けていたが、唐突に止め、両手をひじ掛けの上におごそかに乗せる。そして重々しく言った。

「余が椋国十二代皇帝、リュウである」

 皇后はその言葉を鼻で嗤って、男を詰問した。

「戯言を……玄単、此度の行い、全て貴様の仕業か」

「いかにも」

 全く悪びれる様子なく、玄単は答えた。

 皇后と三夫人は男の声を聞いた瞬間に、あそこにいるのは替玉の玄単だと認識したのだった。八名の嬪たちは伏していた顔を上げ、皇后の言葉でようやくそのことを理解したのである。


 皇后は続ける。

「この行為は、椋国に対する反逆とみてよいのですね」

「反逆?」

 玄単は心外そうな表情で「反逆」という単語を繰り返した。そうしてふっと笑って皇后に向かってうそぶいた。

「反逆とは支配体制に歯向かうこと。余は椋国そのものであるから、反逆など出来ようもないであろう?」

「何を言うか! 替玉の分際で!」


 皇后は激怒した。玄単が言ったことは、自分はこの国の支配者であると明言したに等しいからだ。例えそれが冗談でも。

「ふん……」

 玄単は怒り狂っている皇后を全く意に介さずに、右手を上げた。

 すると舞台正面から見て、玄単の左側の暗闇に明かりが灯った。そして椅子に座っているひとりの男の姿が露わになった。

「へ……」「陛下っ!」

 皇后、三夫人、八嬪たちは動揺した。

 椅子に座っているのが、まごうかたなきこの国の帝だったからだ。隠れて見ていた子宇も目を見開いた。

 その男性は玄単と瓜二つだった。いや、玄単がその男性とそっくりだと言うべきであろう。しかしその瞳は虚ろで、肩は落ち、まるで生気がなかった。


 玄単は玉座から立ち上がり、つかつかとその男性に近付くと、彼が座っている椅子を蹴り上げた。

「ああっ!」皇后は叫んだ。

 その拍子に男性は椅子から投げ出され、床に伏した。だが、それ以上の反応はなかった。呻き声も、悲鳴も上げず、その男性はまるで無反応だったのだ。

「玄単! 貴様、陛下に対してなんということをっ!」


 玄単は両腕を組み、直立し、舞台下の皇后ら上妃を睥睨して言った。

「御覧になられよ」

 それは、先ほどまでの軽い口調ではなく、帝に扮した際に使う重々しい声色であった。その声を耳に入れた者たちは全員、思わず背筋を伸ばしてしまう。

 皇后は、一瞬でも気圧された自分に対して忌々しさを感じた。


が臣民三千万といわれる椋国を統べる帝であるか。まるで反応がないではないか。そなたたちは御存知であろうか? ここ二年ほどの公式の行事、催事、対外的な応対、領民たちへの慰撫、行幸は全て余と石羅がこなしてきたことを。医官殿は陛下の御容態は日々改善されてきておりますと、相変わらずのたまっておいでだが、実際はまるで好転の見込みなく、現にこの有様である。はっきりと言おう、この男はもはや廃人である。で、あるならば椋国民の為にも、余が名実ともに皇帝となり、この国を治めた方がよいのではないか。いや、そうすべきなのだ。それが皆の幸せに繋がる唯一の方策なのである」


「き、貴様……よくもぬけぬけと……」

 もはや怒りで皇后は、上手く言葉を発することも出来ない。

「おっと忘れておったわ。皆に紹介しよう」

 そう言って玄単は再び右手を上げた。と、今度は彼の右側に明かりが灯る。

 そこには、やはり豪奢な玉座ともいうべき椅子があり、女性が座っていた。

 華蓉妃である。

 彼女が羽織っているのも至尊の黄の衣であり、そのいで立ちはまるで――

皇后の華蓉妃である」


 玄単のその物言いに上妃たちは息を吞んだ。つまりそれは。

皇后殿には、謹んで御退場していただこうか」

 そう言って玄単は、華蓉妃の隣の玉座に腰を下ろした。

 玄単のその言葉に、周りを取り囲んでいた兵士たちが、皇后ににじり寄る。

「ひっ」

 皇后の喉から悲鳴が漏れた。


 と、舞台上の玄単から「待て」との命令とともに、次の言葉が出てきた。

「とはいえ貴女様には、今まで随分とお世話になったのも事実。どうだろう、郭妃、曹妃、陽妃の三夫人方が『助けて欲しい』と言えば、生命いのちだけは助けてやってもよいが。ただし御三方には、子供の行方は諦めてもらわねばならぬがな」 


 玄単の申し出は、悪魔の選択といえた。

 そもそも上妃たちが危険を冒してここに来たのは、我が子の行方を知りたかったからだ。それを捨てて元凶である皇后を助けろという。どちらを選択しても夫人たちには痛みが伴うだろう。皇后を見捨てた後ろめたさか、我が子を諦める悔しさか。 

 三夫人はうつむいて顔を上げない。

 皇后は自分の生命よりも、そのような選択を強要した玄単に対して怒りが沸き起こってきた。何という悪趣味な男だと。


 しばしの間のあと。助命がなかったのを確認した玄単は、頷きつつ言った。

「まあ、そうでしょうな。ところで――」

 玄単と華蓉妃の玉座のうしろで、複数の明かりがぼぼぼっとついた。

 そこには華蓉妃を除く、十一名の鴝鵒宮の妃が勢ぞろいしていた。

 その中には幼子と手を繋いでいる者、赤子を抱いている者、そして腹部が膨らんでいる者もいた。

 ただ皆、無表情で立っていた。

「この者たちが新しい三夫人、八嬪となり申す。お見知りおきを」

 陽夫人、曹夫人、郭夫人、そして八嬪たちは驚愕した。


「玄単! 私らをたばかったのかっ! 最初から私らが子供の居場所を教えるつもりはなかったのかっ!」

 陽妃が吠えた。

 玄単は、その言葉は失礼だという顔をして言った。

「余は約束は違えぬ。ちゃんと貴女方のお子様の居場所はお教え致しますぞ。そしてそのあとで貴女方には、皇后とともに消えていただくことになるでしょうが」


 ここにきて十一名の上妃たちは、やはりこの申し出が罠だったことを知ったのだった。

 そして玄単が本気で椋王朝を簒奪するつもりであることも。

 舞台上の玄単は嗤っており、隣の華蓉妃に表情はなかった。ただ冷めた目で舞台下の上妃たちを眺めているだけである。

 陽妃、曹妃、郭妃の三夫人、そして八嬪たちは絶望した。結局、我が子とは会えないことがわかったからだ。


「まずは皇后からだ」 

 玄単の無慈悲な声色が聞こえ、兵士たちは皇后を取り囲んだ。

 皇后は、そんな上妃たちを憐みつつ、静かにまぶたを閉じた。

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