後七 小蘭、子宇に問い詰められる

 子宇の部屋に連れてこられた小蘭は、椅子に座らされた。

 執務室の方ではなく、子宇の私室らしかった。部屋の中は簡素な造りで、贅沢品も全くなかった。

 唯一書物が部屋の端に積み重なっていたが、この時代の書物は実に高価なものだったので、それは贅沢品と言えば贅沢品であった。


 子宇は先ほどの矢を懐から取り出して、小蘭の目の前の机の上に叩きつけた。

「何故打った!」

 彼は激怒していた。その怒気を受けて小蘭も若干興奮しつつ叫ぶ。

「何故って、アンタが命中させることなんて無理だろって言ったからよっ!」


 その答えを聞いた子宇は、何かに気付いたような表情を見せた。そしてやや冷静になったのか、大きく息を吐いて静かな声色で、彼女に教え諭すように言った。

「あんな所に矢が突き刺さっているのが見つかったら、後宮ここは蜂の巣をつついたような大騒ぎになるぞ」

 その言葉にきょとんとした小蘭は、その意味を理解するにつれて「あー」と自分がやらかしたことを悟った。思わず後頭部を手で掻く。

 何をするでもなくふたりは徐々に落ち着いてきて、それから部屋には気まずい雰囲気が流れた。


「何故主上を害しようとしたのだ?」

じじいに頼まれたから」

「爺? 何者だ、そいつは。暗殺結社の親玉か? または主上に恨みを持つ滅んだ旧家ゆかりの者か? はたまた隣国の工作部門の差し金か?」

 小蘭は呆れた。

「はあ~、アンタって見かけによらず想像力が豊かなんだね。爺は爺だよ。山にひとりで住んでいる、口の減らない、偏屈で変人のただのくそ爺だよ」


 子宇の口の端がひくりと動く。こちらは真剣に訊いているのだ。彼は声が荒ぶりそうになるのを必死に抑えながら言った。

「……そのただの爺がどうして、主上暗殺などという大それたことを思いついたのだ?」

「さあ? 大方猿が木から落っこちたからとか、屁を二回からとか、そんなとこじゃないかな」

 子宇は執務机をだん! と叩いた。それを見た小蘭はあ、秀麗とおんなじだと思った。 

「ふざけるな! そんな下らない理由なわけがあるかっ!」

 あるんだなあそれがと、小蘭は心の中だけで反論した。どうせ言っても信じてもらえないだろうし。


「貴様、恐れ多くも主上を害しようという試みは、それを実行しなくとも口にするだけでも大罪だということを知っているな。その罪は最も重く極刑しかない。さらに貴様の身内も族誅となるのだぞ。九族誅殺と法では定められているのだ!」

 九族誅殺。爺の戯言の産物としては悪影響が甚大だ、と小蘭は思った。

「何とかアタシだけにまかりませんかねえ?」

 その態度に子宇は目をわずかに見開き、言葉を続ける。

「主上弑逆の試みの罪を犯した者は、両手足を縄で結び付けられ、それに馬車を繋いで四方に走らせて、身体を引き裂かれる車裂きの刑と決まっている。衆人環視の上でだ。わかっているんだろうな?」

「それはいいですけど……アタシひとりの単独犯ってことでひとつ」


 ひとつ何だ、と子宇は怒鳴りたい気持ちになった。

 無残に処刑されると聞いても、顔色も変えない目の前の少女にである。

 年齢は明らかに自分よりも下。なのに信じられない程の弓の腕前を持つ娘。

 いや――

(この期に及んでも命乞いのひとつも、私と目も合わせようともしないとは!)


 その他人事のような態度にかちんときた子宇は、小蘭に向かって手を伸ばし、顎をつかんで自分の方に引き寄せて言った。

「こっちを見んか大逆人が!」

 小蘭と子宇の瞳が合う。彼女はあっと思った。

 この宦官の予期しない行動に、目をそらすいとまがなかったのだ。

「な……!」


 子宇は少女の瞳の中に、原初のくらい深淵を見た。

 そしてその奥の最も深く昏い場所に、自分が落ち込む感覚を覚え――


 子宇が目を覚ますと、自分が長椅子に横になっているのがわかった。

 上には毛布が被さっている。

 彼が横を見ると、小蘭が椅子に座ってこっくりと舟を漕いでいる。

 自分が気を失ってから、かなりの時間が経ったと子宇は感じた。

(何故だ?)

 子宇は上半身を起こすが、軽いめまいと吐き気を感じた。うううと唸り、やむなく彼はもう一度横になる。

 と、少女が目を開いて、

「あ、起きたんだ」

 と安堵の表情を浮かべた。


 眩暈がやや落ち着いた子宇は言った。

「貴様、邪眼持ちか」

「そうだよ」

 小蘭はあっさりと認めた。

「何故逃げなかったのだ?」

「逃げてどうするの?」

 その答えを聞いた子宇は、あらためてふむと考えてみた。


 確かに祁北州出身と身元がばれている以上、ここで逃げても結果は同じである。であるが、目前の危険からは少しでも遠ざかろうとするのが、人間の本能というものではないだろうか。

 あるいは、もっと積極果敢な者であれば、

(私を殺して何食わぬ顔で皆の中に紛れ込めば、まず見つかるまいに)

 と子宇は思った。


 今の時刻は深夜で侍従の慶文はおらず、自分はひとりきりなのだ。 

 子宇は少女を見る。少女も子宇を見ているようにも思えるが、ほんのわずかに焦点をずらしているとわかった。 

(生粋の暗殺者や殺人鬼には見えないが……)

 そう子宇は小蘭のことを判断した。


 そのとき子宇の頭の中に、ちょっとした疑問が生まれた。

(祁北州の春蘭?)

 彼はさりげなく小蘭に問いただしてみる。

「お前、本当に試験で首席をとった祁北州の春蘭なんだろうな?」 


 一瞬、ほんのわずかに少女の目が泳いだのを子宇は見逃さなかった。

「お前! 身元も誤魔化していたのかっ!」 

「ちっ、違うよっ! ほ、本当はそうなんだけどっ! これは違うのっ!」

「言っていることがさっぱりわからんぞ」

「ううう……」

「吐いてもらおうか。洗いざらいな」

 そうして小蘭は観念して、自分がここにきた経緯を自白したのである。

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