後八 子宇、小蘭の行動に納得する
「
長椅子の上で上半身だけ起こしている子宇は、呆れた表情を浮かべていた。
「はあ……病気の姐と偽って、半年間皆を騙し通せると思っていたと? お前は阿呆か?」
「なっ、アタシがやりたくてやったんじゃないって! 無理矢理やらされたんだって!」
「何故普通に病気だと、役所に届け出なかったのだ?」
「期日までに出仕しなきゃ合格を取り消されるって、うちの父ちゃんが……」
「試験で首席になるような逸材を国が逃すわけなかろうが。少しは考えろ」
「ううう……」
子宇は身代わりが露見せずに期間中、無事過ごせると楽観していた小蘭の家族の
さらに目の前の少女は
そのことを思い出した子宇はこめかみを指先で押さえ、ぐにぐにと指圧した。
頭が痛くなってきたのだ。
「全く、間抜けすぎる。特にお前は」
「でもっ、今まで見つからなかったじゃない!」
「ふん。遅かれ早かれというところだな」
「でもっ、今まで見つからなかったよね!」
「……」
同じ
今夜小蘭の姿を見つけてあとをつけたのは、自分の全くの気まぐれだったし、帝暗殺の試みが行われようとは、毛ほどにも思いもしなかったのだ。
実は子宇が寝ようかというときに、彼は不思議な声を聞いたのだ。
『今夜、燕の宮の屋根の上に行くが良い。剣を忘れるな。そこでお主に驚くべき出会いがあるだろう』
子宇は初めは幻聴かと思った。それでその声を無視して眠ろうとしたのだが、どうにも気にかかって眠れなくなった。仕方なく彼は、とりあえず言われた場所に行ってみることにしたのだ。何も期待せずに。
そうして行ってみれば――
(あれは確かに老人の声だったな)
そう思い返すのだった。つまり、何から何まで偶然の産物であった。それだけに今回の僥倖に子宇は感謝したのだが、
「やっぱりたまたまだったんだ。運が良かったね」
と発端となった張本人から得意顔で言われると、子宇としては全く面白くないのだった。
もしかするとあの言葉を伝えてきた老人は この国の守り神かもしれないのだ。
(いや、絶対にそうだろう。主上を弑せ、などというとんでもない爺がいれば、危機を知らせてくれる神様のような老人もいる……)
目の前の少女は何の緊張感もなく椅子に座っている。
彼は腹いせに小蘭を脅すことにした。
「それで? お前は車裂きの刑、火あぶりの刑、重労働の刑のうちどれがいいのだ?」
皇帝暗殺は車裂き、邪眼もちは火あぶり、身元詐称は重労働の刑である。そのどれかを選べと子宇は言ったのだ。
そしてその当の小蘭の返答といえば――
「どれでもいいって。アタシだけにしてくれるなら」
と、適当な返事をしてきた。
(まただ)
と子宇は顔を歪める。どうしてこの少女は、生に執着する姿勢を見せないのか。
「あのね、山ではね――」
「うん?」
そうして子宇がしばらく黙っていると、珍しく小蘭の方から話しかけてきた。
彼は一体何が語られるのか、静かに次の言葉を待った。
「山ではひとがよく死ぬんだよ。ほんのちょっと足を踏み外したとか、ひとつ道を間違えたとか。予想外の寒さもそうだね。あとは飢えた獣にばったり出会ったり」
子宇は山を登ったことがないので、口を挟まずに耳を傾ける。
「でも山がひとを殺そうと思って殺すわけじゃない。全部ひとのせい。ひとが山で死ぬのは、一から十までひとが原因なの」
小蘭の声は澄んでいて、奇妙に子宇の中に残った。
「そのひとが善人だからといって、山が手心を加えることはない。逆に悪党だからといって余計に苛烈になることもない。山はただ、山であり続ける。それ以上でもそれ以下でもない」
自然は厳格に摂理を実行して、ひとの意など欠片も
「アタシは山で死にかけた。勿論山が悪いわけじゃなくて、自分が未熟だったせい。そのときに」
家族は全く知らなかったが、小蘭は山でかなり危険な目に遭っていたのだ。
それでも獲物を肩からぶら下げて
うちの娘は山がとても好きなんだろう、と。
「――爺に命を助けられた。今アタシがここにいるのは爺のおかげ」
小蘭は嫌という程そのことを知ったのだ、自分の身をもって。おそらく爺の助けがなければ命を失ったであろうことは間違いなかった。
「その爺が冗談にせよ、帝を
ここに至って子宇は、目の前の少女がどうして主上を殺そうとしたか、やっと理解したのだった。
この時代のこの国の人たちは、生きていくうえで最も大切なものは”信義”であると信じていた。それは法の上位にあるものであった。
法というものは所詮、そのときの施政者の”都合”によって決められるものだと、皆が認識していたのだった。
そんなものに寄っかかっては、ひとは生きてはいけない。生きていく為には何かしらの”芯”が必要だった。
”信義”はそれに足るモノであった。であるから恩には恩を。仇には仇を。
恩を受けてそれを返さないのは”信義”にもとる行為とされ、皆から蔑まれた。
そういう風潮があったのである。
この風潮は後年徐々に薄れていき、代わって法が重きをなすようになっていくのだが、まだこの時代はそれが濃厚だった。
子宇はそのような理由があるならば、この娘がこんな大それたことをしでかしても、不思議ではないと納得したのだった。
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