前二 小蘭、宿舎裏に呼び出される

「どういうことですのっ! 説明して頂きますわよっ!」

 ばん! と秀麗は宿舎の壁を叩いた。それを見て、

(ああ、机がなくてもやっぱり叩くんだ……)

 と小蘭は思った。

「あ、あああのお方のお部屋に入るなんてっ! ははは破廉恥ですわっ! 私もまだ中を覗いたことすらないのにっ!」

 本当にこいつは何考えているんだと、小蘭は冷めた目で悶えている秀麗を見やった。


「ど、どんな謀をもってあのお方に取り入ったの? 聞きたい聞きたい!」

 その隣で珍しく雨依が、興奮気味に小蘭に詰め寄る。

「取り入ったなんて……アタシが取り込まれたんだってば……」

「じゃ、じゃあどういう謀で取り込まれたのっ!」

 瞳をきらきらさせながら迫ってくる雨依に、小蘭は、

「駄目だこりゃ……」

 と早々と匙を投げた。


 続いて今度は脇の珊妙が、

「その気がないと見せかけて急接近するのは、通俗小説の常道だったわー。やられたわー、ぬかったわー」

 とうんうんと頷きながら感心している。小蘭はすぐさまそれを否定した。

「いや、その気って何? 急接近って何? 何もないんですけど!」

「わかってるわかってる。そう言いつつも実は……ってやつでしょ」

 妙に親しげにうり、うりとつついてくる珊妙に小蘭は、

「珊妙は、頭の悪くなる小説を読みすぎだってば……」

 と毒を吐くも、珊妙は全く聞く耳を持たない。


 そして自分の順番を待っていたのか、涛瑛が騒ぎ始める。

「あのお方との協定は、宮女百人分に勝るのです! 是非私もまぜて欲しい!」

「だから涛瑛、その協定ってどういうものなの一体?」

 と小蘭は突っ込むも、涛瑛は当然の如く聞いていない。

「もし子宇様と協定を結ぶことが出来たら……くふふ」

「だから何よそのくふふって」

 小蘭は、出来ることなら涛瑛アンタにアイツをおっかぶせて、アタシはバックレたいよと本心で願った。


「春蘭! 急にいなくなって! 心配したんだよっ!」

 突然後ろから怒られて、小蘭はびくっと背筋を伸ばした。振り返ると涙目の梓明が小蘭を見つめている。

「ご、ごめん梓明……」

「もう、黙っていなくならないで。お願いよ」

「う、うん」

 小蘭のことを一番心配してくれたのは、やはり梓明だった。

 であるからこそ、彼女だけには事の真相を知られることは、絶対に避けねばならないだろうと小蘭は思った。


 そしてやっと秀麗は正気に戻った。

 小蘭は差し障りのない釈明を彼女にしなければなるまいと考えた。

「ぐ、偶然仕事を手伝うことになったんだよ……」

「偶然ですってえ~?」

 秀麗の声が上ずった。

「そんな偶然が、その辺にごろごろと転がっているわけないでしょうが! 河原の砂利とは違うのですわ! 本当のことを言うのですわっ!」

 小蘭が苦しいかなと思った言いわけは、やはり彼女にはまるで通用しないのだった。


 雨依、珊妙、涛瑛も頷きながら小蘭から目を離さない。

 梓明だけは心配そうに小蘭の方を見ている。小蘭はやむなく本当のことを話すことにした。

「あ、アイツに弱みを握られちゃって、無理矢理手伝わされてるの……」

「弱みですってえ~?」

 これは紛れもなく真実だったが、その内容はとても他人ひとに言えるものではなかった。

(帝を暗殺し損ねた、なんて言って誰が信じるのかな?)


 秀麗はしばらく怪訝な目つきでじろじろと小蘭を睨んでいたが、ふと納得したように満面の笑みを浮かべながら言った。

「春蘭、あなたが石板だということは、秘密でも何でもなく公然の事実ですわ。お気になさらずに力強く生きていけば良いので――げふうっ」


 その瞬間、見えないパンチが秀麗の腹部レバーに食い込んだ。

 彼女は一声うめくと床に丸くうずくまり、そのまま静かになった。

「あー、いけないいけない、つい手が出ちゃったわー」

 小蘭はにやりと口角をつりあげて、手をぷらぷらさせながら他の三人に向けて笑った。

 雨依、珊妙、涛瑛の三人は、顔面蒼白となって思わず後ずさった。


「春蘭~」

 そんな光景を見ながら梓明は苦笑いしていた。

 彼女は十二人兄弟の長女である。きかん坊の弟たちを言い聞かせるのは骨が折れると言っていた。

 彼女は見た目より、荒事に慣れているのかもしれない。


「じゃあ春蘭は、ちゃんとご飯は食べているのね?」

「うん。だから心配しないでよ、梓明。大丈夫だから」

 小蘭は相変わらず瘦せぎすだったが、血色は悪くなかった。梓明はそれを確認してようやく安心したようだった。

「どんな経緯があって、子宇様の下で働くことになったかわからないけど、私は春蘭のこと信じてるからねっ!」

 そう言ってくれた梓明を見て、小蘭は胸がずきんと痛んだ。

 自分は今、梓明をある意味だましているのだ。

 小蘭はなるべくそのことを考えないようにしようと思った。


「春蘭、今どこで寝泊りしてるの? まさか物置部屋なんかじゃないよね? 部屋の場所教えてよ」

 という梓明の問いかけに小蘭は、

(つい先日まで物置部屋でした、何て言えないよねえ)

 と苦笑した。

「うん、実は内侍尚内の一角にある部屋をもらって寝泊り――」

「なあんですってええええ!」


 がばあっ! と、擬音付きで勢いよく復活した秀麗は、血走った眼を小蘭に向けた。今度は小蘭が肩をすくめて後ずさる。

「ちんちくりん! 貴女がどんなコネを使ったか知らないけれど、まさか子宇様がお住まいの官宿舎内じゃないでしょうねっ!」

 あの男が何を考えているかわからないが、小蘭はあの男の私室の真向かい部屋を与えられたのだ。そのことを秀麗に知られるとまた面倒なことになるので、小蘭はとぼけることにした。


「ん~ん? 違うよ、別の場所だよ?」

 努めて平静にそう言って、小蘭はついと顔をそむける。

 一連の小蘭の所作をじい~っと細目で凝視していた秀麗は、ぶるぶると震え始め、かっと目を見開くと、

「げはあっ!」

 と血を吐いてばったりと倒れた。

 恐るべし秀麗は、謎の直感で小蘭の嘘を看破したのだ! そして彼女は憤死した。

 

 その反応を見た小蘭は、

(う、上手くごまかせたよね?)

 と思い「じゃあ」と手を上げて、元ルームメイトたちと別れようとした。

 その両肩を雨依、珊妙、涛瑛の三人にがしっと掴まれ、小蘭は身動きが取れなくなった。

「部屋まで頂戴するその謀。じっくりと聞かせてもらう」

「通俗小説でもそんなご都合展開ありえないから」

「協定をぶっちぎっていきなり同盟って反則よ反則!」

(本当にアタシ疲れてるんだってば! 勘弁してよお……)

 

 小蘭は元ルームメイトたちの追及にげんなりとした。

 さらにすぐあとに秀麗が生き返って、小蘭は四面楚歌となるのだった。

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