前二 小蘭、早速窮地に陥るも気付かない

 後宮内にある講堂には、百十九名の新任宮女が揃っていた。

 席は成績順であり、最前列には各地の試験で成績が優秀だった見習いの少女たちが並んでいる。


 秀麗ショーリーは自分の隣を意識して歯ぎしりをした。そこには一人分の空間が空いている。

(こ、このわたくしがじ、次席ですってえ~? 許せませんわ!)

 秀麗は代々優秀な官僚を輩出しているほう州の名家の出で、彼女はそこの長女だった。

 幼い頃からの恵まれた教育環境と本人の資質もあって、将来の貴妃候補と噂されていたが、本人は女官になる道を選んだ。現皇帝の後継者がすでに決定していることと、中央官僚になる為の登用試験は、女性は受験出来ないことから、皇家を後ろから支えることにしたのだ。

 そして万全を期して挑んだ女官登用試験は、ほぼ完ぺきの出来を持って秀麗に手ごたえを与えた。

(私が首席合格間違いなしですわ!)


 しかし、蓋を開けてみれば――

 本来であれば、自分がそこに位置する筈だったのだ。一体何者が私からその座を奪ったのかと、秀麗は一刻も早くその”敵”の顔を見たかった。見て、一矢報いなければ腹の虫が収まらないと思った。


 と、講堂にどよめきが走る。今、美貌と才気で評判の人物が、講堂内に入ってきたからだ。

 内侍尚次官の子宇ズーユーである。

 その噂違わぬ端正な顔立ちを見て、秀麗は先ほどまでの不満が一挙に消え去った。

「なんてお美しい……」

 そしてとろんとした目で子宇を追う。講堂内の見習い宮女たちは息をつくのも忘れてその姿に見入った。


 その子宇は不機嫌な顔で後ろを振り返った。

「おい、ぐずぐずするな、早くしろ」

「ううう……小突かないでよ……」

「お前が馬鹿なことを言っているからだ。教えた通りちゃんとやるんだぞ」

「わ、わかったよ……」

「”わかりました”だ、馬鹿者が」

「わ、わかりました」


 秀麗は麗しの内侍次官の背後に、ちょこちょこと張り付ているブユのようなモノを見つけた。

 ”それ”は秀麗の目には、愛しき内侍尚次官に纏わりつく害虫に映った。

 そして”それ”は、ぶつぶつ言いながら秀麗の方に近づいてきて、隣の空間にちょこんと収まった。

 秀麗は目を剥く。

(こっ、このちんちくりんが、私よりも成績上位ですってえ⁉)


 隣のその少女は痩せぎすで、髪の毛もくせっ毛だらけだった(本人は整えたつもり)。秀麗のような女性らしい体型でもなければ、滲み出る気品、知性などまるで感じられず、そのしぐさにも洗練された優雅さなどという形容のかけらもない、野人なのは明らかであった(秀麗の評価は激辛です)。 

 そしてこの新しい門出のめでたい席で、「あー眠い」だの「だるいなー」だの不謹慎なひとり言を連発している。

 秀麗は発狂寸前であった。

(こここ、こんなのに負けた私の存在意義レゾンデートルって、一体何ですのおおお?)


 そんな秀麗の内面の葛藤など全く関係なく式は進み、主賓の出番となった。

 後宮の主は皇后だが、今日の式には不在だった。代わって三夫人のひとりである陽貴妃が挨拶を行うようだった。

 夫人は座ったままである。

 見習い宮女たちは一斉に首を垂れ、夫人のお言葉を拝聴する姿勢をとった。

 小蘭も、やや遅れながらも皆と同じ姿勢をとる。

 陽夫人の祝辞が始まった。


「今回の公募には大勢の俊英たちが寄り集い、各地にてかなりの激烈な競争が繰り広げられたと聞きましたが、それを見事くぐり抜けた貴女方の潜在力と若き力に、わが国は期待致します。日々の精進を怠らぬように」

 そう言い終わると陽夫人は口をつぐみ、微動だにしなくなった。彼女の祝辞は機械的にしごくあっさりと終わった。


 見習い宮女たちは顔を上げる。

 そして、進行役の宦官が声を発した。

「答辞。新宮女代表首席、祁北州君陽県出身、春蘭――」


 静粛。 

 講堂内は身じろぎも音を立てる者もなく、静けさが構内全体を満たしていた。

 そんな中で秀麗はひとり、胸の中で焦っていた。

 ちらりちらりと脇にいる、緊張感がまるでない少女を盗み見ながら。

(こっ、この、何をしてるのよっ! いえ、何故何もしないのよっ!)

 そんな秀麗の焦りを全く察知しない小蘭は、はやくこの式が終わればいいなあと呑気に思いながら、ぼけっと突っ立っていた。

 実は小蘭は、自分が”春蘭”だということをすっかりと忘れていたのだ。自分は小蘭で、宦官の声はどこか遠くの他人事のような感覚で聞いていたのである。

 

 講堂内にわずかに戸惑いの動きが起こる。

 しかし壇上の陽夫人は、無表情で微動だにしていない。

 進行役の宦官は「おほん」とやや大きめの咳を払ってから、もう一度声を発した。

「答辞。新宮女代表首席、祁北州君陽県出身、春蘭!」


 静粛。 

 三名を除く講堂内にいる全員が、心の動揺を示し始めた。

 その三人のうちのひとりは当の小蘭である。いまだに自分が”春蘭”と呼ばれていることに気付いていなかった。

 もうひとりは壇上の陽夫人である。彼女は感情のない人形のように、豪奢な椅子に座って講堂内を無表情に眺め続けている。そしてもうひとりは――激怒していた。


(あの馬鹿者が! 先ほど段取りを教えてやったろうが!)

 宦官の子宇であった。

 本来であれば式典セレモニーの際は、必ず予行練習をして進行を確認するのが慣例であったが、小蘭は当日に到着し、また後宮内で迷っていたためにこの事前練習に参加出来なかったのだ。それで子宇は歩きながら”首席”の役割を教えていたのである。小蘭が言うべき答辞も、

「この通り言え」

 と言って丸暗記させた筈だった。


 講堂は微妙な雰囲気に包まれた。

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