前六 小蘭、慶文に説得され、嫌々子宇を手伝う
失踪事件が起こってから、五日が過ぎた。
捜索は後宮西壁の向こう側を中心に継続中だが、ふたりの下妃の行方は
閉鎖した炎龍帝後宮の敷地が広すぎたせいでもある。全域を捜索するには人手が足りなさ過ぎたのだ。
子宇が執務室を空にする時間が長くなった。
事件解決の為に四方を飛び回っているらしい。それを見て小蘭は、はあ~とため息を吐きながらつぶやいた。
「偉くなると、色々と責任を負わされて大変だねえ……」
「そうですよ」
と答えて、慶文がお茶を淹れてくれる。
「子宇様には敵が多いですから」
「でもここの女官たちには大人気じゃない」
「そんなものは何の助けにもなりませんよ。子宇様の昇進は異例の速さで進み、それ故に妬心を抱く者がそこら中にいて、常に足を引っ張ろうとしているのです。勿論今回の件でもです」
常に敵に囲まれていて、緊張を強いられる毎日。
小蘭はいくら地位が高くて給料が良くても、そんな立場になるのだけはご免だと思った。
「だからいつも刺々しい言い方をするんだね。特にアタシに対しては、扱いが酷いと思う!」
慶文はにっこりと笑いながら言った。
「子宇様は小蘭に心を許しているのですよ。あのつっけんどんな物言いは、子宇様の照れ隠しでもあり、愛情表現でもあります」
「愛情表現⁉ はッ!」
小蘭はその言葉を一笑に付した。
「あのアタシに対する罵倒も、愛情表現だって言うの?」
「そうです」
「間違うと、ひとを蚤やダニを見つけたときのような目で見るのも?」
「勿論そうです」
「猫が獲物をいたぶるように、アタシの不手際をねちねち責めるのも?」
「それは……少し趣味が入っているかもしれませんね」
「……」
小蘭は口をつぐんだ。
この慶文という侍従は優しいし、自分にも美味しいものを用意してくれる良い男なのだが、アイツのことになると、全て善意に解釈してしまうのが唯一の欠点だと思った。それさえなければ完璧なのだが。
「ですから小蘭には子宇様のことを助けて欲しいのです。信頼出来る味方として」
慶文は本心からそう言っていると、小蘭にはわかった。
アイツももう少し毒のない言い方に改めれば、むやみに敵を増やさなくて済むのにと、心の中で愚痴を言う。
「……わかったよ。慶文の顔に免じて、アイツを出来る限り助けることにする」
「ありがとう御座います!」
慶文は小蘭よりずっと高い地位にいるにも関わらず、深々と彼女に頭を下げた。
小蘭は気恥ずかしくなって、顔を赤らめて「いいから……」と断った。
午後になり、子宇が執務室に戻ってきた。
小蘭は不機嫌そうな子宇に言った。
「アタシ、アンタの手伝いをしてもいいけど……」
「本当かっ!」
子宇はその言葉を聞くと勢いよく立ち上がり、女性であれば花が咲くようなと形容されるであろう満面の笑みを一瞬浮かべ、そして小蘭の顔を見て何かを思い出したのか、また椅子に不承不承の態で座った。
そして、つまらなそうに口を開く。
「まあ、お前が心を入れ替えたのは殊勝なことだな。褒めてやる」
小蘭はその返答を聞いてまずぽかんとし、続いて後ろに控えている慶文に「今のどう?」と問いたげな目配せを送った。
それに応えて慶文は、子宇に気付かれないように、ぺこぺこと小蘭に頭を下げるのだった。
小蘭はぷしゅ~と鼻息を吐き出して、とりあえず怒りを抑える。
「それで? いなくなった下妃の居場所は何処だ?」
「は?」
突然の子宇の質問に、小蘭はあっけにとられた。彼女の動きが止まる。
返事が返ってこないので、わずかに首を傾げ、子宇はもう一度同じ質問を繰り返した。
「失踪した下妃の居場所だ。お前にはもうわかっているのだろう?」
「わかるかボケえ!」
だん! と小蘭は立ち上がって机を叩いた。
今度は子宇がその返答にぽかんとした。慶文が後ろで頭を抱えている。
しばしの間のあとに、子宇が再確認の為に噛みしめるように喋る。
「龍眼は別名千里眼とも呼ばれ、どんなもの、どんなところでも見通すというが……」
「アタシには出来ないけど」
「……ひとを意のままに操ったり、群衆を簡単に信じこませたり……」
「出来ないけど」
「……」「……」
子宇は目を瞑り、深々と息を吐き出すと失望した表情で、
「何と、まるっきりの役立たずではないか……」
とつぶやいた。
「ふざけんなゴラ!」
もう一度小蘭は机をだん! と叩いた。その最中に心の片隅で、(あ、アタシも秀麗と同じだあ)と思いつつ。
「こっちが手伝ってあげようと思ったのに! アンタは!」
「いや、それはありがたいと思っているし、評価するが――」
でも役立たずだろ?
という子宇の心の声が、小蘭には聞こえた気がした。
彼女は憤然として椅子を蹴り、部屋から出ていこうとした、そのとき、
「子宇様、今の態度は良くありません。小蘭に謝って下さい」
と慶文が珍しく強めの語気でたしなめた。
子宇は意外そうに慶文の方に顔を向けたが、そのあと小蘭の方に向き直ると、
「悪かったな……」
と頭をほんの数
小蘭は吃驚した。
この傲岸不遜が服を着て歩いているような奴が、たとえ数粍といえども自分に頭を下げたのだ。都の北にある蒼來山が、突如として大噴火しなければよいがと、小蘭は本気で心配したのだった。それを敏感に察知した子宇が、
「お前、私に対してとても失礼なことを考えてないか?」
と問えば、
「いいえ全く」
と小蘭がしれっと答える。
ふたりは無表情で向かい合い、先ほどの剣呑とした雰囲気は鳴りを潜め、
「ま、まあまあ。小蘭はどのような手伝いをしてくれるのですか?」
と慶文が場を取りなすように発言した。
小蘭は迷った。爺から自分の力の精確な情報は、決して漏らすなと念を押されていたからだ。だが……。
「……そのひと
「から?」
「それを
小蘭は言い切った。自分の能力に関することを。目の前のふたりを信じて。
「どう? つまんない力でしょ?」
子宇と慶文のふたりは、それを聞いて黙りこくった。
小蘭は反応の鈍いふたりの態度に、居づらそうに天井を眺めている。子宇と慶文は顔を見合わせた。
もし、この少女の言うことが本当ならば。
――やはり龍眼は凄まじい能力だと、再認識したのだった。
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