後九 子宇、剣技が冴えるも疲労に蝕まれる

 戦闘は続いている。

 子宇は突き出された剣を巻き上げて、空中に飛ばした。

 飛ばされた兵士は両手を上げて茫然としている。子宇はその兵士に追撃を加えることを止め、剣を下ろした。彼は丸腰となり、どうしたらよいか戸惑っていた。


「ええい! ふがいない奴らめっ! 剣兵は下がれっ! 槍兵ども、交代しろっ!」

 余裕の表情で子宇と兵士たちの剣戦を観ていた玄単は、思い通りにいかない状況に不機嫌になった。雑兵とはいえ、自分の兵士がばたばたと倒されていくのは、観ていて面白いものではない。梁の下には、二十もの自軍の兵士が倒れていた。

 玄単の命令に従って、梁の上から剣兵が下がっていった。

 そして代わりに、およそ1丈(三メートル)ほどの槍を手にした兵士たちが、続々と梁を渡って子宇たちに接近してくる。


「次官、助けは来るのでしょうか?」

「来ます。必ず」

 皇后は子宇の後ろで梁の上に腰を下ろして、壁に寄りかかっていた。疲れた表情の彼女は、子宇の背中に声を掛けたのだ。それに子宇は振り返りもせずに断言した。

 今まで自分の忠実な侍従が、期待を裏切ったことは一度たりともなかったからだ。

 慶文は必ず援軍を引き連れてここに来ると、子宇は迷いなく信じていた。


(それにしても槍とは……厄介だな)

 槍兵は戦場の主力兵科である。歩兵といえば槍を装備しているのが標準だった。

 槍の間合いで戦えば、剣は相手に届かずに攻撃されっ放しになる。剣を相手に届かせる為には、一度槍の攻撃をかいくぐる必要がある。

 だが、この狭い梁の上という状況が、圧倒的に子宇に不利に働く。左右に避けることが出来る余地が少ないのだ。


 槍を持った一番手の兵士はそれを構え、穂先をぴたりと子宇の喉元に狙いをつけた。熟練者らしい。子宇は剣を下段に構え、攻撃を待ち受ける。

 じりっじりっと兵士が間合いを詰めてくる。そして、子宇が槍の間合いに入った瞬間に、兵士は子宇の喉元めがけて素早い刺突を繰り出した!

 

 子宇は槍の穂先を剣で受けた刹那、わずかにひねって穂先をそらし、槍の柄を伝って一足で兵士の懐に入った。この兵士は初撃がかわされたら、ただちに槍を引き戻すつもりだったのだが、子宇の身のこなしはあっさりと彼の予想を越えたのだ。兵士は驚いたあとに、諦めの笑みを浮かべた。子宇は彼の喉元を切り裂いて、一番手の兵士は梁の下へと落下した。


 二番手の槍兵は柄を小刻みに動かした。穂先がぶれ、何本もの槍が迫ってくるように見える。普通の者ならば、それに幻惑させられるだろう。しかし――子宇は槍の穂先を剣の丸いつばで滑らせ、槍兵の刺突はあさっての方向に飛んでいった。あ、という顔をした兵士の胸を子宇の剣が貫いて、彼も下へと落ちていく。

 子宇はふっと笑った。

 老師に仕込まれた自分の剣技は、十分に通用するとわかったからだ。


 遠目にその笑みを見た玄単は、頭に血が上った。

 自分が嗤われたと勘違いしたのだ。

「ええい! あの小癪な孺子じゅしを追い落とせっ! 報奨を二百、いや五百金に増やしてやるぞっ!」


 それを聞いた槍兵たちは狂喜した。家どころか小さなまちが買える金額である。兵士たちは興奮して次々に梁によじ登り、その上を伝って子宇に襲い掛かった。

 子宇は五百金とはまた法外な、と苦笑しつつ、欲に狂った兵士たちを迎え撃った。

 そこからは混戦となった。

 槍兵が次から次へと襲い掛かってくる。


 子宇はひっきりなしに続く兵士たちの攻撃をさばきながら、梁の下からこちらを不安そうに見上げる陽妃、郭妃、曹妃の三夫人をちらりと見た。

(あそこに私の母上が居るのだ……)

「きああああっ」 

 突っ込んできた兵士の槍をするりと躱して、脇の下にはさみこむ。動かなくなった自分の槍に気が動転した兵士を子宇は腕を振って虚空に投げ出す。彼は悲鳴を上げて、槍を握ったまま落ちていった。


 そんな仲間の死も、彼らの欲を衰えさせることはなかった。

 後続は隙間が空けばそこに滑り込み、何とか最初に子宇に槍をつけようと必死になる。何しろ倒せば五百金である。彼らには子宇の姿が黄金に見えるのだ。

 火花が飛び、血しぶきが舞う。ここにきて、子宇の剣技は冴えに冴えた。

 幾人もの兵士たちが梁から落ちてゆく。兵士を斃すたびに返り血で、子宇の全身が紅く染まってゆく。


(母上! 子宇はここにおりますぞっ!)

 そう叫びたい子宇だったが、こんな状況で一体どうしろというのか。

 痣を確認し合えば、あっという間にわかるのに! 

 よりにもよって、『皇族不育の令』を提唱した皇后を守って自分が剣を振るう羽目になるとは、何という酷い皮肉だと子宇はつくづく思ったのである。


 と、攻撃がふっと途切れた。


 子宇が梁の先を見ると、大盾を持った兵士が近づいてきた。彼の後ろには三名の槍兵が付き従って、隊形スクラムを組んでいる。

「遂に来たか……」 

 荒く息を吐きながら汗をぬぐった子宇は、そうつぶやいた。


 前方からゆっくりと近づいてくる一団は、ある距離まで接近したらこちらに向かって突撃を始める筈である。そうして例え先頭の盾兵がこと切れても、すぐにものの勢いがなくなるわけではない。そのままこっちに倒れ込んできて、下手をすればそれに巻き込まれるだろう。もしそのまま引き倒されれば、

「それで、終わりだ……」

 そうつぶやいた子宇は「一、二、三、四、五」と数えて前進し、皇后から五歩分前に離れて身構えた。その背後の空間が、子宇に許された後退出来る猶予である。

 子宇は前傾姿勢をとり、低く剣を構える。まるで何かを受け止めようとするかのように。


 盾兵と槍兵の一団を率いている男は最後尾にいた。巨漢である。

 彼は若き内侍尚次官のことを知ってはいたが、もはや分袂ぶんべいした身である。例え成り行きで上官に付き従っただけとはいえ、覚悟はもう決めていた。この上はどちらかが倒れることになるだろう。


 先頭の盾兵が身を屈めた。突撃前の予備動作である。

 子宇は盾兵に向かって、ひと呼吸早く跳躍した。盾兵は一瞬虚を突かれたが、構わずに突撃を開始する。それに続いて二名の槍兵と巨漢の兵士が後に続いた。


 子宇は地を這う低い斬撃を放った。それは盾兵の盾の下をくぐり抜け、盾兵の左足を足首から切断した。地に着くべき足のない盾兵は、前かがみに姿勢を崩した。子宇は一歩後ろに跳び下がる。

 二番手の槍兵が盾兵の背中を乗り越えて突きを放ってきた。子宇はさらに姿勢を低くし、剣を槍の柄に沿って横なぎに放つ。二番手の槍兵の右手指四本が切り取られ、槍の穂先は子宇の左肩を軽く削いで後方に抜けていった。梁に着地した二番手の兵士はもはや槍を繰り出せず、子宇の二の太刀に腹を裂かれる。

 三番手の槍兵が、崩れ落ちる二番手の兵士の影から槍を突き出す。子宇は一歩下がってこれを躱し、穂先を剣で跳ね上げる。三番手の槍兵は、跳ね上がった槍を上から子宇に叩きつける。子宇はこれを躱しきれずに剣で受け、手を震わせた。三番手の槍兵は一度槍を引き戻す。子宇は一歩下がる。うめいている二番手の槍兵を乗り越えようとした三番手の槍兵の喉を再び前に踏み込んだ子宇が突き、鮮血が飛んだ。

 そして――最後尾にいた巨漢の兵士は、子宇の真上にいた。大きく後方に跳んだ子宇のいた位置に巨漢は着地し、槍を引き絞る。子宇のすぐ背後には皇后がいた。もう下がることも、避けることも出来なかった。お互いの目が合った。巨漢は子宇ごと皇后を突き通さんと、渾身の突きを放った! 

 子宇は瞬時に剣を両手で持ち、身体の前に突き出し、それと穂先を合わせる。

 槍の穂先はその半曲の背を伝い、れて劇場の壁に突き刺さった。その際に子宇の左腕に一筋の線が引かれ、肉が削がれて直後、血しぶきが飛んだ。巨漢はその神業に目を見開いた。

 自分の渾身の力を込めて放った突きが、皮一枚で見事に逸らされたのだ。目の前の男の力量が、ここまでの高みに昇っていたとは驚きだった。


 子宇と巨漢は見合った。口は開かなかった。

 巨漢はふっと笑って槍から手を放し、自ら梁から身を投げた。

 子宇は槍兵の攻撃をしのぎ切ったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る