後一 小蘭、昏睡中に事態が進む
*
どいつもこいつも勝手な解釈で動くから、事態がここまで悪化したのだ。今の椋国支配者どもは、しがらみが絡み絡まりまくって、誰もが身動き出来なくなっとる。発端はあの賢しい皇后だが、あ奴自身、自分の発した言葉に自分が囚われるという、実に間抜けな状態に陥っておる。そしてそれが宮中全体に及んで、全員がそれに引きずられて、首元までどっぷりと泥沼に浸かっているという体たらく。もうあ奴らだけでは、自力で抜け出せないほどにな。だから儂はあの娘を後宮に送り込んだのだ。色々とお膳立てには苦労したが、あの青年と接触させることにも成功した。事態を打開する起爆剤として、帝を暗殺しろと申し付けたときの、あの娘の呆けた顔は実に面白かったがな。そうして大方儂の望む方向に事態が進んでいったのだが、あの馬鹿娘は儂の言いつけを破りおった。あげく今は昼寝の最中とは! 肝心なときに寝坊するような娘は、きついおしおきが必要だの。まあ、これで椋国が滅ぶようなら、それはそれで国の命数が尽きていた、ということで別段惜しいことでもない。さて、あとは一体どのような結末を迎えるのか、じっくりと拝見させてもらうとしよう。かかっ。
*
「まだ目を覚まさんのか、あいつは」
夜の内侍尚の執務室でそう問いかける子宇の顔には、小蘭を気遣う気色があった。
「やはり、心配ですか?」
主人の忠実な侍従である慶文は、子宇にそう聞き返した。
「心配? ふん、寝覚めが悪いだけだ。私の案件に関わった結果こうなったのだからな」
(全く、このひとは……)
慶文が見る限り、子宇はかなり小蘭のことを気に掛けている様子であった。だがそう問えばこの主人は、取るに足らないといった態を装う。全く素直ではない男であった。
小蘭は自室の寝台に寝かされていた。
あの発見現場で小蘭が倒れてから三日が経っていたが、いまだに彼女は目を覚ましていない。
「身体の方は正常だと、医官が言っておりましたので……」
「問題は別なところにあるのだな」
「おそらく……」
慶文の淹れてくれたお茶を口にしながら、子宇は言った。
「知っているか? 高祖様も炎龍帝陛下も、四十にならずして早逝なされたことを。龍眼の
「あの能力の行使には、代償が必要だと?」
「おそらくな。能力を使い過ぎれば、あいつは長生き出来んだろう」
「子宇様はそのことをご存知だったのですね。だから……」
「……まあな。しかしあいつは一体何を視たんだ?」
「皆目……」
ひとが意識を失うというのは、余程のことである。しかし話を聞くには、小蘭が目を覚まさなければならない。
子宇は卓上の書類の一枚を手に取った。
それは鴝鵒宮にて、不埒な行為が日常的に行われているという報告だった。
曰く、鴝鵒宮には太寝(座所)を模した、豪奢な椅子を並べた部屋を密かに造設し、玄単と華蓉妃がそこに座して、皇帝皇后の如く周りを睥睨しているとか。
曰く、華蓉妃は至尊の黄の衣を羽織り、自身のことを”皇后”と呼ばせ、
曰く、鴝鵒宮のその他の妃嬪たちも、それぞれが自身を三夫人、八嬪になぞらえ、そのように呼称しあい、振舞っているとか。
鴝鵒宮の妃嬪たちと、帝の替玉である玄単は、あたかも自分たちがこの国を支配する皇族であるかのような、傲岸不遜な立ち居振る舞いを宮内で行っているというものであった。
子宇はそれを読んで、憤りを覚えた。
「これだけ証言が上がっていても、あの老人は動かぬ。これでは後宮の規律と風紀が正しく保たれぬ!」
だん! と子宇は机を叩く。それに対して慶文は穏やかに答える。
「彼らの行為が鴝鵒宮内に収まっている限り、陶悳様は黙認するおつもりなのでしょう。大事には至らない、という判断をしておられるのだと思います」
子宇は面白くないといった態度で、椅子の背もたれに身をあずける。
「私は玄単は気に入らぬ。最近では奴は増々、主上のように振舞うようになってきているのだ」
「それが彼の役割ですからね」
「その役割を逸脱し始めているのだ。役目でないときも、あたかも自分は主上であるかのような扱いを求めてくる」
慶文は子宇のその言葉に、ちょっと考えてから答えた。
「お役目中は皇帝として皆から最上級に持ち上げられ、それが終わると元の身分相応にぞんざいに扱われる。そんなことが長年繰り返されていれば、彼の中で何かが変質したとしても、おかしくはないでしょう?」
「ん? 何かとは何だ?」
その子宇の問いに慶文は、苦笑して答えなかった。
「では、お前はあいつのことを見ていてくれ」
「わかりました」
そう了承して慶文は執務室を出ていった。
慶文がいなくなり、部屋にひとりになった子宇は深く息を吐いた。
このところ、後宮では多くの問題が噴出し、そしてそれらは解決の目途が立っていない。子宇の能力が試される局面が増え、周囲の彼を見る目も厳しくなってきている。現在の任に就いたのはわずか半年前のことであるが、そんなことは免罪符にもならないだろう。
子宇は提出された書類に目を落とし、事務処理を始めた。
一刻ほど経ち、夜が深くなる頃になって、ようやく子宇は仕事を切り上げることにした。書類と筆記用具を片付けて、席を立とうとしたそのときに、彼の部下が部屋の中に飛び込んできた。
その顔色は真っ蒼で、子宇はとんでもないことが起こったのだと直感した。
「はあ……はあ……」
部下の息が整うまで、子宇は静かに待っていた。
そしてしばらくしてようやく、部下が言葉を発した。それを耳にしたとき、子宇の呼吸が一瞬止まった。
「上妃たち、全員が――き、消えました!」
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