後五 小蘭、元凶のひとりと対峙する
こつこつと石壁に小蘭の足音が響いた。そのあとに五名の足音が続く。
階段を下り切って、薄暗い地下道をしばらく先に進むと、小蘭たちは見事な紋様がほどこされた両開きの扉に行き着いた。
「これはまた、雰囲気がありますわね……」
「絶対罠が仕掛けてありそう」
「話の流れでは、親玉の住処ってのが定番かな」
「中に協定を結べる相手がいるかしら?」
「引き返した方がいいよう……」
五者五様の反応を傍目で見ながら、小蘭はこの先が、楚汀妃が連れてこられた場所だと確信した。
「貴女、おわかりでしょう? 準備を万端にしてから出直してきた方が――」
秀麗の言っていることを聞き流しつつ、小蘭は両開きの扉をばあんと勢いよく開けた。
「って、言ってるそばからっ!」秀麗は目を剥いた。
小蘭は何の迷いもなく中に入る。同輩五名はお互いの顔を
扉の中は広々とした空間で、おそらく一辺の長さが二十丈(約六十メートル)もある長方形の地下大広間である。方々に明かりがぽつりぽつりと設置されてはいるが、とてもこの範囲を覆えるほどの力はなく、中は薄暗かった。
小蘭たちは奥に進んだ。
小蘭が入って来た扉から見ると、奥に続く左右両側の壁には十数脚の椅子が置かれており、そこには人形たちが座っていた。
人形たちは
「人形?」
小蘭たちがいぶかしげに目を凝らして見ていると、暗闇に慣れてきたのか段々とそれが何かわかってきた。
「! あ……あれは人形などではありませんわ。あれは……」
「そうだね、骸骨だね」
秀麗が答えを口にする前に、身もふたもなく小蘭が答えを言ってしまう。
そのとき、大音声が響き渡った。
「我が座所に断りもなく入ってきた者は一体誰かっ!」
全員が声のした方を見た。
そちらは数段高い壇になっていて、一対の豪奢な玉座にはふたりの――骸骨ではない――男女が座っていた。
声を発したのは男の方、その至尊の衣を
「ももも、申し訳御座いませぬっ!」
秀麗を始めとした全員が一斉に跪いて、ごん! と音がする勢いで額を地に擦り付けた。彼女らは身を震わせ、恐れおののく。
見習い宮女の分際で、直接至尊の存在を見てしまったからである。それは両目をくり抜かれて処分されるのが、妥当な罪状であったのだ。
ただひとりを除いて。
「ほう?」
玉座の帝は目を見張った。自分に対して
小蘭であった。
「貴様……自分が何をしているのか、わかっておろうな?」
底冷えのする帝の言葉に対して、小蘭は吐き捨てるように応じた。
「うるさい。替玉のくせに偉そうに言うな」
「替玉?」
その小蘭の言に反応した秀麗らは顔を上げ、お互いを見やる。それから壇上の帝と、それと睨み合っている小蘭を見比べた。
壇上の帝の替玉である
「くくく。俺の存在を知っているのか。となると、かなり上位の者に近しい立場にいるのだな、お前は。そのようには全く見えんがな」
小蘭は小さく息を吐いてから、石羅に向かって言った。
「この悪趣味な部屋はアンタが造ったのね? 二十八名に及ぶ下妃失踪の元凶が、帝の替玉のアンタの仕業とは、さすがに誰にも思いもよらなかったわけね」
「悪趣味? ふん、お前にはそう見えるのか?」
「下妃の
「下妃は下妃。それ以上の価値はない」
石羅は至尊の座を模して作られた、隣の椅子に寝かされている呉涼妃の頬を撫でつつ言った。彼女は運悪く、この殺人鬼に絡み留められたのだろう。
「玄単の奴は鴝鵒宮内に自らの御所を造り上げた。ならば俺もひとつ、そのようなものを持っても罰は当たらんだろうがよ?」
「戯言を言うな。下妃失踪は六年前から始まっている。明らかに玄単より先でしょ」
「くくく。それでも奴とは利害が一致してな。ここを造る為に、色々と協力してくれたのだよ」
秀麗、雨依、珊妙、涛瑛、梓明の五名は、この小蘭と帝の替玉との会話を驚きをもって聞いていた。以前から
「とすると、玄単の奴も同罪ね。全く呆れた話ね」
「くくく」
「ま、アンタはもう終わりだから、さっさとお縄について観念しなさいよ」
「ふ、そう思うか?」
玉座に座っている石羅はさっと右手を掲げた。
小蘭を除く五名はあっとなった。
石羅の右手には、凝った装飾の短剣がいつの間にかに握られていたからだ。
そして石羅は歪んだ笑みを浮かべると、素早い動作で隣の呉涼妃の胸にその短剣を思い切り突き刺した!
たん。
――と思いきや、石羅の右手首には矢が一本突き立っており、それにより彼の右手は玉座の背もたれに縫い付けられた。
石羅は、生意気な口を利く眼前の小娘が弓を構えているのを見、首を回して自分の手首に矢が貫通しているのを確認して「ほう」と感心したような声を上げた。
そしてまたにやりと歪んだ笑みを浮かべ、右の手のひらを開いて、自ら短剣を下に落とした。それは地面に落ちる前に、素早く振られた石羅の左手に受け留められ、雷光の如き早業で今度こそ呉涼妃の胸に突き立てられ――
たん。
今度は左手が同じように矢によって椅子に縫い付けられた。
石羅は万歳した格好で両手を固定された。
彼はここにきて驚愕の表情を浮かべた。目の前の娘は見かけとは違い、弓に関しては凄腕の持ち主だということを理解したのだ。
小蘭は無言である。秀麗ら五名は息をのんで成り行きを見守っている。
石羅は真顔になると両腕に力を込めた。力づくで矢を引き抜くつもりなのだ。
「うおおおおおっ!」
石羅の口から気迫のこもった唸り声が上がった。
たたん。たたん。
石羅の左腕に二本、右腕に二本の矢が新たに突き刺さった。
小蘭がさらに四本の矢を一息で放ったのだ。
「ぎゃああああっ」
さすがの石羅も、増した激痛に悲鳴を上げた。からんと短剣が床に落ちる。
小蘭は石羅に肉迫し、苦痛に脂汗を浮かべたその顔面に弓を叩きつけた。
「ぐぎゃあっ」
石羅の顔から血しぶきと前歯が数本飛び、ぎょろりと白目を剥いて、彼は気絶した。
もはや脅威ではなくなった男に関心を失った小蘭は、隣の玉座に座らされている呉涼妃の様子を見る。彼女の首筋に指を添えると、弱弱しいが心の臓の鼓動が感じられた。小蘭はほっとした。
「梓明! 珊妙! こっち来てっ!」
小蘭の呼び声に、ふたりは立ち上がって駆け寄って来る。
「この
「うん!」「わかったわ!」
梓明と珊妙のふたりは快諾し、梓明が呉涼妃を背負い、珊妙がそれを補助する形で部屋を出ていった。
「雨依! 涛瑛!」
今度は小蘭は、別なふたりの名を呼んだ。
「お!」「はい!」
呼ばれたふたりはすぐに応じた。
「ふたりは内侍尚に行って、失踪した下妃の大量の死体を見つけたと知らせて! ついでに犯人も捕まえたって!」
「諾!」「了解ね!」
そう答えて雨依と涛瑛のふたりは走って出ていった。
それを見届けた小蘭は、自分も次の目的地に向かうべく立ち去ろうとした。
「わっ、
(あ、秀麗が残ってたの、すっかり忘れてた……)
小蘭は秀麗の必死な顔を見て、そう言えばコイツもいたんだっけなと思い出した。
しばし考えこんでいた小蘭は、ぽんと手を叩くと秀麗に向かって言った。
「そこの壁にかかっている棍棒を持って――」
「この棍棒を持って?」
秀麗は小蘭に言われた通りに、棍棒を手に取った。
「ここに立って――」
「ここに立って?」
秀麗は気を失っている石羅の脇に立った。
「応援が来るまで、そいつが目を覚まそうとしたら、その棒でひっぱたいてまた気絶させて」
「わかりましたわ! 応援が来るまでひっぱたいて、気絶させ続ければよろしいのですわね!」
「頼んだよっ」
そう言って小蘭は出口に向かって駆け出した――と何かに気が付いたか、ふと足を止めて一体の亡骸に近付く。そして手首に巻いていた一筋の長い髪の毛を解いて、その亡骸の首にかけてやった。
すると、その亡骸が微笑んだ――ような気が小蘭にはしたのだった。
小蘭が出ていくと、大広間には秀麗だけが残された。
しんとした薄暗い地下部屋に、ひとりだけぽつねんと立ち尽くす秀麗。周りには大量の死体が彼女を囲み、すぐ側には殺人鬼が気を失っている。
「……今、気づきましたが……ちょっとここは……雰囲気が……」
ここに至って初めて彼女は、自分の置かれている状況に気が付いたのである。
「皆様……早く……お早く戻って……きて下さいまし……」
秀麗は背筋が寒くなってがたがたと震えながら、応援が来るのを待ち続けるのだった。
鴝鵒宮を出た小蘭は西に向かう。するとすぐに後宮の西壁に突き当たった。
林の中にあるその壁の部分は碌に手入れもされておらず、蔦が絡まって上に伸びていた。小蘭はそれを伝って壁をよじ登り、上部に出た。
そこから西を望むと、黒々とした廃墟の影の隙間にちらちらと光るものが見えた。
「鬼火?」
一瞬そう思った小蘭だが、それはかがり火だとわかった。あそこに誰かいるのだ。
小蘭は壁から飛び下りて綺麗に着地すると、一目散にその光に向かって走った。
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