代替宮女

高山良康

序幕

小蘭、都に行く

小蘭シャオラン、アンタ私の代わりに都に行きなさい。げほっ」

「へっ?」

 山から戻って来たばかりの小蘭は、唐突にあねからそう命じられて思わず間抜けな声を上げた。今、姐は寝台に横になっているが、その顔色は悪かった。小蘭が山に籠っていた間に、彼女は体調を崩してしまったのだ。

「都に行けって……ねえちゃん、それだけじゃ何が何だかわからないよ」


「小蘭、春蘭チャンランが先日行われた後宮の、女官登用試験に合格したことは知っているだろう?」

 側に控えていた母がそう言ったので、小蘭は「うん」と頷いた。

「だが、あいにく春蘭は風邪を引いちまったんだ。何でも決められた日までに後宮に行かねえと、合格が取り消されるって話だ」

 今度は脇にいた父が、母の説明を補足するように言葉を継いだ。

 姐は明らかに風邪よりも重い病気のようだったが、父は何でもかんでも風邪にしてしまうのだ。

「つまり姐ちゃんの身代わりに、アタシが後宮に行くっていうの?」

 父と母と寝台の姐はうんうんと頷いた。


「……。無理無理無理無理絶対無理だって!」

 腕をぶんぶんと大きく振って、小蘭は拒絶した。どう考えても自分に姐の代わりが務まるとは思えない。姐は凄いのだ。

「何が無理なもんかい。小蘭、覚悟を決めれば、この世の大抵のことは何とかなっちまうんだよ!」

 と母が言えば、

「後宮にはひとがいっぱいいるだろう? ひとりくらい紛れ込んだってわかりゃしねえよ」

 と父が続ける。

「そ、そんなの無茶だよう……大体アタシが帝のお相手なんて無理だよう……」

「帝の?」と、母がきょとんとした顔で答えれば、

「お相手?」と、父も似たような表情でつぶやいた。


 父と母はお互いに呆けた顔を見合わせると、いっときの間をおいてから揃いも揃って大爆笑した。

「あっはっは! 小蘭、アンタもお年ごろだからねえ。そっちの方に気が向いているのを聞いてあたしゃ安心したよ!」

 と母が大口を開けて笑いながらぶっちゃければ、隣で父は

「ぷぷぷ。誰がおめえみたいな痩せぎすを相手にするかってーの」

 と、肩を震わせてぼそりと言った。

 その辛辣な物言いに頭にきた小蘭は、父の向こうずねを思い切り蹴飛ばす。

 そのとんでもない痛みに、父は悲鳴にならない悲鳴を上げた。

 父の情けない顔つきを確認した小蘭は、大いに溜飲を下げる。


「小蘭」

 そのとき寝台から一言、声が掛かった。それが小蘭の耳に届くと、彼女はびくん! と身体を跳ねさせた。そして恐る恐る姐の方をみる。

「小蘭は私を助けてはくれないの?」


 姐の春蘭の声はごく静かなものだったが、小蘭の耳にはまさに猛獣の唸り声のように聞こえた。そして彼女は一瞬で、自分に拒否権などないのを悟ったのだった。

 泣きそうな声で小蘭は答える。

「……わ、わかったよ姐ちゃん。何とかやってみるよ……」

 春蘭は寝台に横になりながら、話を続ける。

「小蘭が後宮ですることは、帝のお相手をする妃たちの世話よ。だからそんなに緊張しなくてもいいの。それに、小蘭には何も、ずっと後宮に居ろって言ってるわけじゃない、ごほ。ひと月後か三ヶ月後か半年後かわからないけど、休みはもらえるはずだから、その時に病気が治った私と入れ替わるの。それまでばれなきゃいいのよ」

「う~ん、そう上手くいくかなあ?」

 小蘭と春蘭は姉妹だがあまり似ていなかったので、その点が心配な小蘭だった。

と、姐の口調が変わる。


「上手くいかなかったら……アンタ、わかってるわよね?」

「はいっ! 全身全霊を傾けて、頑張らせてイタダキマス」

 ぴんとした直立不動の体勢で小蘭は答えた。昔から全く姐には逆らえない小蘭なのだった。

 そんな妹から目線を外した春蘭は、

「アンタはやれば出来る子なんだから……しっかりやんなさいよ」

 と言って目を閉じた。気丈な姐もかなりつらそうな様子だった。

(え? 今の姐ちゃん、アタシを励ましてくれた?)

 姐の言動には常に威圧が伴うので、なかなか真意をつかむのが難しいのだ。

 小蘭は、これは出発する前にじじいに相談せねばと思うのだった。


 半月後。小蘭は椋国の首都である凱都がいとにいた。

 もっと精確に言えば、都の北地区に位置する宮城の、さらに西側にある後宮の敷地内にいたのである。

 そしてそこで確りと迷子になっていたのだった。

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