中一 小蘭、深みに嵌りつつある自分を自覚する


                  *


 その欲求に気付いたのは、この役職についてからだ。それ以前は、そんなものが自分の中にあるなど、思いもよらなかった。その欲求を満たすのは一見難しく、一方で簡単であった。最初のときは思わず突発的に行ってしまい、最も難渋した。それ以降は随分と楽になったと思う。コツを覚えたのだ。その欲求を満たすのに、現在の地位は非常に好都合であった。私はこの立場を十二分に利用して、自らの、身体の奥から湧き上がるその欲求を処理してきた。その行為は、彼女たちの将来を潰すことにもなるが、所詮は下妃である。彼女らの替えなど、巷にいくらでもいるのだ。そうして、齢を重ね、身体に衰えがみえ始めても、その欲求は立ち消えることなく、増々強くなるばかりである。私は本心から告白するのだが、正直持て余しているのだ、その欲求を。おそらく、誰かに止められるそのときまで、その行為をし続けるに違いないのだ。


                  *


 真夜中である。

 内侍尚の建物内にある子宇の私室の居間に、三人の人物が集まっていた。

 この部屋の主である子宇と、その侍従である慶文と、そして椅子に座って縮こまっている少女、小蘭である。


 三人は一言も喋らずに、既に長い時間が経過していた。

 椅子に座っている小蘭は、身を固くして身じろぎもしない。それを見下ろしている子宇の表情は、氷冷かつ無情である。

 残るひとりである慶文は、そんなふたりを一歩退いて見守っている、そんな感じであった。時計があれば、こちこちという音だけが響くような静寂の中、三人はじっと口をつぐんで佇んでいた。


 だが、その沈黙の世界も、ようやく終息となるようだった。

 全く動こうとしない小蘭に、遂に子宇が業を煮やしたのだ。

「お前、いい加減に――」

「……シは何も……いない……」

「ん? 何だと?」

「アタ……見て……ない……」

 小蘭は黙っていたのではなかった。何やらぶつぶつとつぶやいていたのだ。この部屋で座らされてから、ずっと。

 その言葉をよく聞き取れなかった子宇は、いらついて言った。

「お前、もっとはっきりと喋れ――」

 

「アタシは何も見ていないっ!」


 ばん! と机に両手を着いて、小蘭は立ち上がりざまに叫んだ。

 子宇は意表をつかれて思わず身を引く。

 小蘭の酔いはすっかりと醒めていた。


 小蘭と子宇はしばらくの間、見つめ合った(小蘭は焦点を合わせていない)。

 と見る間に、小蘭の顔が真っ赤になっていき、彼女はバツが悪そうに口を尖らせて、ツイッとそっぽを向いた。

「おい、何だお前! その、反応……は……」

 その態度をきつく問いただそうとした子宇であったが、何かに気付くと彼の頬もわずかに赤くなり、視線を下に落とす。

 そうして、妙に気まずい空気が部屋の中に漂ったのだった。


 そのとき。

 おほん、という咳が後ろから聞こえて、小蘭と子宇はそちらに振り向いた。

 慶文であった。

「もうその辺でよいでしょう。子宇様、小蘭には全てを話しては?」

「こんな何も考えていないような奴に、我が秘密を明かすのか?」

「仕方ないでしょう? ばれてしまったのですし」


 小蘭はふたりのやりとりをほけっと聞いていたが、子宇に”こんな奴”扱いされて、猛然と腹が立ってきた。そして、そもそも自分が荒れる元となったやり取りを鮮明に思い出して、肩を怒らせ、きびすを返して部屋を出ていこうとした。

「おい、話は終わっていないぞ」

 子宇が呼び止めたので小蘭は足を止め、振り向いて言った。

「もうアンタに従う必要がなくなったから、出ていくのよ」

「なんだと⁉」

 小蘭の返答に、子宇は目を剥いた。


「確か後宮に居られる男性は、皇族のみの筈。アンタはそれに反している。つまり犯罪人ね。アタシとアンタは同類って訳。だからもうアンタの言うことを聞く理由はアタシにはないの」

 許可なく後宮に入り込んだ男は、漏れなく死罪であった。

 小蘭は自分の犯した罪を盾に、いいように使われてきたことにも立腹していたのだ。そして子宇に向かって一言、怒鳴りつけたのである。

「この、似非宦官!」

 子宇はひるんだ。


「あはははははは!」

 向き合うふたりの後方から、大きな笑い声が響きわたった。小蘭と子宇は揃ってそちらを見た。

「ははは……いやすみません。可笑しくて、どうしても我慢できなかったのです」

 笑い声の主は慶文であった。

 子宇は渋い顔をし、小蘭はいつもにこにこしているが、いまいち何を考えているのかわかりづらいこの青年をまじまじと見た。

「いや……小蘭、実はこの子宇様は皇子なのです」


「うへえええっ⁉」

「何だその奇声は!」

 子宇が不満そうに言った。口を開いて固まっていた小蘭は、ぼそっとつぶやく。

が皇子? この国も終わりだあ……」

「おいっ貴様! それは一体どういう意味だっ!」

 いつもの冷徹な仮面を剥ぎ取って叫んだ子宇の姿は、十代の年相応の青年だった。


「あーーーっ、はっはっはっはっ」

 またしても大きな笑い声が響き渡り、文字通り床に笑い転げている慶文を見て、小蘭と子宇のふたりはあっけにとられた。

「……慶文って、こんなおちゃめなヒトだったっけ?」

「……元からこんな奴だよ、こいつは。今は笑いすぎだがな」

 苦虫を噛み潰した顔というのは、まさにこれなんだろうと小蘭は子宇を見て思ったのだった。


 ようやく落ち着いた慶文を加えて、三人はあらためて向き合った。

 子宇の表情に余裕はなく、反対に小蘭はゆったりと構えていた。慶文は後ろで何か期待したまなざしを送っている。


「何か言いたいのだろう? 言ってみろ」

「ふふん、さっき宣言したように、アタシはもうアンタの言いなりにはなりませーん」

「……」

 子宇は沈黙した。どのように返そうか考えているのだろう。

「私が皇子だと、知ってもか?」

「皇子だから、なおさらね」

「意外だな。お前がを知っていたとは」

「ここに来る前に、爺から詰め込み教育受けたからねっ!」

 何故か得意げに胸を反らす小蘭であった。

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