後四 小蘭、同輩の噂を尻目に怪しげな動きをする

 秀麗ら五名の元ルームメイトは、いなくなった小蘭の寝台を眺めながら、夜の雑談会を開いていた。


「春蘭、本当に何処いっちゃったのかなあ?」

 梓明がそうつぶやく。

 小蘭が押し込められた物置部屋は、秀麗らの部屋とはかなり離れていた。内侍尚で仕事を手伝う秀麗らと、主に奴婢に混じって洗濯を行う小蘭の作業場とは、ほとんど交わる点がなかった。食事や風呂も小蘭は奴婢や下女と済ますので、元ルームメイトとは顔も合わさない。後宮は広いのである。


「梓明、もうあのちんちくりんのことは忘れなさい。あの敗北主義者のことなんて!」

 秀麗は小蘭のことを吐き捨てるようにそう言った。その激しさに梓明は言葉を失う。

「は……敗北主義者……」

「そう、謀に敗れた者は、野垂れ死ぬのが運命さだめ

「の、野垂れ死ぬ……」

「通俗小説では美男子ハンサムの申し出を断った女は、悲惨な末路をたどるのが定番なのよね」

「ひ、悲惨な末路……」

 同輩の口から、次々と放たれる不吉な言葉に、梓明は身震いした。

「協定ってのは、言わば老後の生活の安定の為なのよ。わかる?」

「老後の生活?」

 最後の涛瑛の言うことだけはよくわからなかった梓明だが、おおむね皆の意見は小蘭の自業自得だという見解だった。とはいえ梓明は、一度助けてくれた小蘭のことを悪く思うことは出来ないと、心に決めていたのだ。


「で、でもせめて居場所だけでもわかれば……」

 そう食い下がる梓明に、雨依が感情の入っていない言葉で返す。

「居場所を知ってどうするの?」

「そっ、それは……」

 言い淀む梓明に今度は珊妙が応じた。

「少なくとも彼女的には完結してると思うのよ。出世話を断った時点でさ」

「でっ、でも出世することだけが人生じゃないし……」

「それなら最初から、下働きの方の応募に行けって話なわけ、協定的に」

「協定はこの場合関係ないんじゃ……」

 梓明は涛瑛の喋ることは、いまいち理解しづらいなと思った。無理矢理協定に絡めなくてもいいんじゃないかと本人に言いたいのだが……。


「梓明、貴女が春蘭を気にかけるのは貴女のやさしさよ。それは美徳だわ。でもね――」

 そのとき、いつになく真剣なまなざしで秀麗は語り始めた。梓明は知らずに姿勢を正す。

「あのは私に言わせれば勝ち逃げしたのよっ! 私に敗北の苦味を味合わせておきながら、自分が負けそうになったら『ほんじゃ、さいなら~』って言い捨てて姿を消したのよ! んもおー、許せないわっ。あの卑劣漢! 横着者! 唐変木! 極楽とんぼ!」

 真面目な話をするのかと思いきや、いきなり悪口を言い始めた秀麗に梓明はずっこけた。

「あ、あの~秀麗? いつ春蘭と勝負してたの?」

「常にっ! 常に私はあの娘と勝負してたわっ! 勿論私の中でねっ!」

 梓明はもう、何処に突っ込んだらよいのかわからなくなったので、黙っていることにした。


「私は下水道の汚物と戦っている間にも、あの娘と戦い続けていたのよ。私はいつも優勢に戦いを進めて、あの娘を負かす寸前までいくのよ。そして春蘭は這いつくばって命乞いをしてくるの。『秀麗様、貴女様には到底かないません。首席の座はお譲り致しますのでどうぞ許して下さい』ってね!」

 話を聞いているうちに、梓明はある疑念が湧いてきた。

 もしかすると秀麗は、下水道の酷い臭いを嗅ぎ続けているうちに、頭の中がおかしくなってしまったのではないかというものだ。とても当人には言えないが。


 その秀麗は相変わらず語り続けている。

 彼女の話しを聞きながら頷いている三人を見て梓明は、私とは根本的に違うんだなあと感じたのだった。

 自分に一番近しかったのは、この部屋を追い出されたあの少女である。

「だけど春蘭は、どうしてあんな嘘をついたんだろう?」

 梓明もまた、小蘭の自己申告は明らかな嘘だと思っていた。それはよいとして、何故、昇進の足掛かりとなる申し出を断ったのか。

「春蘭って、時々わけのわからないことをするんだよね……」

 そうつぶやくと、梓明は物思いに沈むのだった。


 一方。

 その話題の当人は、後宮内をすたすたと歩いていた。

 丁度月が辺りを照らして、風情ある光景が見られた。

 後宮内は、進入してはならない場所が設定されている。見習いであればその範囲は極めて広く、逆に自由に歩ける場所の方が少ないくらいだ。


 ましてや今は夜である。

 不審者として斬られても、また矢を射かけられても不思議ではない。事実小蘭は、警護の兵がかなり厳しく敷地内を巡回しているのを認識した。

「こんな時刻に、こんな場所で何をやっているのか」

 と、見つかれば容赦のない追及を受けることだろう。密偵スパイとして、獄舎に送られてしまうかもしれない。

 小蘭は非常に危険なことをやっていたのだ。


 だが本人は至って平気な顔で、後宮内を闊歩していた。

(野生の獣に比べれば、ひとは隙が多すぎる。夜目も鼻も利かないし)

 小蘭は警護兵の網の目をくぐり抜けて、奥へ奥へと移動する。

 その足取りに迷いはなかった。実を言えば、もう何度もこの経路を使って後宮の深部に侵入していたのだ。


 そして小蘭は、ぴたりと足を止める。明らかに一段階上の、熟練した兵士たちが警護する建物を彼女は視界に入れたのだった。

 そこが、そここそが。小蘭は感慨深げに言った。

「あそこが帝の居る――」

 主宮であった。

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