後二 小蘭、冷遇されるも全く意に介していなかった
あのあと小蘭は、同室の五名と離されて一人部屋に押し込まれた。
相部屋から一人部屋へ、といえば聞こえがいいが、実際は北向きの物置部屋のひとつだった。
部屋の中には普段使いそうもない物品が雑然と積み重なっており、そのわずかな隙間に布団を敷いて、かろうじて寝床を確保している有様だった。
だが小蘭はこの日当たりが悪く、埃っぽい部屋が気に入っていた。
何よりもひとりで居られるのが最高だった。
「最初の休暇は七月にもらえるのか。うん、あと三ヶ月余りだ頑張ろう!」
と、小蘭は笑顔で独り言を言った。
彼女は子宇に、休暇はいつもらえるのか再度訊ねてみたのだ。そうしたら今度はあっさりと教えてもらえた。実につっけんどんな口調だったが。
もしかすると子宇は休暇をやるからそのまま戻って来るな、とでも言いたかったのかもしれない。だが小蘭はそれでも構わなかった。
休暇で街に出て、そこで元気になった姐と入れ替わる。それで自分の役目は終わりなのだ。
例え現時点で小蘭が演じている春蘭の評価が極めて悪くても、姐ならば何とかしてしまう筈である。姐は凄いのだ。
問題は爺の頼みごとの方だった。
小蘭はいまだにそれを実行するかどうかの決断がつかなかった。
一応下準備は怠らずに進めてはいるが、爺の真意がさっぱり見えてこないのだ。むしろ冗談で口走ったと言われた方が、しっくりくるのである。
どうして帝を暗殺しなければならないのか? 爺はその理由を話してくれなかったので、小蘭には全く見当もつかなかったのだ。
例えば、あの爺がこの国から酷い目にあわされた可能性は皆無ではないが、その恨みを自分のような未熟者に晴らさせようとするだろうか?
帝を弑せば、その恨みは晴れるのだろうか?
その問いかけは小蘭の中で、嫌という程繰り返された。
小蘭は爺の普段の振る舞いから、そんな人物には見えなかったのである。
そういうことをさせる為に命を助けたり、学問を教えたりするようなひとではないと言い切れた。
だからこそ彼女は腹立たしく感じながらも、心の底では爺を慕っていたのである。
(本当に何考えてんだろ、あのくそ爺は)
格子のはまった小さい窓からは、外の月明かりが差し込んでいる。
今は春である。
つい先日、中庭の庭園で花見の会が行われたらしいが、小蘭の故郷の祁北州は国の北辺にあるので、まだ花見には早いだろうと思った。
現皇帝の評判も探ってはみたのだが、横暴で暴虐な振る舞いをするという悪い噂も聞かれず、概して平凡だがごく普通の王だという周りの評価だった。
それだけで下々の者には名君である、という言葉も聞かれた。余計なことをせず、自分たちの生活が今まで通り続いて食っていけるならば、それはもはや優秀な指導者だということであった。
現在この国は、遠く南方の(古来より南戎蛮夷と呼ばれる)地に討伐軍を派遣している最中である。それはそこにいる反抗的な蛮族を討つという名目の軍事行動だが、大多数の庶民には全く関係も関心もない出来事であった。
なべて椋国内は平穏であり、隣国との外交関係も正常、また異常気象などということも発生していなかったので、三千万の人々は存分にこの平和を享受していたのである。
(あ~あ、故郷の野山が懐かしいよ。離れてみてアタシ、あそこが随分と好きだったんだとわかったよ)
小蘭は物置部屋から出て、宿宮の軒下の壁に寄りかかりながら夜空を見上げた。故郷とは星の位置が違うような気がした。若干ずれているのである。
吹き付ける風の強さも、それに運ばれてくる土の匂いも、ここにいるひとびとの気質も、祁北州のものとは大分異なっていた。
小蘭は同郷の者はいないかと探してもみたのだが、祁北州は何分辺境の地であり、人口も少ないところだったので、今のところ見つけることは出来なかった。話を聞けば幾人かはこの後宮で働いているらしいが。
(縮小してもこの広さだからなあ。本当に贅沢なところよね、
最初、首都である凱の都を見たときにそう思ったのだが、小蘭はこんなにも広く多くの人工の建造物が建っていることに、度肝を抜かれたのだった。
「何十年何百年と、どれだけ造り続ければ、これだけの建物が出来るわけ?」
それと街中は見渡せば、目もくらむようなひとの波であった。
「一体このひとたちは何考えて、肩の触れ合う距離でこんなに集まってるの?」
故郷で見るのは、精々が羊、馬の群れである。そこが例え盛り時の市場だとしても、小蘭の常識からいえば凱の都のひとの密集具合は、おかしいと感じられたのだった。
それも小蘭がここにきて三ヶ月も経てば、建物が林立し、ひとが寄り集まっている光景を見ても、何も感じなくなっていた。
ようは慣れたのである。
そのように驚きを感じなくなる程度には慣れたのだが、小蘭ははっきりと、ここは自分の肌には合わないと自覚したのだった。
(早く務めを終えて帰りたい)
小蘭の中ではその思いが、徐々に強くなっていったのである。
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