中三 小蘭、来訪者に頭を痛める

 子宇との間に一定の合意を得た小蘭は、内侍尚の執務室で今まで通り書類の整理をこなしていた。

 今日もまた子宇も慶文も所用で出かけていて、部屋には小蘭だけが残っていた。最近は忙しいらしく、子宇は執務室を留守にすることが多い。

 と、そのとき外から声が掛かった。

「宮女見習いの秀麗です。書類をお持ち致しました」

 小蘭は内心、ああまた面倒な奴がと思ったが、努めて平静に返事をした。

「はい、どうぞ~。入ってきて下さい~」

 

 戸を開けて中に入ってきた秀麗は、手に書類を持ってきょろきょろと、部屋をひと眺めする。子宇の姿を探しているのだろうが、どうやらかなり緊張している様子だった。

「そんなに見回しても、アイツは出掛けてていないよ」

 その言葉を聞いた秀麗は、すたたたと小蘭に近付いてきて言った。

「それを早く言ってくださいませ! 私、心臓が爆発しそうなくらいに、緊張しましたわっ!」

 知らんがな、と心の中で突っ込んだ小蘭は、「ああ、そう」と気のない返事をして書類整理の仕事を続ける。


 その素っ気ない小蘭の応対に秀麗は、

「貴女、ちょっとばかり偉くなったからって、その冷たい態度はないではありませんの? 友は一生の宝物ですわよ」

 と教え諭すように言ってきた。アタシが偉くなったって? 知らんがな、と再び心の中で突っ込みを入れた小蘭は、

「ホント、秀麗の言う通りだよ」

 と顔も上げずに同意して、書類をチェックし続ける。

 どのみちあとひと月余りでこことはおさらばだし、小蘭が同室の者ルームメイトたちと別れたときに秀麗は「もう過去のこと」と言っていたのを彼女は梓明から聞いていたのだ。何を今更という気持ちだった。


 小蘭は秀麗が持ってきた書類を受け取って、

「はい、確かに受け取りました」

 と言い、所定の場所にそれを収める。

 秀麗の役目はこれで終わりの筈だが、彼女は執務室から出ていかずにうろうろしている。


「どしたの? もう用事は済んだんじゃあないの?」

 と、あえて小蘭が問いかけると、秀麗は手で顔をあおぎながら、

「ああわたくし、喉が渇いてしまいましたわ。ああ……」

 とわざとらしくつぶやくので、やれやれと思いつつも小蘭は席を立ち、お茶と菓子を出してやった。甘いものに目を輝かせた秀麗は、

「折角ですので……」

 と言って、ひとりお茶をし始めた。

 小蘭は、

(折角じゃねーよ! アンタ催促したろーが!)

 と思いつつも、黙って事務処理を再開した。


 そうして。

 秀麗が帰ったのは、大分時間が経ってからだった。

「秀麗、随分とここにいたなあ。日が昏れてきちゃったよ」

 日が陰り、薄暗くなってきても、結局子宇と慶文は帰ってこなかった。

 小蘭は仕事の後片付け(きっちりやらないと、慶文に怒られる)をしたあとに、部屋の戸締りをして部屋を出た。


「食堂にでもいくか」

 食事をとって、風呂に入り(毎日入れる待遇になった)、寝床に横になって休む、という生活が、ここ最近の小蘭の行動パターンであった。 

 苦痛ではないが、いささか退屈な毎日だなと小蘭は思う。

(ここにいる連中は、毎日毎日こんな生活をして、死ぬまで働くのか……)

 急に故郷の山野が恋しくなってきた小蘭であった。


 次の日。

「書類をお持ち致しました」

 という声を聞いて、今日は雨依かあと思った小蘭だが、入ってきたのは雨依、秀麗のふたりだった。

(え? ふたり?)

 と小蘭は腑に落ちない思いだったが、雨依が単刀直入に、

「お菓子がもらえる謀を実行した。春蘭、よろしく」

 とぶっちゃけたので、小蘭は秀麗を睨むも、彼女はそっぽを向いて知らんぷりであった。

 はあ~とため息をつきつつも、結局小蘭はふたり分のお茶とお菓子を用意する。

 雨依と秀麗のふたりは、その餡子の甘さに舌鼓を打ちつつ、お喋りに興じた。

 そしてふたりが満足して帰る頃には日は昏れて、またしても小蘭が後片付けをして、仕舞う時刻になっていた。

 子宇と慶文は、今日も戻ってこない。


 さらにその次の日。

 小蘭の目は点になった。かつてのルームメイト五名全員が、揃って来たからだ。

「通俗小説の主人公の部屋にしては、質素だと思うよ」

「ここが協定を結ぶ中心地なのね!」

「春蘭、ごめん。誘いに断りきれなくて……」

 他の四人組とは違って、梓明だけは申し訳なさそうに頭を下げてきた。小蘭は、ああ梓明は付き合いがいいからなあ、と気の毒に思った。

 例によって子宇と慶文は不在だった。ふたりは精力的に執務をこなしているらしい。


 小蘭は書類を受け取ると、とびきりの笑顔と愛想のいい声で言った。

「はい、確かに受け取りました! どうぞ皆さまはお引き取り下さい!」

 そう言って戸を閉めようとした。

「ちょっ、お、お待ちなさいっ。まだ用事は済んでいませんわっ」

 戸を閉めようとする小蘭と、それをさせまいとする秀麗の間で、つばぜり合いが始まった。ぎぎぎと戸がきしんだ。

「こっちは忙しいんだけど!」

「貴女はすぐさぼるから、仕事ぶりを監視しなくてはなりませんのよ!」

「余計なお世話だっ!」


 がたがたがた、と戸に力がかかった。

「帰れっ!」

 と小蘭が叫べば、

「お、お断りいたしますわっ!」

 と秀麗が対抗する。その後ろで梓明がおろおろしながら、

「春蘭の迷惑になるから、帰ろうよ……」

 と言っている姿が小蘭の目に入った。その瞬間、小蘭は力を抜いて戸を離した。

「え? ひっえあああああ⁉」

 という断末魔を残して、秀麗は戸を抱えて廊下の彼方へすっ飛んでいった。

「まあ、いいや。皆、入りなよ」

 と小蘭は言って、元ルームメイトたちを招き入れた。彼女は梓明をもてなしたくなったのだ。


 小蘭が部屋備え付けの戸棚を開けると、何故か六名分のお菓子が入っていた。普段は子宇と小蘭の分だけが置いてある筈なのに。小蘭はにこにこ顔の従者恐るべしと痛感するのだった。

(もしかして慶文って、未来が見えるんじゃあないかしら……)

 そんなことを思って沈黙しているかたわらで、ルームメイトたちがお茶を楽しんでいる。五名の同輩たちは、出されたお茶とお菓子を口にして、目を丸くしていた。どうやらここで出される菓子は、かなりの逸品のようだった。小蘭は全然気が付かなかったのだが。


「この甘さに、我が謀は敗れたのよ」

「通俗小説でも描写出来ない美味しさだわ」

「協定を投げ捨てても、毎日食べる価値がありますね」

「美味しい! 春蘭、美味しいよ~」

 梓明は泣きながらお菓子を頬張っている。小蘭は今度から、梓明だけに差し入れしてあげようと思ったのだった。


「そうですわ! これから毎日ここでお茶会を開くのですわっ!」

 復活した秀麗が、勢いよく立ち上がって叫んだ。

「おい」

「春蘭はちゃんと見張らないと、仕事をさぼりますからね!」

「おい」

「感謝するとよろしいですわ! お礼はお菓子で結構ですのよ!」

「……」


 小蘭は呆れた顔で秀麗を見た。秀麗は勝ったとばかりに胸を張っている。

「おい、これは一体何の騒ぎだ」

 突然のその冷血の声色に、小蘭以外の全員がぴしっ! と固まった。

 小蘭が見ていたのは実は秀麗ではなく、その後ろの子宇と慶文だったのだ。


 この部屋の主が帰ってきたのだった。

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