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「あ~、伯父貴が関係してくると、うるさくって大変よね」


 聖子が、あくびをしながらボヤいた。

 あたしたちのプロデューサーは朝霧さんなんだけど、今回はどういうわけか…高原さんがミキサールームに入りっぱなし。

 そして、いろんな難題を投げつけてくる。

 …すごいアルバムが作れそうではあるけど…みんなに少し申し訳ない。



「あ~あ。寝不足は肌が荒れるから嫌だ。こんな缶詰状態でレコーディングなんて、最近のアーティストにはないと思ってたのにな」


 そう言って、聖子は頬をマッサージ。

 人の増えたロビー。

 二人で眠い目をこすりながら、時間待ちをしている。

 とは言っても、あたしはみんなより睡眠時間が多い。

 ボーカリストには睡眠時間が大切、って、みんなが時間調整をしてくれてる。



「着替え取りに行って、隣の湯に入らない?」


「そうだね」


 あたしたちがそんな話をしてると。


「あ、陸ちゃんと光史だ。終わったのかな」


 スタジオに入ってるはずの二人がロビーにやって来て。


「あーねっむー」


 って、陸ちゃんはイスにふんぞりかえった。

 みんな眠い眠いと言いながらも、スタジオに入ると完璧に集中して弾いてしまうから…すごい。

 あたしだけがいつもベストな状態で歌わせてもらってて、何だか申し訳ないけど…

 その分、最高の歌にしたいとも思う。



「あとの三曲は陸とセン次第だからな」


「くっそ~…一発OK狙ってたのに…」


 今回のアルバム…リハを重ねていく内に、アレンジも随分変わってしまって。

 付きっ切りの朝霧さんからのオーダーも、より高度なものに。

 陸ちゃんの録りを見学に行ってた光史が、白目をむきそうな勢いで上を向いてる陸ちゃんの後頭部をポンポンとした。


「ま、おまえとセンなら出来るけどな」


「…おおよ…やってやるよ…」


「陸ちゃん、声震えてるけど」


「うるせー…まさか聖子が俺より早く終わるとは…」


「自分の決めたテイクで録り終わったら、自分にご褒美買う。って決めて取り掛かったのよ。おかげでビックリするぐらい集中出来ちゃった♡」


 両手を組んで可愛くポーズを決める聖子に、光史と身体を起こした陸ちゃんが目を向ける。


「どんな褒美だ?」


「RUVOのベースよ。ボディが木目でネックが少しスマートなHY220」


「マジか。それ、かなりの贅沢品じゃねーか」


「誰もニンジンぶら下げてくれないからさあ、自分でどうにかするしかないでしょ?」


「なるほど…俺もバイク…」


「陸、バイクはこの前買ったろ?」


「…車…」


「陸ちゃん、いい車乗ってるじゃない」


「…よし。早く録り終えて、いい女引っ掛けて帰ろう」


 そう言いながら立ち上がった陸ちゃんに、あたし達は三人で目を細める。

 まあ…どんな理由でも、張り合いになるならいいんだよ…ね?


「じゃ、あたし達は隣の湯に行くから、着替え取って来る」


「おー。また後でな」


 二人に手を振ってロビーを歩き始めると。


「…知花」


 聖子が、あたしの肩を突いた。


「何」


「……」


 聖子が意味深に目配せした。

 さりげなく左前方の目をやると…


「……」


 千里が…歩いて来てる。


 …髪の毛、伸びた。

 ちょっと痩せたみたい。

 久しぶりの…千里。

 遠目から見ても、少しだけ胸が苦しくなってしまった。



「…行こう」


 立ち止まった聖子につぶやくと。


「いいの?」


 聖子は、遠慮がちにあたしの顔をのぞきこんだ。


「…うん」


 何でもないような顔して歩き出す。

 本当は、突然のことで心の準備も何もできてないんだけど。

 同じ事務所だもの。

 いつかは会う。


 でも、近付くたびに少しだけドキドキしてる自分がイヤになってしまった。

 顔をあげれば、目が合うような所まで近付いて。

 普通の顔をしてるけど…少しだけ、うつむき加減。

 その、うつむき加減のまま、ゆっくりすれ違うと。


「あたしが緊張しちゃったよ…」


 聖子が小さな声で言った。


「あはは…」


 通り過ぎて安心してると。


「知花」


 千里に呼び止められた。

 しかも、大きな声で。

 あたしと聖子は、立ち止まってゆっくり振り返る。

 ロビーにいる人たちや光史も陸ちゃんも、驚いた顔であたしたちを見てる。


「……」


 あたしが立ち止まったまま無言で千里を見てると。

 千里は、唇をかみしめながら…あたしのそばまで来た。


「チャンスをくれ」


「…え?」


「おまえと、やりなおしたい」


「……」


 言葉が出ない。

 何言ってるの?

 千里は…何を喋ってるの?



「俺は、もう一度歌う」


「……」


「今度は…」


「……」


「自分のためにじゃない。おまえのためにだ」


 一斉に、周りが騒がしくなって。

 あたしは、まわらない頭で…千里の言葉を繰り返す。


 あたしのために…歌う?



「もう、辛い想いはさせない。だから…」


「やめて」


 やっと、言葉が出た。


「あたしは、あたしはもう…」


「見ていてほしい。俺がおまえのおかげで、どんなに強くなれたか」


「……」


「それと、これ」


「なっ…」


 千里は、あたしの腕をムリヤリ取って。


「捨ててもいいけどさ、その気になったらしてくれよな」


 手に、何かを握らせた。


「じゃあな」


 そう言いながら、あたしの頭をクシャクシャッとする千里。

 それはまるであの頃の延長みたいに思えて、あたしたちの間にあった辛い出来事は、何もなかったかのように錯覚した。

 …ううん。

 あった。

 辛くて…苦しい出来事が。



「知花、あたし腰が抜けそうなんだけど…」


 周りに冷やかされながら歩いて行く千里の後ろ姿を見ながら、聖子があたしの肩に寄り掛かる。


「……」


 あたしは、千里にムリヤリ渡されたものを手の平の中に見ていた。


「あれ、それって…」


 聖子がそれをのぞきこむ。


 結婚指輪…

 あの時、泣きながら返した…


「神さん、はめてたね」


「え?」


「左手の薬指。指輪してたよ」


「……」


 どうして、あたしのために歌うなんて…

 あたしは、千里にひどいことばかり言って別れたのに…



「おいおい、すごいことになったな」


 満面の笑みの陸ちゃんが小走りにやって来て。


「超羨ましい。あの神さんに、おまえのために歌うだなんて言われてさ」


 って、あたしの額を突いた。


 …光史…誰にも言ってないのかな。

 あたしと、暮らすこと。



「…光史は?」


「光史のことよか、もちろん神さんとヨリ戻すんだろ?」


「…戻さないよ…」


「どうして」


「……」


「知花?」


 あたしは、歩き出す。

 言わなきゃ。

 ちゃんと…

 光史と一緒に暮らすって、言わなきゃ。




「一緒に暮らそうと思ってるんです」


 ロビーを歩いて、千里が消えたミーティングルームの方向に曲がると、光史の声が聞こえた。


「それで?」


「アメリカでも、一緒に暮らしてました」


「ああ。この前、朝霧さんに聞いたよ」


「だから、さっきみたいなのは困るんです」


「困る?どうして」


「知花が…」


「おまえ、本当に知花を好きなのかよ」


「好きです」


「年末の大雪ん中、俺につきまとって知花とヨリ戻せって言ったのは、おまえだろうが」


 …え…?


「あれは…」


「上等だよ。でも、俺は知花をあきらめない」


「……」


「あきらめちゃ、いけないんだ…自分のためにも」


「……」


「…んな不安そうな顔すんな。さっきの知花の反応から見て、俺は相当分が悪い」


「それでも、知花のために歌うんですか?」


「それくらいしか、できねーしな。アズによると、歌わねえ俺には魅力なんてないって、あいつが言ったらしーからな」


 ……あずまさん…!!


「ただの思い出になってもいい。でも、それを辛いままにさせたくないんだ。俺との事を思い出すたびに泣かれちゃイヤだろ?」


「…神さんは…」


「あ?」


「知花を…本当に愛してるんですね」


「…自分でも、驚くぐらいにな」


 …動けなくなってしまった。

 何も言葉が見つからない。

 あたしは、あふれそうな涙を我慢して。

 震える足で、ゆっくりルームに向かった…。



 * * *



「正直に言うよ」


 二人きりのプライベートルーム。

 光史は、苦笑いしながら…あたしの目を見て言った。


「ずっと神さんが好きだった。だから最初は知花に嫉妬した」


「……」


「だけど、そのうち神さんだったら、こうするかな…とか…知花といると、神さんに近付けるような感覚になって…」


「……」


「知花を愛しく想ったのは事実だよ。俺が守んなきゃって思ったし。でも、それも俺が神さんの代わりになれるんだ…って、そんな気持ちが手伝ってたけど」


「…ごめん…」


「え?」


「あたし、光史が千里と喋ってるの…聞いちゃった」


「……」


「千里に、あたしとやりなおせって…どうして?」


「…俺も、神さんに歌ってほしかった」


「じゃ、どうしてあたしと暮らすなんて…」


 光史は窓から外を見つめながら。


「やりなおしてほしいって言った時…神さんは『何でおまえにそんなこと言われなきゃいけないんだ』って言ったんだ」


「……」


「まさか、好きだから、神さんに歌ってほしいから、なんて言えないよな」


「…言ってもよかったと思うけど…」


「言えないさ」


「……」


「結局は…二人の間にいたかったんだ」


「二人の間…?」


「おまえには関係ないって言われ方したからさ…俺は、こんなにも知花に近い人間なのにって、強調したかった…」


「……」


「…ヨリ、戻せよ」


 あたしは、光史の足元を見ていた。

 今朝、この人と生きて行こうって決心したばかりなのに…



「…あたしの気持ちは…どうなるの?」


 うつむいたまま、小さくつぶやく。


「…え?」


「あたしは光史と…暮らすって決めたのに…」


「……」


「あの時のキスも…」


「知花」


「あの時抱きしめてくれたのも…」


「知花、もう…」


「全部あたしじゃなくて千里を見てたのね!?」


「知花、それは…」


 光史が、あたしを抱きしめる。


「光史とならやっていけるって…でも、光史はあたしを見てなかったのね!?」


「…悪かった」


「離して!」


「知花!」


 あたしは、部屋をかけ出る。

 通路には人がたくさんいて。

 あたしは階段を駆け下りると、誰もいない踊り場でうずくまった。



 …形はどうであれ…あたしは光史に惹かれかけてた。

 向こうで一緒に暮らしてる時だって…どれだけ支えになってくれたか。


 もう、千里との将来はない。

 そう決めたクセに…子供達を愛しいと思う気持ちと同じぐらいに…千里への隠された想いは膨らんで…

 そんな気持ちを抱き続ける自分にも嫌悪した。


 …だから…

 忘れさせて欲しいって…

 光史なら、千里のこと、忘れさせてくれるって…

 そう思ってたのに。


 そう…思ってたのに…。

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