12

「ご機嫌だな、知花」


 まだ光史と二人きりのスタジオ。

 鼻歌してると、光史に言われてしまった。


「そ…そう?」


「とっても。何かいいことでも、あった?」


 光史は茶色い髪の毛をかきあげながら、静かな瞳で笑いかける。


 いいこと…いいことなのかな。

 でも、それをいいことと認めてしまうと…あたしは、千里を好きってことになる。

 なんだか、それは今一つ認めたくないような…



「今日は陸ちゃんと一緒じゃなかったの?」


 あたしがマイクをセットしながら問いかけると。


「ああ、陸はバイトの日だし」


 って。


 光史はー…なんて言うのかな。

 セン以上に物静かな人で。

 バンドにとって、とても大きな存在。

 その細い線からは、ドラマーには見えないけど、すごく力強いドラミング。

 正確なリズムキープ。


 最近、陸ちゃんがセンと仲良しでつまんないかなー、なんて思ってたけど。

 それを、すごく嬉しそうに眺めてたり…光史は、ちょっと不思議な人。


 練習中は寡黙。

 人の意見を最後まで聞いて、それじゃだめだ。って言い方じゃなくて。

 それをこうしたら、もっと良くなる、って。

 みんなのいいところを、引き出してくれる。

 そんな、人。



「知花。寝不足か?」


「え?」


「さっきから、あくびばっか」


 思わず首をすくめる。

 結局、ドライヴスルーで調達した食料をパーキングで月を眺めながら食べて…帰ったのは朝方。

 でも、くだらない話に破顔で笑う千里なんて初めてで。

 すごく得した気分。



「今日、親父たちが聴きに来るって言ってたけど、みんな覚えてんのかな」


「全くねー。と神経太いって言うか…やだ、緊張してきちゃった」


 思わずマイクのコード、グルグルにしてしまう。


 今日は初めてのスタジオで。

 予告通り、高原さんと朝霧さんが見に来られる。


「知花は、もっと自信持って歌っていいと思うよ」


 光史が笑顔で言った。


「え?」


「例える人物がいない独特の声だし、音域も広いし」


「そ…そっかな…」


「ああ」


 光史はシンバルの調整をしながら優しく笑った。

 …光史に言われると安心しちゃう。



「ごめん、遅れ…あれ?二人?」


 センが息を切らしながらやって来て、あたしたちを見て呆れたような顔。


「珍しいな、センが遅れるなんて」


「あー…夕べ緊張して寝つけなくてさ。ビール飲んだら、今度は起きれなくて」


「え、ビール飲めるようになったの?」


「も、冷蔵庫に常に入ってるよ」


 センはレスポールを取り出して、チューニングしながら笑った。


「もろに陸の影響受けてんな」


「光史の影響も受けてるぜ?」


「俺は、そんなビール飲まない」


「でも、タバコを吸う」


 陸ちゃんはお酒好きだけど、そんなにタバコを吸わない。

 でも、光史はあんまりお酒飲まないけど…ヘビースモーカー。


「なんだよ、セン…タバコも吸い始めたのかよ」


「ずっと真面目一直線だったからかな。何もかもうまくてさ」


「でも、あんまり体によくないんじゃない?どっちも一度にたくさんは」


 あたしがそう言うと。


「ああ。そんなにたくさんは、やんないよ。イライラしてる時や煮詰まってる時には、やっぱお茶だし。もう当たり前みたいに生活の中にあった事は、離れたと思っても自分の中から無くならないもんだな」


 …なるほど。

 あたしも、いつも華に囲まれてたから、しょっちゅう花屋に通っちゃってるもんなあ…


「それにしても、言葉遣いも変わったよね。最初「僕」って言ってたのに」


 あたしが笑いながらそう言うと。


「それは自分でも思う。前は一人でいても正座なんてしてたのに、あぐらになったしさ」


「ま、なんにしても、センが楽しくやれてるみたいで俺は安心してるよ」


「サンキュ」


 …なんとなく、固まってきたな…って感じた。

 あたしたち『SHE'S-HE'S』



「ごっめーん!!遅くなっちゃった!!」


 聖子を筆頭に、陸ちゃんとまこちゃんも一緒に流れ込んで来た。


「遅いよー」


 あたしが腕組して言うと。


「いやー、下でTOYSのメンバーに会ってさ、サインもらっちゃったよ」


 陸ちゃんが、ギターを取り出しながら、満面の笑みで言った。


 TOYS…本当に人気者なのね。



「で、最初から見に来るつもりかな…親父は」


 光史が、ストレッチをしながら言う。

 最初から最後まで…なんてことになったら、ガチガチになっちゃうな…


「とりあえず、来る前に少しやっとこうよ」


 聖子の一言に、みんな一斉にアンプのスイッチを入れる。


「ひゃー、いいアンプ」


 陸ちゃんの、嬉しい悲鳴。


「じゃ、COLL GUYからな。ONE,TWO,」


 光史がカウントをとって、センとまこちゃんと聖子のユニゾンのイントロ。

 そこに陸ちゃんが加わって…あたしは口元にマイクを近付ける。

 思いきり声を張り上げて…喉の調子は…まあ、いい方かな。



「よ。」


 一曲丸ごと終わったところで…


「伯父貴」


 高原さんと、朝霧さん登場。


 そしてー…


「あ。」


 陸ちゃんが驚いてる。

 陸ちゃんの目線を追って振り向くと…


「ち…」


 思わず呼びそうになって…飲み込んだ。

 千里が、TOYSのギターの…誰だっけ。

 あ、そう…あずまさん。

 その東さんと一緒にスタジオに入ってきたのよ。


 東さんは、千里の数少ない友人の一人。

『口にナイフを持つ男』という異名を持っている千里には、友人がいない。らしい。



「さ、もうリハーサルはできてんだろ?」


 高原さんがパイプ椅子を出しながら言われた。


「…最後までいるの?」


 聖子…眉間にしわ寄ってるよ…!!


「さあ?けど、こっちも慎重になってるからな」


 一気に…緊張が高まった。


 …なんで千里が?

 だいたい、夕べそんなこと一言も言わなかった。

 あたしだって、気にならないわけないじゃない。

 千里が見てるって思ったら…


 …千里の歌を聴く前だったら、こんなに緊張してないかも。

 聖子の言うとおり、すごいと思った。

 インパクトのある声。

 ボーカリストにとって、これ以上の強みはないわ。

 …その千里が、あたしの歌を…


 もー、この緊張、どうしてくれるのよーっ!!



「じゃ、適当に何かしてくれ」


 高原さんが、ファイルを見ながら言われた。

 あ…うちのオリジナルの歌詞だ。


 光史がみんなを見渡して。


「じゃ…BE MYSELF」


 って、カウントをとった。


 あたしはー…ドキドキしながら、マイクを握り直す。

 センのギターが一小節終えたところで、あたしは思いきり声を出す。

 いきなりのハイトーンに、手を叩いてる東さんが視界のすみっこに入った。


 今まで音楽屋の人がスタジオ見学に来たことがあったけど…その時だって、こんなに緊張しなかった。

 高原さんに聴いてもらってるから…でもないかも。

 千里がいるから。

 どうして、こんなにドキドキするの?

 あたし、やっぱり千里のこと…



「ストーップ」


 ギターソロが終わったところで、高原さんが立ち上がられた。


「……」


 あたしは、気の抜けたような顔で高原さんを見る。


「詞は誰が書いてんだ?」


 高原さんが頭をかきながら言われて、あたしは聖子と顔を見合わせる。


「あたしと知花が」


 聖子が答えると。


「知花、ラブソングを書け」


 って…


「…え?」


「聖子、おまえもだ」


「ラブソング~?」


「ラブソング、一曲もないじゃないか。せっかくの知花のいい声がもったいない」


「でも、ハードなのもいけるでしょ?」


「…課題は多いけどな…もう一度、今度はホールで聴かせてくれ。その時までにラブソング書いとけよ」


「いつなんですか?次って…」


 あたしが困った顔で問いかけると。


「さあ…でも、いつでもいいようにすぐ書け。簡単だろ?」


「そんな…簡単だなんて…」


「簡単さ。想ったこと書きゃいいんだから。恋したこと、あるだろ?」


 高原さんの問いかけに、なぜか少しだけ赤くなってしまった。

 そして、そのあたしの赤くなった顔を、意外そうな顔して見てる千里が高原さんの肩越しに見えた。



「じゃ、そういうことで」


「えっ、もう終わりなの?」


 聖子が拍子抜けしたような声で問いかけると。


「ああ、もうわかったから」


 って、高原さんは手を挙げてスタジオを出ていかれた。



「……」


 つい全員無言になる。

 今まで評価された事なんてないから…それでなくても気になるのに。

 一曲通さない内に『分かった』って言われると…


「期待してる証拠やって。ナッキーが注文つける時は、絶対そうなんやから」


 沈黙するあたし達に、朝霧さんが笑顔で言われた。


「そうそう。俺らん時もあったよな、神」


 東さんが千里に同意を求めたけど。


「そうだっけ」


 千里はだるそうに答える。


「それよりさ、すごいねー。ベース歴何年?」


 ふいに東さんが聖子に近寄って、それに陸ちゃんやまこちゃんが群がって、聖子の周りに人だかりができた。


「は…」


 小さくため息をついてしゃがみこむ。

 …ラブソング…


「おい」


 背中に軽く膝蹴りが入って顔だけ振り返ると、千里がポケットに手を入れたままあたしを見下ろしてた。


「今夜じいさんから飯に誘われてっから、7時までに帰れよ」


「…ん」


「んだよ、しけた顔してんな」


「…別に」


 とは言ったものの。

 ラブソング、が。

 あたしの気持ちを、ずいぶん重くしている。


「歌詞のことか?」


「んー…」


「簡単じゃねえか。俺への気持ちを書けばいいんだから」


 いつもの、ニヤニヤ顔の千里。

 あたしは、ゆっくり立ち上がって。


「いやらしいとか、気が短いとか、意地悪とか…そんなのしか浮か んでこないなあ…」


 って、真顔で答えた。


「おま…いい加減にしろよ」


「いたっ」


 頬をつねられる。

 …何だか、前よりスキンシップ増えた…



「ひどーい…」


「当然の報いだ」


「……」


 千里、柔らかくなったような気がする。

 なんとなく、目付きも前ほど怖くない。


「何、仲いいじゃん」


 突然、東さんが千里に抱きついて来て、あたしは一歩後退する。

 …千里、きっと誰にも言ってない…よね?


「ボーカリストにしか、わかんねえ話してたんだよ。…っついな、抱きつくな」


「神、最近つれないな」


「誤解されるようなこと、言うな」


 千里が、東さんの頭をグリグリしながら言った。

 東さんは、いつも千里と一緒にいる。

 口にナイフを持つ男と一緒にいるくらいだもの。

 きっと、すごく心の広い人なのね、って思ってたら。


「俺と一緒にいるってだけで、あいつは心の広い我慢強い奴だって思われてるけど、全然そんなことはない」


 って、千里が言った。


 おまけに。


「俺から言わせると、あいつは何も考えてない。ただの変人さ」


 だって。


 なんだかすごく失礼だなって思ったけどー…

 音楽雑誌とかで読む東さんのコメントは、チンプンカンプンで。

 千里の言ってることも、まんざら嘘じゃないのかも…



「さ、もういいだろ?」


 千里が東さんの後ろ衿を引っ張って言う。


「えー…もう少し聴かせてもらおうよ」


「邪魔だろ?」


 千里が東さんを引きずりながらスタジオを出て行こうとすると。


「いえ、お時間さえよければ、見てってください」


 陸ちゃんが、千里の腕をしっかり取って言った。

 それを聞いた東さんは、嬉しそうに。


「だって」


 って、頭を抱える千里に笑いかけたのよ。

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