20
「あれ、俺に書いた曲か?」
目の前で千里がニヤニヤしてる。
あたしは黙ったまま、グラスをシンクに運ぶ。
「なあ、どうなんだよ」
「…わかったんなら、聞かなくていいじゃない」
ぶっきらぼうに答えると、千里は一層ニヤニヤして。
「自分に曲書いてもらうってのも、悪かないな」
ソファーに座った。
千里の後ろで、昨日飾ったガーベラが揺れる。
昨日…ホール審査に合格したあたし達は…デビューが決まった。
夜にはみんなでお祝いをして。
今日は、いまだに夢から覚めていないような気分でいる。
「♭」
「おまえ、誰か呼んだ?」
「ううん」
ふいにチャイムがなって、千里がインターホンに向かう。
あたしは千里がひそかに喜んでくれてるのが嬉しくて。
黙ってても…口元が緩んじゃう。
「…知花、ちょっと出て来る」
インターホンに向かってた千里が、顔だけ振り返って言った。。
「え?今から?」
あたしが顔をあげて問いかけると。
「ああ…」
千里は、着替えもせずに靴を履いて玄関を出た。
「……」
まあ…いいけど。
あっ、買い物頼めばよかった。
千里のコーヒーが切れてるんだった。
買ってこなきゃ。
あたしは、お財布だけ持って玄関を出る。
ついでにココアも買っちゃお。
そんなことを思いながらエレベーターに乗り込む。
それにしても…デビューか。
なんだか、まだ信じられない。
でも、夢に近付いた。
これから、どんな毎日がやってくるんだろう。
「…あ」
一階について開いたエレベーターのドアの向こう。
千里と…
「知花…」
千里が、女の人と…
「出かけんのか?」
「あ、あー…コーヒー切れてるの」
「言えば買ってくるのに」
「本当?じゃ、あたしのココアも」
「それは知らねぇよ」
「意地悪」
千里と会話してるものの…
あたしの神経は、女の人に向いていた。
この人…
「…驚いた。本当に結婚してるんだ…」
女の人が小さくつぶやいた。
会ったことないけど…きっと、瞳さん。
千里が面倒そうな顔してる。
「遅くなるから先に寝てろ」
頭をクシャッとされたけど…こんなので不安がなくなるわけない。
それなのに…
「…ちょっと御主人おかりするわ」
瞳さんが涙目で言われた。
「…いってらっしゃい…」
あたしには、それだけ言うのが精いっぱいで。
二人の姿が小さくなると、とてつもなく大きな嫉妬にかられてしまった。
どうして?
終わったって、言ったじゃない…
やりきれない想いで部屋に戻って、聖子に電話をかける。
『もしもし』
「聖子?」
『知花?どうしたの』
「今、瞳さんが来て…」
『瞳さん?帰ってきてるの?』
「とにかく、今来て…千里と出かけちゃった…」
『二人で?』
「…うん…」
『深く考えることないと思うよ?もうあの二人、何でもないんでしょ?』
「……」
『知花が信じなくてどうすんのよ。神さん、あんたを選んだのよ?』
「そう…だよね」
『そうよ』
「うん、わかった。ごめん、突然こんな電話して…」
『ううん、じゃ明日学校でね』
「うん」
聖子にはそう言ったものの…あたしの不安は大きすぎて。
「いけない、いけない」
大きく頭を振る。
そのうち、帰ってくる。
それまでリビングでテレビでも見ていよう。
少しだけ涙が出そうになったけど、
あたしは頬を叩いてリビングに座り込んだ。
* * *
「帰って来なかった!?」
学校の廊下。
誰もいなくて、ひんやりしてる。
「…うん」
「で、あんたもずっと起きて待ってたわけ?」
「待ってたっていうか…あれこれ考えてると眠れなくて…」
「また、余計なこと考えてたんでしょ」
窓の外は、雪。
それが、余計にあたしの気持ちを寂しくさせる。
「…大丈夫?」
「うん…」
「ふらついてるよ、あんた」
「…帰る」
「え?」
「授業受ける気分じゃないし…千里、今日オフだから帰って寝てるかもしれないから…」
「……」
「…顔見たら、きっと安心すると思うの。あたしも…なんだかいい加減だよね…あはは…」
あたしが空笑いすると、聖子は寂しそうな顔をした。
「…ごめん…」
「全く…無理して笑わないでよ。早退、担任に言っとこうか?」
「ううん、自分で言う」
「そ?」
「明日は元気になってると思うから…今日は、ごめん」
「気を付けてね。それから、物事を悪い方に考えるのはやめなよ」
「うん」
チャイムが鳴って、聖子と手を振り合う。
あたしは荷物を持って職員室に行くと、担任に早退することを告げて学校を出た。
顔を見れば安心するはず…そう思うものの、あたしの足取りは重い。
音楽屋の前をゆっくり歩いてると、中に陸ちゃんの姿が見えた。
ああ、バイトなんだ。
大学で、授業の選択を上手に組んでる陸ちゃんは。
一週間のほとんどをバイトにつぎ込んでいる。
いつもなら声を掛けるのだけど…今日はそんな気力もない。
そうこうしてるうちにマンションにたどりついてしまった。
…千里…帰ってるかな。
静かに鍵を開け………開いてる。
嫌な予感に駆られながら、そっとドアをあけると。
…千里の靴と、知らないスニーカー。
頭の中がヒンヤリした。
息を飲んで、震える足取りでリビングに向かう。
「……」
そしてー…
あたしは、瞳さんと抱き合ってる千里を。
知らない人を見るような目で見ていた。
* * *
「知花?」
腕をつかまれて、よろめく。
あたしに気付かないまま瞳さんを抱きしめてた千里。
あたしは、家を飛び出した。
どこに行っていいかわからないまま歩いてると、音楽屋の前で陸ちゃんに呼び止められた。
「何かあったのか?こんな時間に…学校は?」
「……」
あたしが黙ってると。
「俺んち来るか?騒がしいけど」
って言ってくれた。
「…バイトは?」
「今日は早番で、もう終わりなんだ。バイク持ってくっから待ってな」
陸ちゃんはお店の横にあたしを立たせて、店員用の駐車場からバイクを押して来た。
「しっかりつかまってろよ」
ヘルメットを渡されて、それをかぶって陸ちゃんの後ろに座り込む。
バイクが動き始めて、ひんやりしてる頭の中に、その音が心地よかった。
「到着」
「…陸ちゃん…お坊ちゃまだったんだ…」
大きな門の前で停まったバイクから降りながら、キョロキョロと辺りを見渡す。
すごい…高い塀に囲まれてて、中は見えないけど…
「お坊ちゃまとかやめろ。さ、中入るぞ」
「…お邪魔します…」
キョロキョロしながら陸ちゃんの後ろをついて歩く。
うちやセンの実家もお屋敷ではあるけど…
陸ちゃんちって…あの…アレって噂…本当だったのかな。
…冗談だと思ってた。
「おかえりなさいまし」
「ただいま」
黒服の強面な男性が登場しても、いつもと変わらない陸ちゃん。
「こ…こんにちは…」
あたしは、そそくさと通り過ぎる。
玄関から長い廊下を歩いて、突き当りのドアを開くと…そこは洋風のリビングだった。
「あら、お客様?」
「ただいま。うちのバンドでボーカルしてる、知花」
そこにいたのは…陸ちゃんにそっくりな…女の人。
「あ…は…はじめまして…」
「俺と双子で、姉貴の
「陸がお世話になります」
「い…いえ、こちらこそ…」
「ちあ~」
そして、あたしの足元に抱き着いて来たのは…
「誰に似たんだ?この女好きは」
陸ちゃんが男の子を抱っこする。
「甥っ子の
「こんいちあっ」
手を挙げて歓迎してくれてる様子に、笑顔になれた。
「こんにちは、海君」
子供って…すごいな。
一瞬で嫌な気持ち、吹き飛ばしてくれた。
「…学校は?」
織さんが、制服姿のあたしを指差して言った。
「サボりだよ。見りゃわかんだろ?」
「何、あんたが連れだしたの?」
「あ…えっ、違うんです。あたしが…」
「こいつには、ちょっと気分転換が必要なんだよ」
あたしが慌ててると、陸ちゃんは何でもないようにそう言って。
「座れよ」
ソファーを指さした。
「…お邪魔します」
あたしは言われたとおり、静かに座る。
「織、何か美味いもんないか?」
「身重の姉をこき使ってくれるわね…」
そう言った織さんのお腹は、随分と大きい。
陸ちゃんと双子…って事は、二十歳…
海君は…二歳ぐらいなのかな…
何だか色々想像しちゃうけど、こういう世界では早くに跡継ぎを産まなきゃいけないのかもしれない…なんて、自分の中で解決する事にした。
「美味そうな匂いに刺激された」
「あっ…バレたか…さっきパイ焼いたのよ」
「やっぱな。知花、腹減ってるだろ?」
「え?あ…そ…そう言えば…」
「じゃ切ってくるから待っててね」
「何かお手伝いを…」
そう言いながら立ち上がると。
「いいって。ま、座れ」
陸ちゃんがあたしの制服を引っ張った。
そして、織さんがキッチンに行かれたのを見届けて。
「神さんと何かあったんだろ」
…ズバリ。
「ま、あれだけの大物と結婚してんだからさ、試練や苦労がないわけねえもんな」
陸ちゃんは、あえて笑顔。
「…千里、あたしじゃダメなのかも…」
聖子には悪い方に考えるなって言われたけど…
あんな場面を見てしまったら、もう…悪い方にしか考えられないあたしがいる。
「なんで」
「千里、ずっとつきあってる人がいたんだけど…」
「ああ、高原さんの娘さんだろ?有名な話だったからさ、正直言って驚いたんだ」
「え?」
「知花と神さんの結婚さ。瞳さんと結婚秒読みとかって噂だったからな」
陸ちゃんは、足を組んで。
「昔の話だろ?今は知花一筋って感じに見えるぜ?俺には」
「でも…」
「ん?」
「昨日…瞳さんと千里…一緒に出掛けて朝まで帰らなくて…」
「えっ?」
「…さっき…帰ったら…」
「……」
「うちで、二人が抱き合ってた…」
「裸で?」
「ち…違うよ。でも…瞳さんは、千里のこと、まだ好きなんだと思うの」
「神さんは?」
「…わかんない…」
陸ちゃんは、小さくため息をついて。
「知花」
立ち上がって、あたしの隣に腰をおろした。
「?」
「抱きしめるってのにも、いろいろあると思うぜ?」
「……」
「例えば俺は今、知花がいじらしくて、抱きしめたいって思ってる」
「陸ちゃん…」
「知花だって、俺が突然泣いたりしたら抱きしめるかもしれないだろ?」
「……」
陸ちゃんの言うことはわかる。
おまえが誤解してどうするんだって。
「り…」
ギョッとした。
陸ちゃんが、あたしを優しく抱きしめたのよ。
「俺が神さんをかばって言ってると思っただろ」
「う…ん」
「本心だよ。俺は、今知花を抱きしめたかった」
「……」
「誰にでも、そういう感情はあると思う。それには友人として、恋人として、同情、愛情、色んな形があるとは思うけどな」
「陸ちゃん…」
「んな、気にすんなって。あれだけの大物の嫁さんなんだぜ?特別だろ?」
陸ちゃんはあたしから離れて、笑顔で言った。
「…ん。そうだね…」
あたしは少しだけだけど、元気になった気がして笑う。
「でもまあ、一度くらいは家出でもして神さんの様子見てみるってのもいいかもな」
「あはは。陸ちゃんも結構策略家だね」
「まあな」
よかった…笑える。
「はーい、お待たせ」
織さんがパンプキンパイを持ってきてくれた。
「お、美味そ」
「たくさん食べてね」
「いただきます」
一人じゃなくて良かった。
陸ちゃんに感謝しながら、あたしは帰ったら千里とどんな顔して会おう…なんて考えてた。
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