21

「どこ行ってた」


 玄関に入ると、千里が仁王立ちして言った。

 なるべく普通にしてようと思ってたのに…


「…何のこと…」


 あたしは、冷たい口調で答えていた。


「聖子から電話があったぜ。早退したんだってな」


 あたしは無言でキッチンに向かう。

 すると、千里も後をついて来て。


「言えないような所へでも行ってたのかよ」


 低い声で…吐き捨てるように言った。

 あたしは一気に水を飲んで。


「そういう千里はどうなのよ…」


 …モヤモヤした気持ちを…どうにかしたくて…問いかけた。


「何が」


「夕べよ」


「事務所でずっと話してただけだぜ?」


「…信じられない」


「おまえなあ…」


「あたし、見たよ?」


「何を」


「……」


 何を。って聞かれて…あの光景が脳裏をよぎった。

 千里の胸にすがった瞳さん。

 その瞳さんを優しく抱きしめる千里。


 …ショックだったけど…

 絵になってる…って思ってしまった。



 無言で部屋に向かうと。


「何逃げてんだ」


 千里があたしの腕をとった。


「いや!!」


 あたしは、その手を振りほどく。


「瞳さんを抱きしめた手で触らないで!!」


「おま…」


 一気に感情がこぼれ落ちた。


「好きだなんて気が付かなきゃよかった…」


 閉じ込めてた想いが、溢れ出す。


「あれは…あいつが泣くから…」


「泣く女は誰でも抱きしめるの?」


「……」


 千里は何も言わずに、あたしを見つめて。

 だけど、面倒臭そうに溜息を吐いた。

 …それが、あたしの闇になった。


「…そうね、もともと偽装結婚だったんだもの。こんなことあったっておかしく…」


 低い声で全部言いきらないうちに、部屋に戻って鍵を閉める。

 部屋の外では千里の気配がしたけれど…何も言ってはくれなかった。



 …何よ…

 結局あたしは…『彼女イコール結婚』は違う。って思ってる千里の…『結婚相手』っていうだけなんだ…

 気持ちがあるのは、『彼女』である瞳さん。

 あたしは…


「…ふっ…」


 堪えようとするのに、止まらない涙。

 あんな男のために泣くなんて…嫌だ。って思うのに…止まらない。

 思えばあたし、千里に『好き』だなんて言われた事…ないもの…

 キスして『こういう事だ』って言われた…

 ただ、それだけ…。


 …あたし、いい気になってた。

 千里も同じ気持ちなんだ…って。


 だけど…もし…もし、万が一、千里があたしと同じ気持ちだったとしても…

 彼女と結婚を違う意味でとらえてる千里には…

 あたしも…瞳さんも、あり。なのかもしれない。


 …でも…そんなの、イヤ…!!

 あたしも瞳さんも…なんて…

 それに…あたしと暮らしてる、この部屋に連れ込むなんて…


 …千里、最低…



『…知花』


 ドアの外、千里が遠慮がちに声をかけて来たけど。

 あたしは、それに応えなかった。

 胸が痛くて…苦しくて…


 せっかく陸ちゃんに励ましてもらったのに…

 …悪い方にしか、捉えられなくなった。



 しばらくして、部屋の外の千里の気配はなくなった。

 それが…あたしの胸を、さらに締め付けた。


 あたし…泣いてるのに。

 どうしていつもみたいに強引に、あたしを抱きしめてくれないの?

 瞳さんを抱きしめた手で、あたしに触らないでって言ったから?

 でも…そんなの…千里、いつもお構いなしなクセに…



「…もう…やだ…」


 触られたくない…だけど抱きしめて欲しかった…

 こんな矛盾な気持ち…伝わるわけない。

 伝わるわけない…なんて…


 苦しい…。



 * * *



 翌朝…千里が起きる前にマンションを出た。

 もう…どうでもいい。

 そんな気分になってたあたしは…

 ウィッグも眼鏡も…着けないままで、登校した。



「え…誰…」


「嘘…髪の毛真っ赤…」


「マズイっしょ…」



 赤毛のままのあたしは、相当目立ってる。

 桜花の制服でこんな髪色…ないよね。



「知花!!」


 真っ直ぐ前を向いて歩いてると、背後にまこちゃんの声が聞こえた。

 普段大きな声なんて出さないまこちゃんの大声に、得したなあ…なんて。

 そんな風に思う余裕はあるのに…まこちゃんを振り向いたり、これからどうするか…なんて考える余裕はなかった。



「何で今日そのまま?」


 靴箱で、まこちゃんに腕を取られた。

 まこちゃんの眉間には、らしくない…しわ。


「…知花?」


「……」


「どうしちゃったんだよ…」


「……」


 どうしたのか…って聞かれても、何も答えられなかった。

 どう答えればいいのか…


 そうこうしてると、騒ぎを聞きつけたのか。


「君…ちょっと来なさい」


 体育の先生に声を掛けられた。


 …君、かあ…

 先生、あたしの事、誰だか気付いてないのかな…

 そう考えると、今までのウィッグと眼鏡の力って、すごいのかも。



 校長室に連れて行かれると。


「名前とクラスを言いなさい」


 校長先生に問いかけられた。


「…二年三組、桐生院知花です」


「えっ…!?」


 名乗っただけで、そこにいた教頭先生と体育の先生と校長先生…三人に驚きの声を上げられた。

 …そんなに?

 そんなにあたし、存在感なかったのかなあ。


「その髪の毛は?」


「…地毛です」


「それが、地毛と?」


「はい」


「……」


 先生達は呆れた様子で、顔を見合わせてる。

 ああ…もう、どうでも良くなってきちゃった…


 しばらく無言のまま、隣にある職員室から聞こえて来るコソコソとしたざわめきを、ただの雑音として聞き入れていると…



「遅くなってすみません。桐生院でございます」


 …おばあちゃまが…ノックと共に入って来た。

 そしてあたしの隣に並んで。


「…知花、どうして…」


 困惑したような低い声で言った。


 …どうして?

 どうして…って…これが、あたしなのよ?


 急に、自分を隠してる事が嫌になったあたしは…


「あたし…」


 気が付いたら…口にしてた。


「あたし、アルバイトしてます」


「アルバイト?」


 先生方が、眉間にしわを寄せた。


 あ…何だかスッキリ。


「それに…結婚してます」


「けっけっ…結婚って!!きき桐生院さん!!これはっ…!!」


 慌てふためく先生方と、あたしの隣で額に手を当てるおばあちゃま。

 もう…何も隠したくない。

 あたし自身を…取り戻したい。


 あたしは校長先生を見据えて。


「それに…」


 全てを、話そう。と思った。


「…まだ何かあるのかね…」


「知花、もう何も…」


 ごめんね、おばあちゃま。

 言いつけ守らなくて。

 それどころか…秘密も嘘もたくさんで。



「バンドを組んで歌を歌ってます。デビューも決まってます」


「……」


「……」


 校長室が静寂に包まれた。

 おばあちゃまにも寝耳に水の告白。

 …父さん、怒るかな…


「もう、退学ですよね。退学でいいです。お世話になりました」


 あたしはそう言うと、おばあちゃまを残したまま…校長室を出た。



 一時間目の校内は静かだけど、あたしが廊下を歩いてると、それに気付いた数人がざわつき始めた。

 …教室…別に用はないし…このまま帰ろうかな…

 そんな事を考えてると、チャイムが鳴って…


「知花!!」


 聖子が、廊下に出て来た。


「…おはよ」


「おはよって、あんた…」


「……」


 聖子はそのままあたしを窓際に連れて行って。

 あたし達は、そこに並んで外を眺めた。


「…どこ行ってたの?」


「…校長室」


「そっか…で…どうなったの?」


「…退学」


「退学!?」


 廊下に、聖子のすっとんきょうな声が響き渡った。

 赤毛のままのあたしは、目立ちたい放題。

 みんなが、振り返って見てる。


「…どうしちゃったの…?」


「何もかもイヤになっちゃって…」


「知花…」


「このまま来たら、すぐ校長室に呼ばれちゃって…おばあちゃまがすっとんできたの」


「うんうん…」


「バイトもしてるし、結婚してるって、全部言っちゃった」


「知花」


「みんな、ビックリしてたよ」


「知花!!」


 聖子が、あたしの肩を揺さぶる。


「あんた、おかしいよ。大丈夫なの?」


「……」


 そう言われて…初めて自分が壊れかけてる事に気付いた。

 何もかも、どうでも良くなった理由は…



「…千里が…瞳さんを抱きしめてるの見ちゃって…」


「え…っ…」


「苦しいの…どうしていいか、わかんないの…」


「神さん…何も?」


「何も言ってくれない…」


 聖子はあたしを抱きしめると。


「しばらくさ、神さんとこ帰らずに、ゆっくりしなよ」


 って、涙声で言った。


「…実家に帰る…」


「大丈夫なの?」


「ん…」


「ばあさんに何か言われたら、うちにおいで?」


「うん…ありがと…」


 あたしは聖子から離れて。


「じゃ…あたし、帰るから…」


 笑ってみせる。


「無理して笑わなくてもいいのに…」


 そう言う聖子も、無理やりな笑顔。


「じゃ、スタジオでね…」


 あたしはそう言ってゆっくり歩き始めた。

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