22

「いいの?姉さん。神さん怒らない?」


 ちかしの、弾んだ声。

 あたしは、桐生院で夕食の支度をしている。

 結婚してからずっと、のんびり帰ってなかったもんなあ…



「ねえ、本当に退学なの?学校中の噂になってたけど」


「そうよ?」


「姉さんやるなあ」


「誓、バカなことを言わないでちょうだい」


 おばあちゃまの厳しい声に、誓と二人して首をすくめる。


「全く、何を考えてるんだか…私は恥ずかしくて外にも出られませんよ」


「買物行ってたじゃん」


「誓」


 あたしが無言のまま大根を切り始めると。


「…いつから、そういう活動をしてたんですか」


 おばあちゃまが低い声で言った。


「…そういう活動?」


「…歌、ですよ」


 ゆっくりと、おばあちゃまを見る。


「…二年前…かな…」


「どうして、そんなにコソコソするんです」


「……」


 あたしは、おばあちゃまの顔を見る。


「おまえは昔からそうでしたね。私の顔色を見てはコソコソ陰で何をしてるんだか…」


「……」


 おばあちゃまは眉間に手を当てて。


「何を考えてるんだか、ちっともわかりゃしない」


 って、投げやりに言った。


 あたしは初めて気が付いた。

 おばあちゃまは、あたしを嫌ってるんじゃないんだ。

 苦手なんだ。

 あたしが、何も言わないから…


「おばあちゃま」


「何ですか」


「ごめんなさい」


「……」


「あたし、ずっと言えなかった」


「……」


「あたしが歌う事…父さんとおばあちゃまは、あまり良く思わないだろうな…って」


「…どうしてですか」


「…何となく」


「……」


 おばあちゃまは小さく溜息をつくと。


「…歌の事はともかく…髪の毛と眼鏡は、もういいです」


 そう言って、野菜を洗い始めた。


「え…?」


「退学は不本意ですが、もう行かなくていいなら変装もしなくていいでしょ」


「……」


「ここでも、もうそんな事はしなくていいです」


 何となく…だけど…

 あたしは、おばあちゃまに認めてもらえた気がして。

 窮屈で小さくなってた自分が、少しだけ解放された気分になった。



「…やっぱり、家っていいよね…」


 小さくつぶやくと。


「神さんとケンカでもしたの?」


 誓が顔をのぞき込んで言った。

 それに、あたしは無言で笑ってみせる。


「何だよぉ、その意味深な笑顔はー」


「ううん、誓ったらかわいいなと思って」


 誓の頬を両手でぐいぐいと引っ張る。


「痛いよお」


「愛情の印」


 あたしと誓がじゃれてるのを、おばあちゃまは黙って見てる。

 こんな光景、今までなかったかも。

 この家から離れたことは、もしかして大正解だったのかもしれない。



「ただいまー」


 玄関から、ピアノに行ってたうららの声。


「あ、麗だ」


 あたしは玄関まで麗を迎えに…


「…あ」


「あ、神さんだー」


 麗の後ろに、千里。

 あたしの後ろにくっついてた誓が、嬉しそうに千里に近付く。


「よっ、久しぶり」


「そこで会ったの」


 嬉しそうな誓と麗を見てると、何も言えなくて。


「知花、千里さんをお部屋にご案内なさい」


 おばあちゃまがそう言って台所から出てきたけど。


「…やだ」


「え?」


 あたしは、勝手口から外に出る。


 何よ、こんなとこまで来て…

 みんなの前じゃ、無視もできないじゃない。

 …反則よ!!



「待てよ」


「きゃ!!」


 庭をつっきってると、いきなり腕をつかまれてしまった。


「は…離してよ!!」


「落ち着けよ。とりあえず、きちんと話そうぜ」


「…何を話すのよ」


「瞳とは、何でもない」


「……」


 あたしが、あきらかに疑いの眼差しで見ると。


「じゃ、おまえはどうなんだ?」


 千里がくってかかった。


「…あたし?」


「昨日だよ。どこか行ってたんだろ?」


「別に…」


「言えないようなところか?」


 千里のすごんだ声に、あたしは少しだけうつむきながら。


「…陸ちゃんの実家に…」


 小さく答えた。


「何もなかっただろうな?」


「あ…あるわけないじゃない」


 確か…抱きしめられた…


「ないわよ…何も」


「本当だな?」


「本当よ」


「それが嘘でも、俺はおまえを信じる」


「……」


 泳がせてた視線を、千里に合わせる。

 きっと、嘘だってバレバレだったはず。

 なのに千里は、あたしを信じるって言いきった。



「…でも…」


「何だよ」


「…瞳さんて…素敵だし…」


「赤毛も充分いけてるぜ?」


 千里があたしの髪の毛を手にする。


「退学になったらしいじゃん」


「誰に聞いたの?」


「ばあさんから、電話で」


 いつの間に…


「千里のせいよ」


「なんで」


「…あんな場面見て、冷静でいられると思う?」


「それでかつらつけ忘れたのかよ」


「そっそうじゃないけど…」


 千里はニヤニヤしながら、あたしを抱きしめた。

 ふと縁側に目をやると、みんながこっちを見てる。


「…みんな見てるよ」


「見させとけよ」


「やだ」


「いいもんやるから」


「?」


 そう言って千里はポケットから…


「…指輪?」


「薬指にな」


 って、同じ指輪をはめた自分の左手をひらひらさせながら言った。


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