10
「いらっしゃい」
表通りの「映華」さん。
あたしのお気に入りの花屋さんで、花材はいつもここで調達。
「こんにちは」
「今日は何の花にする?」
「玄関に生ける花と、リビングに一つ鉢を置こうかなと思って」
「あ、かわいい鉢が入ってるわよ」
店長さんは、40代前半の元役者さん。
とっても綺麗で気さくな人で、花をよく知ってらして。
あたしは、いつも花を選ぶのに助言してもらう。
「これ、ディモルホセカ」
「わ、かわいい。変わった色」
「ね。少ーしブルーグレーっぽくて素敵な色でしょう?」
頭の中で、リビングを思い浮かべる。
これくらいの小さな鉢なら、サイドテーブルに二つ置けるかな。
「じゃ、これを二つと…」
「ね、花器は何色?」
「えーと…玄関に使ってるのは白です」
「丸型?」
「はい」
「じゃあさ、思いきって変わったのしない?」
「え?」
「例えば、チューリップをこう…たらして」
あたしは、店長さんがスケッチブックに描かれるのを見入った。
「で、この真ん中にネリネを、こう」
「わ、素敵」
「でしょう?あと、ブルースターとか使ってもおもしろいかも」
「あ、じゃあ…」
あたしは、店長さんのスケッチブックに割り込ませてもらう。
「こう赤い華をブルースターで囲んで…」
「あら、かわいい。あたし、これでリース作ろうかしら」
なんだか、店長さんと話してると創作意欲が湧いちゃうな。
物心ついた頃から、花に囲まれて生活してたから…
今も、花がないと落ち着かない。
インターナショナルスクールの寮生だった頃も、部屋に花は欠かさなかった。
グラウンドの隅っこに咲いてた花を拝借して飾ったり。
押し花にして『しおり』を作ったり。
ドライフラワーにして、インテリアにしたり。
桐生院家の者として、華道の道に進む事は…最初から期待どころか…拒否されていたと思う。
継母さんが桐生院家の華道を盛り上げてくれてたようなものだし、あたしは嫌われてたから…仕方ないよね。
床の間に飾ってある物を見て、見よう見まねで生けてみたものの…それは評価すらされる事はなかった。
…だけど、花を生ける事は好き。
花を生けている時は、どんな事情があったにせよ、あたしは桐生院家の娘なんだ…って、思える瞬間だ。
「じゃあちょっとブルースターにチャレンジしてみます」
店長さんとスケッチブックを挟んでの会話は、いつも楽しい。
「そうね。真ん中はー…あ、ミニバラの真っ赤なやつ分けてあげる」
「え?」
「実はね、仕入れの時にたくさんもらったのよ」
「え…いいんですか…?」
「いいのよ」
店長さんは店の奥に行かれると。
「はーい、お待たせ」
って、たくさんのミニバラをもって来られた。
「こんなにたくさん?」
「いいの。お得意様だし、こんなに花を楽しんでくれる女子高生なんて、こっちがありがとうって言いたくなるもの」
何だか嬉しくなって、あたしはペコペコとお辞儀した。
「じゃあ…遠慮なくいただきます。ありがとうございます」
「あと、ディモルホセカとブルースターね」
なんだか、ワクワクしてしまった。
最近は、主に枝物を生けてたし。
そうだな…たまには、こういう華やかな活け方もいいかも。
アレンジメントも、やってみようかなあ。
「じゃ、これお釣り」
「ありがとうございました」
「またねー」
花を抱えてお店を出ると。
「あ。」
ふいに、TOYSのCDを探す予定だったって思い出して。
「急いで帰んなきゃ」
あたしは、小走りで家に向かった。
* * *
「…何してんだよ」
千里が帰って来るまでに、と思って。
千里の部屋でTOYSのCD を探索してると…帰って来てしまった。
「何って…CD探してんの」
あたしが小さく言うと。
「誰の」
って…あー、機嫌悪そう。
「…TOYSの」
あたしが上目遣いに千里を見ながら言うと。
「持ってない」
千里は吐き捨てるようにそう言って、服を脱ぎ始めた。
「えっ…どっ、どうして持ってないの?」
「別に持ってなくてもいいだろ」
「自分たちの作品でしょ?」
「だから?」
「だ…」
呆れて言葉が出なくなってしまった。
なんて言い返したらいいかわからなくて黙ってると。
「電話鳴ってるぜ、おまえんだろ」
って、千里が冷たく言った。
「……」
無言で受話器を取りに行くと。
『もしもし、知花か?』
「お父さん…久しぶり」
久しぶりの、父さんの声だった。
『元気なのか?』
「うん」
『千里くんも?』
「んー…まあ…」
『食事でもどうかと思ったんだけど…もう食べたか?』
「あー…まだだけど、今日は疲れてるみたいだから、次の機会でもいい?」
『ああ、父さんも今度は予定に入れるよ。いつがいい?』
「そうね…千里に聞いて連絡するわ」
『わかった』
「ごめんね」
『知花』
「ん?」
『声が、明るくなったな』
「……」
黙ってしまった。
父さんの言葉に、胸が痛んだ。
『もしもし?』
「あ、ごめん…どうして?前と変わんないよ」
『いや、自由で…好きな人と一緒というのは大きいなと思って』
違う。
本当は、後ろめたい部分があるから。
父さんに内緒で歌ってる。
それにこの結婚はー…
…偽物。
『じゃ、また電話するよ』
「うん…ありがと」
『おやすみ』
「おやすみなさい」
そっと受話器を置く。
「父さん…ごめんね」
小さくつぶやくと、泣きたくなってしまった。
あたし…
「千里…」
なんだか、一人でいるのがイヤで。
機嫌が悪いとわかっていながらも、あたしは千里の部屋に戻った。
「…何だよ」
千里はベッドに仰向けになって、考え事でもしてるみたいだった。
「ちょっと…いい?」
「何」
「父さんが…今度食事に行こうって」
返事はなかったけど、イヤな顔じゃなかった。
あたしは千里の隣に腰を下ろす。
「…あたしたち、家族をだましてるよね…」
「家族だけじゃないだろ」
「……」
「ホームシックにでもかかってんのか」
「そうじゃないけど…」
うまく言葉にできなくて、うつむいてしまうと。
「…出かけるか」
ふいに千里が立ち上がった。
「…え?」
「出かけるっつってんだよ。支度しろ」
「あ…はい…」
千里に言われるがまま、とりあえず「お出かけ」の格好に着替える。
着替えて部屋を出ると、千里は玄関でブルースターに触れてた。
…珍しいな。
結婚する前は、ドライブもよくしてたけど。
結婚してからというもの、一度も一緒に出かけたことなんてない。
「どこに行くの?」
「さあ」
千里に問いかけながら、駐車場に向かう。
見た目に反して、仕事に自転車で通うという健康的な千里の愛車は、滅多に日の目に出ない。
久しぶりに見る黒のベンツは、千里のおじい様で、大手貿易商会長、神幸作氏からのプレゼント。
わがままで気ままで…一人っ子かなって思ってた千里は。
大金持ちの五人兄弟の末っ子だった。
最初、ただの売れないシンガーだと思ってたあたしは。
聖子に。
「ベンツって誰にでも買えるような車?」
って聞いた。
すると聖子は。
「ベンツゥ?そりゃ、金持ちの乗り物よ」
って言った。
そんな高級車をポーンとプレゼント…
すごい家族だなと思ってたけど。
千里は、その「すごい家族」があまり好きじゃないみたい…。
海外在住のご両親とは、あたしも電話でしか喋ったことはない。
千里とはもう六年会ってないそうだ。
「ね、TOYSの音源ないの?」
あたしが腕を掴んで言うと。。
千里はめんどくさそうに、ダッシュボードを開けてカセットをさぐった。
「適当にかけてみな。どれかにスタジオで録ったのが入ってっから」
…自分の作品だというのに…祖末な扱いだな。
あたしは言われた通り、カセットを差し込む。
「あ、Deep Redだ」
一本目のカセットはDeep Red
「全部聴いたのかよ」
「うん。すごくきれいなギターの音にビックリ」
「高原さんもすごいだろ?」
「すっっごくハイトーンなのに、細くないよね。迫力あるし…次」
あたしがカセットを取り出すと、千里は少しだけ鼻で笑った。
…機嫌、良くなってきたのかな?
「これは…TRUE?」
「よく知ってんな」
「このギタリスト、センのお父さまなんだって」
「セン?」
「うちのバンドでギター弾いてる髪の毛の長い方」
まだ事務所のスタジオは使ってないけど。
あたしと聖子がバイトし始めて、メンバーも事務所に出入りするようになった。
千里は、見てないようで見てる人だから…
「へえ、意外だな。御子息様って感じの奴だろ?」
…やっぱり、知ってた。
「御子息様よ。茶道家元だったのに…」
「道踏み外したな、そいつも」
「もう!!」
あたしは、千里の肩を軽く叩いてみせる。
良かった…笑ってる。
「あまり前に乗り出すな。危ないぜ」
千里があたしの体を後ろに引く。
「…ん」
あたしは…スクールでお付き合いした男の子が事故で亡くなって、車酔いをするようになった。
でも、これまた見た目に反して千里は、安全運転。
父さんの車にも酔ってしまうのに…なぜか千里の運転だと大丈夫だったりする。
「次は…」
あたしは、手だけ伸ばしてカセットをセットする。
「……」
聴いたことのない女の人の声。
きっと…
「…瞳さん?」
わざと普通に言ってみせる。
すると。
「次入れろ」
って、千里は瞳さんのカセットを取り出した。
…瞳さんと何かあったのかな。
なんだか、声が怒ってる。
「…はい」
おとなしく次のカセットを入れると。
「お、懐かしいな。しばらくこれ聴こうぜ」
って、千里がボリュームをあげた。
カセットからは、懐かしの洋楽ハードロック。
「えー、TOYSは?」
あたしは口唇を尖らせる。
「んなもん、いつか聴けるじゃねえか」
「今がいいの」
「黙ってろ。俺の車だ」
「……」
千里が子供みたいなこと言うから黙ってしまった。
あたしは唇をとがらせて、シートに深く沈み込む。
続いて流れ始めた『恋をすれば誰だって』っていう、昔のヒットソングを聴いてるうちに。
いつの間にか…眠ってしまった。
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