27

「…離婚って…」


 事務所から直接桐生院に行って離婚の報告ををすると、父さんとおばあちゃまは口を開けたまま呆然とした。


「…ごめんなさい。もう決めたの」


「決めたって…どうしてそんな大切なことを勝手に決めるんですか」


「…アメリカに行くから」


「アメリカ?」


「向こうの事務所に行って…デビューなの」


「だからって…あの事務所は、アメリカに行くと離婚しないといけないのですか」


「あたしたち…」


 あたしは、畳の目を見つめながら。


「あたしと千里…偽装結婚だったの」


 つぶやいた。


 キッカケはそうでも…あたしは結果、千里を好きになった。

 だけど…

 千里の事、好きになった自分を忘れたくて。

 何もなかった事にしたくて。

 あたしは…そう告白した。



「………え?」


 父さんの、呆れた声。


「あたし、どうしてもこの家を出たかった。だから」


「知花!!」


 バシッ


 父さんの手が、あたしの頬を打った。


「家を…家を出たいからって……!?」


「…あたし、自分が大嫌いだった。スクールに通ったり変装したり、あたしはどうして…どうしてこんな生き方しなきゃいけないの…って…!!」


「知花…」


 おばあちゃまが、今までになく力の無い声でつぶやいて部屋を出て行って、その様子を見た父さんは、あたしを睨みながら。


「おばあさまは、おまえのためを思ってそうしていたのに、なんて事…」


 厳しい声で…震えながら言った。


「…あたしのため?」


「おまえは、その髪の毛のせいで…小さな頃から近所でイジメられて泣いていた。それを見かねて…」


「……」


 あたしのため?

 おばあちゃまが…?


「それを、おまえは…」


「……」


 …何も言えなくなった。

 ずっと…桐生院家の体裁のためだとばかり思ってた。

 あたしのためだなんて…


 …何もかも、失ってしまった。

 …何もかも…



「出て行け。勘当だ」


「…父さん…」


「もう、これ以上おまえに失望させられたくない。二度とここには帰ってくるな」


「……」



 本当に、あたしはバカだ。

 こんなにも愛されていたのに。

 それに気が付かなかった。

 これは、あたしへの罰だ。



「…お世話になりました…」


 畳に額をつけて…小さな声で言う。


「……」


「おばあちゃまに…体に気を付けてって…」


 あたしが何を言っても、父さんから返事はなかった。


 ずっと…あたしの味方をしてくれてた父さん。

 こんなに怒ったの…初めて見た。

 あたしが、そうさせた…。

 打たれた頬が…痛い。



 ゆっくりと玄関を出て…庭から家を振り返る。

 あまりここでは生活をしていなかったのに…寂しくなった。


 手入れの行き届いた、桜の咲く庭が大好きだった。

 …あたしの、生まれた場所。


 さよなら…。



 ダメな自分に失望しながら、マンションに帰って荷造りをする。

 千里はアメリカに行くまで、ここにいろって言ってくれたけど…

 …辛すぎていられない。


 千里はしばらく帰って来なかったから…飾ってた花々も見てもらえないままだった。

 帰って来た時に枯れてるのは嫌だなと思って、小さくまとめて管理人室の窓際に勝手に飾った。


 これから…どうしよう。

 事務所のミーティングルームなら…怪しまれないかな…

 漠然とそんなことを考えたけど。

 千里と別れて、実家からも勘当されて…あたしは一人だ。と思うと、聖子の顔が浮かんだ。


 だけど…



「ごめんなさいね。会いたくないって言ってるのよ。ケンカでもしたの?」


 聖子を訪ねると。

 久しぶりに会う聖子のお母様が、そう言われた。


「あたしが悪いんです。ごめんなさいって、言ってもらえますか?」


「それはいいけど…どうしたの?こんな時間に、そんな大きな荷物持って」


「…これはー…」


「……」


 聖子の顔が浮かんだから…なんて、都合良すぎだよね…。

 思えば、あたしはいつも…困ったときには聖子を頼ってた。

 そして、聖子はいつも…親身に考えてくれてた。

 なのに…あたしは一度も聖子を助けるような事…してない。


 …親友、なんて…とんでもない。

 迷惑かけてばかりだよ…

 聖子、もうあたしのこと…呆れてるよね…。



「何かわけがありそうね」


 お母様はあたしの顔を覗き込んで。


「向いの家に行きましょう」


 名案。と言わんばかりに腕を引いた。


「え?」


「光史、家にいるみたいだし」


 釣られて向かいの二階に目を向けると、確かに…部屋の明かりはついてる…けど…


「え、でも…」


「いいから」


 あたしは手を引かれるがまま、聖子の家からお向かいの朝霧邸へ。


 ディンドーン


 重厚感のあるチャイムが鳴ってすぐ、玄関のドアが開いて。


「あ、頼子…と、あら、知花ちゃん」


 朝霧さんの奥様が、あたしを見て目を丸くされた。


「……こんばんは」


「どうしたの?」


「ちょっと、わけありっぽいから連れてきたの」


「聖子ちゃんは?」


「ケンカしてるらしくって」


「まあ…じゃ、お茶でも入れるから座ってて」


 あたしは言われた通り、ソファーに座る。

 すると…


「ただい…あれ?知花?」


 ちょうど帰って来られた朝霧さんが。


「主婦が出歩く時間やないで?千里、もう帰ってたで?」


 あたしの向かい側に座りながら、聖子のお母様に『よっ』と片手を上げられた。


「はーい、頼子のおみやげのイギリス紅茶」


 あ…聖子の好きな紅茶だ。


「光史、いてる?」


「部屋にいるわよ」


「光史ー、茶ー飲まへんかー」


 朝霧さんが二階に向かって大声を張り上げると。


「親父、そんな大声出したら鈴亜りあわたるが起き……知花?」


 光史は階段を下りながら、あたしに気付いて目を丸くした。


「どうした?こんな時間に。しかも何だよ、このメンツ」


「俺は今帰ったとこや。で、知花…その大荷物はなんや?」


 朝霧さんがあたしの荷物を目配せして言われて、あたしはうつむく。


「これはー…」


「千里となんかあったんか?」


「……」


 あたしが黙ってると。


「旦那とケンカぐらいしたって不思議じゃないわよねぇ」


 聖子のお母さまが笑われた。


「それで家出か?もしかして」


 朝霧さんの問いかけに黙ってしまうと。


「実家には?」


 光史が遠慮がちに聞いて来た。


「…あたし…」


「……」


「桐生院の家、勘当されちゃって…」


「え!?」


「仕方ないんです。あたしが、悪いんです」


「悪いって…何かあったんか?」


「あたし、あの家とは血の繋がりがないんです」


「えっ…」


「だから、ひねくれてた。あたしは愛されてないって。だけど、本当は一番愛されてた。それに気が付かなかった罰なんです」


「……」


「もう、あたしには歌うことしか、ないんです」


「あれか?アメリカに行くこと、反対されたんか?」


「…いいえ。あたし自身に問題があったんです。でも、これで心おきなくアメリカに行けます」


 あたしは、わざと笑ってみせる。


「こんなあたしを心配して下さって、ありがとうございました」


 立ち上がってお辞儀をして、自分を奮い立たせるために…いつもより少し胸を張った。


「ちょっと待って。どこか行くところがあるの?」


「なんとかなりますから」


「そんな、なんとかって…」


「知花」


「え?」


「俺の部屋に行こう。徹夜で曲作ろうぜ」


 ふいに…笑顔の光史。


「おまえ、知花は一応人妻やねんで?部屋はあかん」


「何言ってるの、真音まのん。光史と知花ちゃんはバンドメンバーよ?」


「そうそう。それに、ケンカして嫁を追い出す旦那には、少し心配かけた方がいいのよ」


 …色々誤解が生まれてるけど…あえて何も言わずにいた。



「ほらほら、アメリカが待ってるんでしょ?しっかり曲作って」


「あとでお夜食持って行くから」


「サンキュ」


「あの、あたし…」


「いいから来いよ」


「……」


 聖子のお母様と、光史のお母様と、光史。

 三人はあたしをまくし立てるように、二階へ向かわせた。

 唯一…朝霧さんだけが複雑な顔…


「…ホンマに千里に連絡せんでええんか?」


「夫婦ゲンカして家出してるのに。心配させないでどうすんのよ」


「知花ちゃん…頬赤くなってたわね。旦那さんかご実家で叩かれたのかしら…」


 階段を上がった所で、そんな会話が聞こえたけど…

 聞かなかったフリをして、光史の部屋に入る。



「…別れたのか?」


 ドアを閉めた途端、光史に問いかけられた。


「え…?」


「神さんと」


「…どうして?」


「指輪してないし」


 …鋭いなあ…

 うん…光史はいつも、誰よりも先に何かに気付く人だよね…



「…うん、別れた」


「…そっか」


 あたしが意を決して告白したのに、光史は驚いた様子もない。

 相変わらず冷静だな…

 そんな光史と一緒にいると、少し心強く思えて。


「あたし、自分がこんなに弱い人間だなんて思わなかった」


 自分が…どんなに駄目な人間かを、告白した。


「千里と一緒にいたいから、みんなとアメリカに行けなくてもいいなんて思ったりして…自分の夢だったのに…」


「別に、おかしくないぜ?普通の感情だと思うけど」


「そう?でも、あたしはそれで聖子を傷つけた。それに…」


「それに?」


「あたしと千里…偽装結婚だったの…」


「……」


「家を出たかったから、なんて。家族を騙してまで…」


「でも、今は好きなんだろ?」


「…好き。だけど、千里を信じられない」


「どうして」


「…自分に、自信がないの」


「……」


 本当…

 考えれば考えるほど…イヤになる。


 瞳さんの歌は…楽曲に合わせて可愛くなったり優しくなったり、大人の女になったり。

 すごく…魅力的だ。


 だけどあたしは…ハードロックだから。って言うだけじゃない。

 今回はたまたまニーズに合って抜擢されたのかもしれないけど、乏しい表現力は自分が一番分かってる。

 …シンガーとしても…女としても…

 あたしは、瞳さんにかなわない…



「…あたしはこんな女だから、千里はいつか遠くへ行っちゃうって…そう思えて。きっと、アメリカに行ってもこんな調子だと思うと…」


「だからって、別れなくてもいいじゃないか」


「…彼の重荷になりたくないの」


「重荷?」


「あたし、きっと千里のこと気になって集中できないと思う。でも、そうしたら千里は自分があたしの重荷だと思うんじゃないかなって…」


「なるほどね…」


 光史は大きく溜息を吐いて。


「おまえ自身、後悔しないためにも…しっかりやれよ?」


 あたしに笑いかけた。

 光史の笑顔と言葉が嬉しくて…それまで我慢してた涙が…


「…今のうちに、たくさん泣いとけ」


 膝を抱えて泣いてると、光史が頭をポンポンとしてくれる。


 そうこうしてると。


「知花!?」


 けたたましく、聖子がやって来た。


「…聖子…」


「あんた、家、勘当って…神さんと別れたって…」


「え…?」


「…親父たち、聞いてやがったな」


 光史が額に手を当てた。

 聖子は、あたしの前に座ると突然あたしを抱きしめて。


「どうして、そんなこと…あんた、せっかく幸せだったのに…」


 って、涙声でつぶやいた。


「どうしてって…」


 あたしは、聖子の黒い髪の毛を頬に感じながら。


「夢の大切さを…思い出したから…」


 って…目を伏せた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る