16 「…なんて顔してんだよ」
「…なんて顔してんだよ」
帰ってきた千里が、あたしの顔を見て言った。
「泣いたのか?」
「……」
黙ってるあたしを面倒に思ったのか、千里はキッチンで水を飲むと。
「風呂入る」
リビングを出て行った。
今日はバイトもバンドの練習もなくて、高原さんと別れたあと、ずっと一人で泣いてた。
どうして涙が出るのか…分からないけど…
♪♪♪♪
あたしの部屋から電話のベルが鳴った。
まだ沈んだままの気持ちで受話器を取ると…
『知花?』
「聖子…」
『何暗い声してんの』
「……」
『あのさ、ここ何日かずっと考えてたんだけど…』
「…うん…」
『あー…今から行っていい?』
「え?」
『顔見て話した方がいいもんね。今から行くわ。小森公園の裏だったよね』
「あ…う、うん…」
『じゃ』
「じゃ…って、聖子?あ…」
…切れた。
「……」
子機を持ったままお風呂まで行って、シャワー中の千里にドア越しに声を掛ける。
「あのね…」
『んあ?』
「聖子が、今から来るって言うの…」
『ああ、それが何』
「いいの?来ても」
『状況知ってる奴は別にいいだろ』
意外な返事に、ちょっと戸惑う。
「何だよ」
黙ったままでいると、千里がドアを開けてあたしの顔を見た。
「な…何が」
「不満そうな顔してんな」
そう言ってあたしの鼻を泡だらけの手で…
「やっ、もー!!泡ー!!」
「ちっ。元気じゃねえか。心配して損した」
千里はそう言って、ドアを閉めた。
「……」
…心配、してくれてたんだ。
ただそれだけなんだけど…沈んでた気持ちが少しずつ浮いて来て。
あたしはキッチンに行くと冷蔵庫の中を覗き込む。
ここで千里以外の誰かと過ごす事が出来るなんて…何だか予想外過ぎて…嬉しいな。
今からだと手の込んだ物は作れないけど、何か作ろうかな。
「お、何か作んのかよ」
冷蔵庫からハムやレタスを取り出してると、首にタオルをかけた千里がやって来た。
…トランクスだけの姿なんて、いつも見慣れてるはずなのに…なぜかちょっと照れくさい。
「…んー…簡単なもの…」
「アズも呼んでやるか」
「え?どうして
「すげー気に入ってるみたいだから」
「…聖子を?」
「ああ。あ、ワイン飲もうぜ。じいさんにもらったやつ」
千里はそう言ってワインをあさったかと思うと。
「今からうちに来い。晩飯食わせてやる」
って、早速東さんに電話してる。
あたしは…聖子大丈夫かな?って思いながら…食事の準備を始めた。
「不機嫌は直ったみたいだな」
まだ乾いてない前髪をかきあげながら、千里がソファーに座る。
その言葉を聞いて…あたしの脳裏に夕方の出来事がよみがえった。
せっかく浮上しかけてた気持ちが…また少し落ちて行きそうになる。
「…今日…」
「あ?」
「高原さんに会った…」
「俺も会ったぜ?」
「事務所でじゃないよ。学校の帰り。待ってたみたい…話がしたくて」
千里はソファーから少しだけあたしを振り返って、やれやれ…って表情。
「高原さん…
「そんな話をしに行ったのか?あの人は」
「…うん…」
「いちいち気にすんな。もうあいつとは何でもねーから」
「……」
あたしは手にしてたレタスを置いて、千里の隣に座る。
「…何だよ」
「これで良かったのかな…」
「何が」
「あたし、いろんな人に迷惑かけてるような気がする…」
「…別れたいのか?」
千里の真面目な声に、思わずうつむいてた顔をあげる。
「だって、千里のこと…本気で想ってる人がいるのに…」
「おまえだって、俺のこと結構マジだろ?」
そう言った千里は…笑顔。
「…どうして?」
「知ってんだぜ」
「何を…」
「俺、さっき帰る前に高原さんと話した」
「……」
千里にそう言われて…あたしの瞬きが少し増えた。
あたし…確か…
「瞳に負けないっつったらしいじゃん」
至近距離に、いつものニヤニヤ顔。
「俺のことも、好きなんだってな」
あたしは立ち上がって、クッションで千里を殴り付ける。
「しっ知ってたのね!?高原さんが会いに来たこと、知っててからかったの!?」
ああああ!!どうしてー!?
あたし…た…確かに、あたしが言ったんだけど…!!
「いてっ…おま…おい、やめろって」
千里は笑いながら、ボカスカとクッションを叩きつけるあたしの腕をギュッと掴んだ。
「そんな怒んなよ。高原さん、あれで納得したみたいたぜ?」
「…え?」
「ま、一つずつうまくいくさ」
身体から力が抜けて…手にしてたクッションが床に落ちる。
「…ねえ…」
「あ?」
「千里は…あたしのこと…」
こんなこと、聞くつもりじゃないのに…勝手に言葉が出て来る。
これじゃ、あたし…
「…そろそろ聖子が来るんじゃねーか?さすがに裸はマズイか」
千里はそう言ってあたしの腕を離して立ち上がると、部屋に向かった。
なんとなく…話をそらされたのが恥ずかしいやら悔しいやらで。
あたしは無言でキッチンに立つと、唇を尖らせて食材を切り始めた。
「何拗ねてんだよ」
「…別に」
気に掛けてくれてるのに…尖った唇が直らない。
こんな…子供っぽい女、千里は嫌だよね…
分かってるのに、どうしようもない…
「♭」
「あ、誰か来たな」
「あたしが出る」
チャイムが鳴って、インターホンに向かおうとすると。
「知花」
ふいに千里があたしの肩に手をかけた。
「え?」
振り向きざまにー…唇が触れた。
「……」
あたしが驚いた目で千里を見上げると…顎を持ち上げられて…もう一度。
今度は…少し長めの…優しいキス。
「…ま、こういうことだ」
唇が離れて、パチパチと瞬きをしながら途方に暮れてると。
千里は小さく笑いながらあたしの頬を手の甲で撫でて…
「おう。入れてやる。ありがたく思え」
インターホン越しの聖子に話しかけた…。
* * *
「すっごーい、あたしもこんなとこ住みたーい」
聖子が口を開けて、部屋中を見渡す。
あまりにもはしゃぐ聖子に呆れたのか、千里は低い声で…
「結婚して買え」
冷たく言い放った。
…あたしにしてみればいつもの千里だけど、聖子にとってはプライベートの千里なんてほぼ初対面。
千里の口調が気に障ったのか、聖子は目を細めてあたしを振り返った。
「え…っと、聖子、今夜泊まる?」
ゆっくり話したい。
そう思ったあたしが提案すると…
「そうしな。美味いワインもあるし」
千里がワインのラベルを確かめるように眺めながら言った。
えーと…
あたし達、未成年ですけど…
「あ、飲みたい」
聖子…!!
そうこうしてると再びインターホンが鳴って、千里が無言でロビーの自動ドアを開けるボタンを押した。
その様子を見てた聖子が、キッチンにいるあたしに並ぶ。
「…他に誰か来るの?」
「えっと…東さん…」
「えええ…なんで?」
「千里が呼ぶって…」
「なんで……」
元々聖子は人見知りをする。
あたしも人見知り…だけど、音楽屋で陸ちゃんとセンをスカウトして以来、誰にも信じてもらえなくなった。
「こんばんはー」
東さんが、元気よく入って来て。
「わー!!神すごいとこ住んでるー!!広いなー!!俺もこんなとこ住みたいなー!!」
聖子と同じ事言ってる。と思うと、おかしくて…つい吹き出してしまった。
「うるさい。おまえはガキか」
「あたっ」
千里に腕を取られてソファーに沈められた東さんは…
「うわー…このソファー、すぐ寝れちゃいそうだよ」
そう言って千里の隣に横になった。
…なんだかんだ言いながら、千里はいつも東さんと一緒にいる。
あたしの親友の聖子と、千里の親友…?そこは謎だけど…いつも一緒にいる東さんと。
四人でここにいるのが不思議な気がした。
「あっ、忘れてた」
寝転がってた東さんは、何かを思い出したように突然起き上がって。
「知花ちゃん、神の奥さんって紹介してもらってからは、はじめまして。TOYSのギター、
あたしに向かって、笑顔で…ペコリと頭を下げた。
「あ…っ、あ、あたしこそ…はじめまして…あの…
「あ?」
ん?
あ?
あたしが東さんに自己紹介してると言うのに、千里が斜に構えてあたしを振り返る。
「……」
何だか凄みを利かせてる千里を無言で見てると…
「やだなあ、知花ちゃん。桐生院じゃなくて、神でしょ」
東さんが『ね!!』って笑顔で千里に言って。
『うるさい』って殴られてる。
はっ…!!
だ…だだけど…
あたし、まだ一度も…そ…そう…名乗った事……ない。
「ほら、早く。自己紹介」
隣にいる聖子が目をキラキラさせながら、あたしを肘で突く。
お…面白がってる!!
「…か…」
「……」
なぜか…千里がジッと見てる。
あたしは少しだけ手に汗握りながら…
「…神、知花…です」
小さな声で言った。
すると千里は少し鼻で笑ってテレビをつけて。
「知花、腹減った」
そう言った。
だけど東さんが千里の顔を覗き込んで。
「あー、神、真っ赤だよー」
なんて言ってしまったから…
「…てめえ」
「うわー!!神ごめんー!!ひー!!」
東さんは千里から猛烈に脇をくすぐられたのよ…。
* * *
「知花ぁ」
布団の中。
聖子が天井見上げたまま話しかけてきた。
「ん?」
「今日、来て良かった」
「…そ?」
四人で晩御飯を食べた。
音楽人が揃ってると言うのに、音楽の話題は一度も出て来なくて。
むしろ…あたし達の学校の話や、聖子のお母さんがデザインする服の話…
…聖子が『イメージ崩れた』って何度もつぶやいた、千里の…いやらしい話。
東さんから飛び出す、あたしの知らない千里の話は、ずっとでも聞いていたいぐらいだった。
千里の好物の焼きプリンを出した頃には、日付が変わってて。
それでも眠るのがもったいない気がして…
あたしと聖子は、千里が『もう寝ろ』って言うまで、部屋に引っ込まなかった。
千里と東さんは、まだリビングでワインを飲みながらテレビ見てる。
…いいな…
あたしも、もう少し一緒に居たかった…かも。
「…あたし、神さんが瞳さんを裏切って知花と結婚したって聞いて、ショックだった」
聖子が薄明りの中…天井を見つめたまま話し始めた。
「いくら、あんたに罪が無いって言っても、しばらくは顔見れないって思ってた」
「…うん」
「でもさ、最近知花きれいになったし…偽装なんて言いながら、結構本気っぽいしさ」
「……」
…暗くて良かった。
あたし…きっと今、真っ赤だ。
結構本気…って、周りからはそう見えるのかな…
あたしと…千里。
偽装結婚だったのに…
「実はね。昨日、事務所でさ」
「うん」
「神さんに、知花のことどう想ってるのかって聞いたの」
「……」
突然の告白に、あたしはパッチリと目を開けて聖子を見る。
薄明りだけど…聖子がこっちを見てニヤニヤしてるのが分かった。
「なんて言ったと思う?」
「…ふ…不機嫌になったとか…」
「それがさ、意外と真顔っていうか…優しい顔になっちゃって」
「え…」
「大切な女、だって」
「……」
あたしのこと、どう想ってるのか聞くと。
触れるだけのキスのあと、顎を持ち上げられて…長くて優しいキスをされた。
確かにあたし達は偽装結婚をした。
だけど…今、気持ちが近付いて…この結婚は偽装じゃなくなった気がする。
「恋人同士には色々あるから、瞳さんとの間にも何かがあったとして…それでも知花と神さんには、最初から魅かれ合う何かがあったのよ」
「…そんなロマンチックなものじゃないと思うけど…」
頬が熱い。
聖子の視線から逃れるように、布団を口元まで引っ張り上げる。
「とにかく良かった。もうちょっとで神さんを軽蔑する所だった」
「…さっき酔っ払って散々いやらしい話をしてたのは…いいの?」
「そんなの、男ならいやらしくて当たり前」
「そ…そうなんだ…」
聖子はあたしの布団を引っ張って顔を確認すると。
「良かったね、知花。これでラブソングが書けるね」
笑顔で言った。
「…書けるかな…」
「書けるわよ。今日の知花見てたら恋してるってのがすごく分かったもの」
「……」
「その気持ちを書けばいいの」
この気持ちを書けば…
その後、聖子はすぐに静かになって。
しばらくすると寝息を立て始めた。
あたしは…頭の中で自分の気持ちを言葉として並べて。
翌朝、まだ聖子が寝てる間に…歌詞をノートに書きまとめた。
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