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「新婚旅行もしばらくお預けじゃ、世貴子さん怒ってない?」


 今日から日本で発売するCDのレコーディング。

 あたしとセンと光史は、スタジオ階の通路で待ち時間を持て余してる。


 先月、センと世貴子さんが結婚した。

 結婚式らしい事はしなかったけど、双方の御家族とSHE'S-HE'Sでのちょっとしたパーティーは、心温まる物だった。


 新婚生活がスタートしたと同時に、アルバム制作の準備で忙しくなったから…二人は新婚旅行も行けないまま。



「世貴子も引退の挨拶であちこち出掛けてるから、ちょうどいいよ」


「あ、そうか。それにしてもすげーな…復帰してすぐオリンピック選手に選ばれて、あまり注目されてなかったのにあれよあれよと優勝しちまうなんてな」


「本当、世貴子さん柔道してるようなタイプには思えないから、そのギャップもカッコいい」


「そのうえ、優勝と同時に引退決めるとかさ…まだまだ出来そうなのに、未練ないって?」


「十分楽しんだ。って笑ってたよ」


 笑顔のセンから出された言葉に、あたしと光史は顔を見合わせた。

 国の代表として選出されると、なかなか…楽しめないイメージの方が大きい。

 世貴子さんて、大きい人だなあ。



「それより、新婚旅行。どこに行くと思う?」


 センが首をすくめながらあたし達に問いかける。


「海外?」


「いや、国内」


「北海道とか、沖縄とか?」


「ずばり、熱海。気が付いたら世貴子が全部プロデュースしてた…」


 なんだか、センにピッタリ(?)のような気がして、光史と笑う。


「センは海外に行きたかったの?」


「うーん…特にどこって事はないけど、こんな時じゃないと行けないような場所に憧れはあるかな」


 そっかあ。

 確かに、新婚旅行って特別な気がするし…そういう時の勢いじゃないと行けないって、何となく分かる気がする。

 …あたしは、学生だったから…式も新婚旅行もなかったけど…


 って。

 偽装結婚だったもの。

 そんなの、ないない。



「俺は、センにピッタリだと思う。熱海」


「…みんなから『ぽい』って言われるよ」


「ははっ。何て言うか、センは姉さん女房で正解だよな」


「俺がのんびりしてるせいかな…姉さん女房に関しては、ばーさまにも言われた」


「世貴子さん歳上には見えないけど」


「そうなんだよな…いまだに長瀬の親父さんは俺の方が年上だと思ってるみたいだしな…」


「ふふっ。セン、落ち着いて見えるもの」


「知花、そこは老けてるってハッキリ言ってもいいんだぜ」


「光史っ。一応気にしてるんだぜ?」


「ははっ、マジかよ。そりゃ悪かった」


 あたしたちにからかわれながらも、センはとっても幸せそう。

 あたしがスカウトした頃と、随分キャラが変わってしまったセン。

 だけど、ギターを弾いてる時の愁いを帯びた雰囲気は、同じギタリストである陸ちゃんからも。


「くそ~…雰囲気だけは勝てる気がしねぇ…」


 って、嫉妬されてる。



「あ、知花、髪の毛落ちそう」


「え?」


 ふいに光史が、あたしの髪の毛を直し始めた。


「最近いつもこのスタイルだな。ちょっと変えろよ」


 なんて言いながら、ゴムをはずしてる。

 今日もあたしは、高い位置でのおだんご頭。


「だって、華音たちにやられちゃうのよ」


 最近、子供たちの前では「髪の毛を結べ」が鉄則になってて。

 麗もあたしも、家では必ず高い位置でおだんご。


「よその国みたいだよー」


 って、誓は笑うけど。

 子供はあなどれない。

 結構な力を持っている。

 それが、寝起きの寝ぼけてる時だとなおさら。



「そうだよなー。俺も陸んちでよくやられた」


 センが同意する。


「光史、何してんの?」


 あたしの髪の毛をいじってる光史に問いかけると。


「編みこみ」


 光史はあたしの長く伸びた髪の毛を編みながら言った。


「光史って器用だなあ。アメリカにいる時も、知花の髪の毛、光史が切ってたってほんとかよ」


「切ってもらってた。本当、光史って器用」


 美容師としてやってけるほどの腕を持っている光史は。


「最初好きになった男の職業が美容師だったんだ」


 って、あたしの髪の毛をとかしながら笑ってた。



 結局、帰国まで光史と暮らした。

 時々寂しそうな瞳でベッドに入ってくることがあったけど。

 額にキスをして、あたしを抱きしめて…寝るだけだった。



「結構伸びたな。少し切るか?」


「うーん。今悩んでる。いっそのこと、ショートにしちゃおっかな、なんて」


「そこまで切ったことないだろ」


「うん」


「案外似合うかもな」


 光史は、あたしの髪の毛を後ろにずらしたりして「ショートのあたし」を試してる。


「でも勇気ないな。センはずっとその髪型なの?」


 あたしがセンに話を振ると。


「えっ…あー…わりと昔からね」


 って、センは苦笑い。


「短くしたことないんだ?」


「…一回だけあるよ」


「あー…あったな」


「…な。」


 なんだか、あたしの知らないところで光史とセンが納得してたんだけど…

 それは、ちょっと入り込めない感じがして、あたしは黙った。

 もしかして、あれかな。

 織さんと別れた時…。



「本当に切るか?」


 改めて、光史が聞く。


「んー…ショートにしても、引っ張られることは引っ張られるんだろうなあ」


 実際、誓も時々餌食になってるし。

 起きてる時はしないんだけど、寝入りばなや寝起きに、髪の毛をグイグイ引っ張られる。

 相当な力で。



「それは言えてる。よし、できた」


「あはは、知花、中学生みたいだぜ」


 光史作の編み込みができあがって、センが笑う。


「なんで中学生よー。二児の母をつかまえて」


「絶対見えねえな。制服着て事務所の前立ってみな、補導されるから」


 光史までがそんなこと言って、センと二人でウケてる。

 あたしが唇を尖らせながら立ち上がると。


「あ、久しぶり」


 自動販売機の向こうから、東さん。


「お久しぶりです」


「すごいねー、スーパースターになっちゃって」


「いえ、そんなこと…」


「あー…ちょっと、いいかな」


 東さんにそう言われて、あたしは光史を振り返る。


「30分ぐらいなら、いいんじゃないか?」


「じゃ…」


 東さんは光史とセンに手を挙げて、あたしを一番奥のスタジオに連れて入られた。



「神とさ、連絡とかとんないの?」


 早速。


「…とりませんよ」


「どうして?」


「どうしてって、もう関係ないですし…」


「そっかなあ…」


 東さんは、千里のバンドメンバーであり…友人。

 心配なのは分かるけど…あたしに出来る事なんて…ない。



「あいつ、どこに行ってんのかわかんないんだよね」


「え?」


 思わず、視線を東さんに合わせる。


「行方不明。瞳ちゃんなんか結構クールでさー、そのうち帰ってきますからって言うんだけど」


「…そのうち帰ってきますよ」


 あたしも、あえて冷たく言う。


「ならいいけど…今回のは、結構あいつには効いたみたいでね」


「今回の?」


「あー…なんかね、神の書いた曲には人間くささとか、あったかみとか、そんなんが全くないって高原さんがみんなの前で言っちゃったんだ」


「……」


「そしたら、あいつ今まで見たこともないぐらい怒ってさ」


「それ…TOYSの曲ですか?」


「いや、もう解散してから。新人のプロデュースの話が持ち上がってたんだけど、その会議の後いなくなっちゃってさ」


「……」


 確かに、TOYSの時から少しだけ感じてた。

 千里の曲は明るい曲でも、どこか物悲しい。



「あいつさ、本当はすごく寂しがり屋なんだよね」


 東さんは大きくため息をつかれた。


「俺、小学校から一緒だったんだけどさ。参観日っつっても、親は忙しくて来ないし。何しろ「今度こそ女の子」って親が頑張って頑張っての五人目が、また男だったもんだからさー。結構ほったらかされて、愛に飢えてたんだと思うんだ」


「……」


「中学生の時の神、ほんっと酷かったよ。荒れまくっててさ…絶対誰にも心を開かないって言うかね…」


「…そうですか?瞳さんとはうまくいってるように思えてたけど…」


「えー?俺的には、知花ちゃんと付き合い始めてからの神が、すごく人間らしくなったなって思ってたよ?」


「……」


「だってさ、知花ちゃんと神が付き合い始めたのって、確か四年前の夏頃だろ?」


 16になる年の六月だったから…


「…はい」


「その頃だよ。時間厳守には人一倍うるさく言う奴だったのに、月曜日とか金曜日とかは五時過ぎるといなくなっちゃうんだ」


「え?」


「それが、ミーティングしてる時でもスタジオ入ってる時でも。最初はみんなで怒ってたんだけど、そんな神って初めてでさあ」


「……」


「楽しそうだった。一人でボーッとしてる時も、思い出し笑いなんてしたことなかったのに、時々窓から下を見おろして口元笑ってたりさ…なんかすごく嬉しかったんだ、俺」


「……」


「実はね、俺だけは知ってたんだ。最初から」


「?」


「偽装結婚。でも、少なくとも神は知花ちゃんちに挨拶に行った時には、もう本気だったよ」


「え…」


 千里…。

 もう、忘れるつもりだった。

 忘れたつもりだった。

 だけど、千里に少しだけ似てきてる華音と咲華。


 時々、あたしが決めたことは間違いだったのだろうかって…



「解散する時にね」


「…はい」


「神、初めて、俺に弱音を吐いたよ」


「……」


「何のために歌えばいいか、わからなくなったって」


「千里が?」


「うん。今まで自分のために歌ってるんだって豪語してたんだけど…神、本当にバンドが好きだったからさ…」


「そう…ですね」


「寂しいから、バンドを組んだんだと思う。なのに、自分一人が評価されて俺以外のメンバーはどんどん離れてっちゃうしさ…俺にしてみれば、俺がいるんだからいいじゃないか!って感じだったんだけどね」


 東さん、ちょっぴり寂しそう。


「もう、歌わないのかなあ…」


「……」


 東さんの言葉に、あたしは答えられなかった。

 あたしには、何も言う資格がない。

 彼を、信じられなかった。



「神とさあ、ヨリ戻せない?」


 すがるような目の東さん。

 あたしは、うつむいたまま小さく。


「…歌わない彼に魅力なんて感じませんから」


 って言ってみせる。


「…そうだよねえ。ごめんね、こんな話しちゃって」


「いいえ…」


「もし、神に会ったら知花ちゃんの口から、歌えって言ってやってくれないかな」


「あたしは…」


 言えない、そんなこと。

 でも、東さんがあまりにも切なそうな目をされるから…


「…はい」


 とりあえず、静かに答える。


「ありがと。じゃ、また」


 東さんがスタジオを出られるのを見送って、あたしはため息をつく。



 千里…どこにいるの?

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