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『明けましておめでとう』


 新年会。

 事務所1Fのホール、壇上の高原さんは、少し眠そうな顔。


『今年も楽しく働こう。以上』


 短い挨拶が終わると、会場は一斉にパーティ会場と化した。


「伯父貴の挨拶って、淡泊…」


 聖子が、あたしの後ろでつぶやく。



「知花、すごくいい柄だね」


「誕生日にもらったの」


「すごく似合う」


「ありがと。聖子こそ、背が高いから着物の柄が映えるね」


 聖子は、黒から深緑へのグラデーションのシックな着物。

 七生ブランドの広告塔になってもいいぐらい、聖子は何を着ても似合う。

 聖子はそんな気、全然ないみたいだけど。


「子供っぽいの似合わないからさ。本当は赤いのとか着たいんだけど」


「いいじゃない、似合いそうよ?」


「恥ずかしいよ」


「よ、綺麗やな」


 あたしと聖子が談笑してると、朝霧さん登場。


「あ、明けましておめでとうございます。光史、具合どうですか?」


 光史は、年末からカゼで寝込んでいる。


「あー大丈夫。なんや大雪ん中、長いこと人待ってたっちゅうから、アホやな、ほんま」


 光史はルーズな人が嫌いだから、待たされたりしたら帰っちゃう方なんだけど。

 …好きな人でも、できたのかな。



「うおっ、馬子にも衣装じゃん」


 続いて、陸ちゃんの憎まれ口。

 聖子、着物なのにパンチを繰り出してる。


「陸ちゃんも、袴似合うね」


「親父の借りてきた」


「センは着物着てたよ。さすがって感じだった」


「まこちゃんは?」


「あー、タキシード着てチョロチョロしてたけど…」


「あはは、あいつらしい」


 三人で盛り上がってると。


「あ…」


 高原さんが、近くに。


「ちょっとごめん」


 あたしは、聖子と陸ちゃんから離れる。

 どうしても…聞きたい。



「高原さん」


 あたしが、小走りに近寄ると。


「え?あ…さ…」


 高原さんは、何か言いかけて…口を手で押さえた。


「?」


「あ、いや。綺麗だな。女ってすごい」


 まぶしそうな、目。


「あの、聞きたいことがあるんですけど…」


「何だ?」


「高原さん、結婚は一度もされてないんですか?」


「え?」


 あたしの問いかけに、高原さんはポカンとされて。


「意外な質問だな」


 って、笑われた。


「したよ、一度だけ」


「…いつですか?」


「正確には、したはずだった。かな」


「え?」


「どうした?急に」


「いえ、そのー…そう、曲作りの参考に、色んな方から恋の話を聞いたりして…」


「なるほど、勉強か。いい心がけだな」


 高原さんはシャンパンを手に。


「だが、俺のはあまり参考にはならないと思うけど?」


 やんわりと…目を細めて笑った。


「いえ、ぜひ聞かせてください」


 それでもあたしがしつこく食い下がると、高原さんは小さく笑って。


「俺の母親は、高原の愛人でね」


 ソファーに座って…話し始めた。


「そのせいで、小さな頃から嫌な思いばかりした。それで、絶対自分は子供を作らないって思ったよ」


 あたしも…隣に座る。


「周子の事は?」


「知ってます…」


「瞳が生まれたのは、周子と別れた後だった」


「……」


「告白された時は…正直冗談じゃないって思ったね。だけど、周子は別に育ててくれなくてもいい、父親という肩書だけ背負ってくれって言ったんだ」


 父親という肩書…


「でも…可愛いんだな、これが」


「周子さんとは、結婚…」


「してない。実は、瞳が生まれた時も他の女と同棲しててね」


 …それだ。


「別に子供の事を隠すつもりはなかった。でも、言い出せないうちに他から彼女の耳に入った」


「……」


「呆れられてね。出てかれたよ」


「その人と結婚を?」


「…するつもりだった」


「その人とは、それっきり?」


「いや、それが…三年後に見つけたんだ」


「三年後?」



 瞳さんが産まれた次の年にいなくなって…瞳さんは、あたしより二つ歳上だから…

 あたしが、二つの時?

 二年間は何してたの?


「聞いてみれば一人だって言うし。もう、半ばムリヤリ連れて帰ったよ」


 高原さんは、照れ笑い。


「その人は…今…」


 ドキドキしてる…


「いるよ。うちに」


「うち…?」


「ずっと、一緒に暮らしてる」


 時間が止まった気がした。

 ずっと、一緒に暮らしてる…



「その人に…」


「ん?」


「…会ってみたいな…」


「……」


 高原さんが、一瞬あたしをマジマジと見たあと、小さく笑われた。


「?」


「いや、ごめん。最近どうして、みんなあいつに会いたがるのかなと思って」


「みんな?」


「千里も、少し前にそんなこと言ってさくらに…ああ、彼女の名前な。さくらに会いにきたよ」


「千里が?」


 どうして千里が?


 あたしが途方に暮れてると。


「ま、さくらに会いに来てくれるのはいいけど、内緒な」


 高原さんは、人差し指を立てた。


「え?」


「誰にも言ってないんだ」


「どうして…ですか?」


 あたしがつぶやくように問いかけると。


「さくらは…ね、時間が止まってるんだよ」


 って、寂しそうに言われた。


「……」


 意味がわからなくて黙ってると。


「事故に遭ってね…」


「事故…」


「意識はある。だけど、喋れない。時々何かに反応はするけど…無表情でね」


 目の前が真っ暗になった気がする。

 母さんが?



「医者は心因性だって言うが…何が正解なのかは分からない」


「……」


「さくらは素敵な女性だよ。知花には特別…会わせたくなったな」


「…会わせてください…」


 涙が、あふれてしまった。


「知花?」


「今、すぐ…会わせてください」



 * * *



「ここだよ」


 あたしを乗せた高原さんの車は、事務所から30分のところで止まった。

 緑の多い庭。

 大きな洋風の家。



「確かマンション…」


「ああ、表向きの家。こっちが本宅。さ、入れよ」


「おじゃまします」


 開けてもらった玄関。

 ドキドキしながら中に入る。


「ただいま」


「おかえりなさい…あ、お客様ですか?」


 二階の部屋から、年輩の女の人。


「ああ。さくらに会いに」


「こんにちは」


「まあまあ、喜ばれますよ。どうぞ」


 足が震えてきた。

 なかなか前に進まない。



「さくら、お客さんだよ」


 高原さんが開けたドアの向こう…


「……」


 あたしは、口を開けたまま部屋の中の女の人を見入ってしまった。

 確か、17であたしを産んだって聞いた。

 じゃあ、今…37。

 でも、部屋の中にいる女の人は、どう見ても…あたしとそう変わらないように見える。


「……」


 無言で近付く。

 そして、恐る恐る手を…


「あ…」


 ふいに、さくらさん。

 あたしの手を取られた。


「知花は気に入られたな」


 高原さんが、笑う。


「気に入った人には、そうするんだ」


 あたしは、その細い肩に手をかける。

 …母さん…


「ちょっと着替えてくるから」


 高原さんが部屋を出られて。

 あたしは、さくらさんの手を握りしめる。


「お母さん…知花です」


 小さくつぶやくと、さくらさんは少しだけ手をピクンと動かした。


「あなたの娘です」


 さらにつぶやくと、視線があたしに向いたような気がした。


「…この歌、わかりますか?」


 あたしは、高原さんが歌っていたあの歌を口ずさむ。


「母さん、いつも歌ってくれてたよね…あたしに」


 そうつぶやいてると。


「今日の予定は新年会だけだったのか?」


 ふいにラフな格好の高原さんが来られて。

 あたしは、慌てて顔をあげる。


「は、はい」


 高原さんは、あたしの向い側に座られた。


「…優しい顔になってるな、さくら」


 高原さんは、さくらさんの頬をそっと触って。


「こういう顔の時は、機嫌がいいんだ」


 って言われた。


「わかるんですか?」


「ああ」


 高原さんは…

 こうやって、ずっとさくらさんを愛してきたんだ…


「高原さん…」


「ん?」


「あたし、時々さくらさんに会いに来ていいですか?」


「そりゃいいけど、どうした?」


 高原さんは、ちょっぴり嬉しそう。


「なんだか、いい気分になっちゃって…」


「いい気分?」


「…こうして…触れただけで、何か感じる物があるって言うか…」


「……」


「素敵な方だな…って」


 あたしの言葉に、高原さんは小さく笑われて。

 さくらさんの頬に…そっと、手の甲で触れた。


「ありがとう。嬉しいよ」



 さくらさんは、相変わらずあたしの手を持ったまま。

 あたしは、その手を優しく握りしめる。



 心をこめて。

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